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にしん街道を巡る旅
追分ソーランラインからオロロンラインまで‼

北海道最長の観光ルート 松前~稚内

北海道の日本海沿岸市町村にはニシン漁最盛期の姿を象徴する「にしん番屋」をはじめ有形・無形の文化財が数多く残されています。松前町から稚内市までの日本海沿岸約700kmの道のりを「にしん街道」と命名、北海道日本海沿岸市町村の歴史と文化などから「ニシン」に今一度スポットを当て、往時のにしん文化を蘇らせ継承するとともに新たな観光ルートの確立や日本海沿岸市町村の活性化につなげようというもので、平成16年に松前町から始まった「にしん街道標柱設置」は平成25年の羽幌町まで“22市町村、25ヶ所”(確認数)に広がっている。

各地に共通の文化をもたらしたニシンも大正~昭和初期にかけて漁獲がなくなり、今ではその姿をみるも少なくなりました。激減の原因として諸説あるが、日本の場合は産卵期に「ニシン」を根こそぎ捕ってしまう略奪漁法が最大の要因とおもわれる。ここでは松前町、江差町(姥神・尾山)、上ノ国町、乙部町、八雲町、せたな町(大成区・瀬棚区)の街道碑やニシン文化遺産(主に建築物と漁具、関連施設)を紹介しています。

にしん街道松前町MAP

にしん街道標柱・松前町折戸浜 岩場が多い松前街道沿いの海岸にしては珍しく砂浜で海水浴場になっている折戸浜の国道沿いに「にしん街道」の標柱がある。松前から函館方面への道を通称・松前街道、松前から北上し稚内まで到る沿岸ルートを「にしん街道」と称し、日本海沿岸各地に「にしん街道」の標柱が設置されているが、日本海沿岸各地にあるにしん街道の中でここだけ説明板が見当たらない。ここは「にしん街道」スタートになる標柱なのだが・・・・
◇設置年:詳細不明 ◇設置者:詳細不明 説明板なし
◇所在地:松前郡松前町字館浜7番地先 折戸浜
◇GPS N41°28’12.87” E140°03’47.40”

にしん街道上ノ国町MAP

にしん街道標柱 上ノ国町 説明板より転載
『松前の伝説の中に「大蔵鰊」という名高い伝説があります。その昔、上ノ国に大蔵郷という行方堅固な山伏が住んでいました。ある年、五月になってもニシンが群来しないので、村人はこの山伏に頼んで祈祷をさせました。すると、山伏の祈りが通じたのか上ノ国の前浜は大漁に沸いたそうです。しかし、村人たちは大漁になったとたん群来は自然のものと難癖をつけたので、山伏は怒りのあまり食物をたって死んでしまいました。翌年、ニシンは江差に群来しましたが、上ノ国には群来せず、祟りもあったので村人は恐れて、山伏を神として祀ったそうです。以後、他の村々でニシンが不漁でも、上ノ国では神の効験があって大漁の年もあったそうです。人々はこれを「大蔵鰊」と言って不思議そうにしていたということです。

いま、上ノ国に暮らす私たちは、伝説「大蔵鰊」に謙虚に学び、地域の歴史や文化を掘り起こし、そして読み解き、未来への確かな手がかりをみつけていきたいと考えています。松前町を基点に海沿いを北に続くニシン街道の一拠点の証として、飛躍の願いを込め標柱を設置しました。各地域が携えるニシンの歴史と伝説を受け継ぎ、語り伝える千鈞の柱。』
◇設置年:平成20年6月14日 ◇設置者:上ノ国町観光協会
◇所在地:檜山郡上ノ国町字上ノ国236番地
◇GPS N41°48’12.34” E140°06’15.75”

旧笹浪家住宅(国指定重要文化財)MAP

旧笹浪家住宅 旧笹浪家は上ノ国で18世紀初めから続いたニシン漁場の網元で、初代は享保年間に能登国から松前福山に渡ったとされ、後に上ノ国に移り住んだ。旧笹浪家主屋の部材は大部分にヒバが使用され、屋根はヒバの割柾葺で置き石が印象的だが、笹浪家古文書には1857(安政4)年に家の土台替え、翌年には屋根の葺き替えを行ったという記録があるという。

