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廷吏に伴われて被告細井徳治、証人サノーフカ食糧配給店店員パーヴェル・ベレスネフ、同じく証人アニワ地区食糧公団配送倉庫係長アキーム・アブラモフが入廷、それぞれ定められた席に着席を命じられた。続いて二人の陪席判事を従えた裁判長が入廷しそれと同時に廷吏が
『“全員起立”』
一斉に立ち上がり正面の一段高い定めの席に着いた裁判長に注目し礼をした。裁判長は一同を見渡し開廷を宣言した後一同に着席を命じた。裁判長演説が始り、それが終わると検事が起訴状を朗読する。朗読を終えると、裁判長が被告細井に起立を命じ
『“被告は、この起訴に対し罪を認めて服役する事を認めますか?”』
『いいえ、私は盗みなどいたしません、全く身に覚えの無い事です。警察では、お前が盗んだのだと尋問にかけ、私の正しい申し立てを全て無視したのです。私の無実は共に食糧輸送に従事した馬夫十二名が立証して下さいます。嘘は申し上げません』
裁判長は、徳治が簡単に罪を認めるものと思っていた。起訴状によると任意の供述となっている。ところが徳治の予想外な陳述に関係者の困惑した様子が窺えた。裁判長はこの事を書類に記入し十五分の休憩を告げ退廷した。公判が再び開始され、今度は証人喚問のため裁判長が
『“証人アブラモフ、同じく証人ベレスネフ。前に出てください”』
二人は証人席に立った。裁判長は型の様に住所、氏名、年齢、職種等を訊ねた後、宣誓を命じた。
『“私は、良心と真理の唯一の状態に基づき裁判所で述べる事を誓う”』
『“私も誓う”』と、二人は宣誓を読み上げ宣誓書に署名。
『“只今からの尋問に対して、貴方達が虚偽の証言を致しますと偽証罪に問われ二年以下の懲役になりますから、真実のみを述べて下さい”』
裁判長は教え諭す様に二人に注意を与えた。検事が立ち上がり
『“証人、アブラモフは、十二月十三日午後十時頃、食糧配給店に配送する貨物四十個を被告、ホソイトクジに渡したと言うが事実か?)』
『“確かに渡しました。被告はあの時、四十個の食糧貨物は馬橇に積載して長々と続く輸送隊列の後になって出発しました。被告の馬は足が遅いので隊列から少々遠ざかっているようでした”』
検事はアブラモフの尋問を打ち切りベレスネフに訊問した。
『“貴方はアブラモフの証言が事実と思いますか?”』
『“間違いありません。
隊列から遠ざかったのも心に期するものがあったからでしょう”』
『“食糧貨物の受領責任者であり、輸送監督者でもあるあなたが何故食糧貨物の紛失している事を翌朝まで知らなかったのですか?”』
『“丁度、日本人徴用馬夫が馬のそりに貨物を積み終える頃、此処に居る知人アブラモフと酒を飲み貨物の数量を確かめず、そのまま食糧配給店へ馬を追わせました。店長が私の携えた輸送票を見て貨物が二十個不足だと言うのです。私が酔い潰れていたので多分馬夫が怠けて荷を載せずに、公団に残して来た物と推測して翌朝に公団に問いあわせて判かったのです。私は被告が警察に自供した様に私の酔い潰れ眠り続けているのと、隊列の最後だったのを利用し貨物をそりから落として、闇ブローカーに売り飛ばしたと考えております。”』
検事は自分の意図通りの証言を関係者に誇示する様に
『“証人の訊問を終わります”』
言った後に腰を下し、続いて 裁判長が
『“弁護人から訊ねたい事があるのならどうぞしてください”』
バラノフスキー女史弁護人の発言を促した。バラノフスキーは、何かの疑問を擦るかの様に、証言の筆記ノートの文字に黙って眼を通した。
『“ベレスネフ証人にお尋ねいたします。
証人は店に到着した時刻は何時頃でしょうか?”』