北海道の現存民家では最古に属し、北海道の日本海沿岸に残るニシン番屋の原型とも言われる。築後約150年の平成2年に笹浪家から町に寄贈され、平成4年に国の重要文化財に指定された。2005年から付随する米、文庫蔵(嘉永元年建設)を上ノ国の歴史をたどるガイダンス施設として公開され、地元で発見された縄文時代~近世の出土物等を展示している。
◇入館料あり ◇時間 10:00~16:00
◇毎週月曜日休館 11~3月休業 ◇所在地:上ノ国町字上ノ国
◇GPS N41°48’12.29” E140°06’15.75”

にしん街道江差町姥神MAP

にしん街道標柱・江差町姥神 説明板より転載です。
『北海道日本海沿岸においては、北前船の交易によって大きく繁栄し、18世紀半ばのにしん漁最盛期には多くの廻船問屋や土蔵が連ねて建ち並び、「江差の五月は江戸にもない」と言われ、歴史と今に伝わる数々の郷土民芸や建造物をこの地にもたらしました。そこで、今一度、日本海沿岸の市町村を支えた「にしん」に歴史・文化等多方面からもスポットをあて、新たな産業や観光資源の創出を目的に、各町で「にしんルネサンス事業」が展開されております。このため、「にしん」に関係した日本海沿岸の市町村全体に「にしん街道」の標柱を設置することにより、往時の繁栄された頃の「にしん文化」を再び蘇らせ、後世に引継ぐとともに、新たな観光ルートの確立など各地域での活性化に繋げる証として、この標柱を設置したものです。』意外と目立たないところにあります。
◇設置月:平成17年10月吉日 ◇設置者:江差観光コンベンション協会
◇所在地:檜山郡江差町字姥神町167番地1 江差地方合同庁舎横
◇GPS N41°52’05.10” E140°07’29.12”

にしん街道江差町尾山MAP

にしん街道標柱・江差町尾山 説明板より転載
「海道日本海沿岸においては、北前船の交易によって大きく繁栄し、十八世紀半ばのにしん漁最盛期には多くの廻船問屋や土蔵が連ねて建ち並び、「江差の五月は江戸にもない」と言われ、歴史と今に伝わる数々の郷土民芸や建造物をこの地にもたらしました。

そこで、今一度、日本海沿岸の市町村を支えた「にしん」に歴史・文化等多方面からもスポットをあて、新たな産業や観光資源の創出を目的に、各町で「にしんルネサンス事業」が展開されております。このため、「にしん」に関係した日本海沿岸の市町村全体に「にしん街道」の標柱を設置することにより、往時の繁栄された頃の「にしん文化」を再び蘇らせ、後世に引継ぐとともに、新たな観光ルートの確立など各地域での活性化に繋げる証として、この標柱を設置したものです。」道の駅に隣接しているのでわかりやすい。
◇設置年:平成17年10月吉日 ◇設置者:江差観光コンベンション協会
◇所在地:檜山郡江差町字尾山町1番地 道の駅 江差
◇GPS N41°40’40.38” E140°08’21.55”

旧中村家MAP

旧中村家・江差町 旧中村家は近江能登川出身で海産物の仲買商、大橋宇兵衛氏の店舗兼居宅。北前船で運ばれた越前石を土台に、総ヒノキアスナロ(ヒバ)切妻造りの二階建て、母屋から浜側まで文庫倉、下の倉、ハネダシまで続く通り庭造りで、当時の代表的な問屋建築という。大正年代初期に大橋家から中村米吉氏が譲り受けた。昭和46年に国の重要文化財に指定された。◇所在地:江差町字姥神町◇N41°52’07.8” E140°07’43.9”

横山家MAP

横山家・江差町 黒板の門塀を囲い、二階は出窓を簾で覆った京風商家で落ち着いた佇まいを見せている。寛延元(1748)年、能登の国出身の初代横山宗右衛門は江差に渡り、にしん漁場の直営と加工品、肥料の販売していた道南生え抜きの商家。選挙用看板が無粋だが・・・◇所在地:江差町字姥神町