『“午後三時過ぎでした”』
『“退庁まで時間の余裕があるのに貴方は二十個の貨物の紛失しているのに気がつきながら翌朝まで放置していたのはなぜ?”』
『“酒に酔って意識がはっきりしていなかったからです”』
『“意識がはっきりしていなかったと言うのは?”』
『“眠っていたのです”』
バラノフスキー女史はこの証言で疑惑は確信となり思わず身体が震えた。細井徳治は無罪だ、私の信念に狂いは無いはずだと心に呟いた。バラノフスキー女史は硬ばった顔を裁判長に向けて
『“裁判長に申し上げます。証人ベレスネフは貨物数を確認もできず零下十数度の寒気の中、揺れ動く雪車の上で何時間も死人の様に眠り続ける事が出来るでしょうか?中々納得出来ない事態です。
それにアブラモフ氏の証言は信用できません、何故なら証人は酒に睡眠薬を入れベレスネフ氏に勧めたと思われるからです。これは証人アブラモフ氏の事務机の引き出しから最近手に入れた睡眠剤の空箱でございます。”』
バラノフスキー女史は廷吏を介してマッチ箱よりも小さな空箱を裁判長に差し出し
『“これは、被告の無罪を立証する当時食糧輸送に従事した12名の証明書でございます。朗読させていただきます”』
バラノフスキー女史は反対証拠物から取り出した文責、村長ビンジュコフとなっている12名の馬夫達による署名、捺印された証明書を読み終えると、廷吏を介して裁判長に提出、裁判長は三十分間の休廷を宣した。
ソ連の移住民はまだ駅に着いていなかった、午後の列車で到着するので部落民は駅の広場に馬を留め、三、四人の者が居残って馬を監視し、それ以外の者は駅のストーブにしがみ付いている。
『おや、細井の爺さんが来たぞ・・』
『どれ?・・』
『今度は見えるだろう』
『細井の嫁さん、爺さんが来た!』
声を聞き付け部落民がどやどやと徳治の所へ集まってきた。
裁判は?一人が心配そうに聞いた。
『証拠不十分で裁判は、一時取りやめになったのですよ、これも皆さんの御蔭で』
徳治は口篭りながら額の汗を拭った。急いで此処まで来たらしく歩き疲れた表情であるが無限の喜びが溢れている。
『奔走した甲斐があった、良かったなー』
一人が徳治の手を握って言う。
『爺さん、駅で休んでくれ、まだ移住民が来ていないんだ』
側で誰かが言う。部落民は凱旋将兵を出迎える様に徳治を接待した。久子は一同の好意に心で手を合わせ感謝した。久子の家に住み着いた移住民は善良そうな若い夫婦で幼児が二人居た。深雪が解け、黒い大地が表れ始めた四月の末、黄金色に芽吹く水仙の株を持って、移住民の部屋を訪れ
『“ゼェナ、ヤァ(奥さん、居る?)“』
『“はい、どうぞ”』
徳治は鍵もかけない扉を軋らせて部屋に入った。一目で見渡せる狭い部屋で婦人は昼食の仕度をしているらしく、油鍋をジュージューさせて何か揚げ物ををしていた。広光が配給制度を度外視している様な砂糖の入れた紅茶を飲んでいて
『爺ちゃん、こーれ』
その側で四、五歳位の男の子が、カップをもって
『“ママ、グラールコ グラールコ(お母さん、熱い、熱い)”』
熱いから水を入れてくれと言っている。徳治は広光を見ながらマダムに
『孫がいつもご馳走になって』
手まねで謝意を述べた。その時
『お舅さん、大変よ、裁判所から、又出頭令状が参りました。この部落からお舅さんと、あの時の徴用馬夫12名が明朝九時まで出頭するんですって・・』
徳治の前に一通の通告書を持って沈痛な顔をした久子が立ち塞がった。有罪となるか、無罪となるかの心痛で徳治も久子も、夜は眠る事が出来なかった。翌朝、徳治の目は寝不足の為か真っ赤に充血している。
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