瓶子岩MAP

瓶子岩・江差町 徳利を逆にしたような形の高さ約10mの岩。今から500年ほど前、ニシンが不漁続きで飢餓に至った時、折居婆(おりいばあさん又は於燐姥おりんばば)が鴎島で白髪の老翁からもらった神水を海に注いだところ、たちまちニシンが群来したとい云う。その神水を入れていた瓶子が岩になったといわれている伝説の岩(姥神伝説)で、古来より漁民の守り神として大切にされている。折居婆さんが信仰していた神様と婆さんを庵を折居社とし、折居婆の庵に残された三神を祭ったのが姥神大神宮の始まりとされている。◇所在地:江差町鴎島 ◇N41°52’02.2” E140°06’56.6”

にしん街道乙部町MAP

にしん街道標柱・乙部町 港の見える所ににしん街道標柱が設置され、その隣には箱館戦争官軍上陸の地跡の標柱がある。以下は説明板より転載
乙部町でにしん漁が本格化したのは、およそ300年前の江戸時代中期に入ってからとされております。当時、にしんが、どこの前浜に群来し始めても、松前藩主へは「乙部の浦にて初鰊群来・・・」と報告されるほど、にしんの千石場所としてにぎわい、東北などからも多くのヤン衆(漁夫)が訪れ、乙部の浜は活気にあふれておりました。その頃の乙部は、海産物出荷量の実に9割以上がにしんで、漁業の基幹を占めるほどなり、にしん漁の賑わいとともに、そば屋・宿・雑貨屋など、多くの商店が建ち並んだのも、この時期とされております。その後、明治末期には、にしんが北上し、漁は衰退していきましたが、現在も漁業や造船の町として後世に引き継がれ、にしんの網起こしで唄われていた「沖揚げ音頭」も、夏祭りの切り声として、歌い継がれております。

松前を起点し、日本海沿岸を北上する新たな観光ルート「にしん街道」に乙部町が位置し、にしんの千石場所であった証として、この標柱を設置しました。』
◇設置年:平成22年3月26日 ◇設置者:北海道乙部町 ◇所在地:乙部町元町
◇GPS N41°58’12.63” E130°07’59.05”

くぐり岩乙部町MAP

くぐり岩 乙部町 国道229号線を乙部町市街から南西に1kmほど進み、海側に向かって脇道に入ると行き止まりに「くぐり岩」の案内板がある。駐車場から急坂を下って海岸に出ると北側に海まで張り出した大岩があり、人が余裕でくぐれる穴が開いている。滝瀬海岸を南北に分断する大岩はニシン漁をする上で障害になり、慶長年間(1600年頃)にニシン漁を支えるために掘削されたもの。当時はこの一帯が陸地であったと考えられており、陸路として穴をあけたので「くぐり岩」と呼ばれているそうです。人工の穴ですが長年の浸食と風化で自然の穴のように見え、穴から見た館の岬が最高。「くぐり岩」は新第三系館層のシルト岩・砂岩互層できれいな地層の重なりだが、上の方は乱れて褶曲型のスランプ構造がみられるという地質の教科書みたいな所、海岸を南西に進むとシラフラと呼ばれる真っ白い柱状の崖地があります。◇所在地:乙部町滝瀬海岸
◇N41°57’46.3” E140°07’35.5”

にしん街道八雲町MAP

にしん街道標柱・八雲町 説明板より転載します。
『ここ八雲町熊石は、「にしん漁」で栄えた北海道日本海沿岸の町のひとつです。道南の町のなかでも漁獲量が多く「にしんの万石場所」と言われいました。1845年4月、漁の最盛期に熊石を訪れた探険家「松浦武四郎」が、漁家が連立し、船の帆柱やにしんを干す竿が立ち並び、沖と岸を行き交う船の人たちのはやし声が村中に響くという活況は「真の宇宙の壮観なり」と西蝦夷日誌に記載しています。江差を過ぎての蝦夷地境界でこのような盛況を見て驚いての表現と考えられています。熊石の地名もアイヌ語で「クマウシ」「魚(にしん)を乾かすための竿が多いところ」と訳されています。「にしん」は明治後半にはほとんど獲れなくなり、幻の魚となってしまいましたが、人々の生活を支え、共に歩み、独自のにしん文化を創り上げました。当時の船や漁具、漁法、生活の様子の資料は熊石歴史記念館に展示しています。「にしんルネサンス事業」は、にしんで栄えた北海道日本海沿岸の市町村を結び、「にしん街道」を楽しませてくれます。松前を始点とし、北の彼方まで続く観光ルートの拠点である証として、この標柱を設置したものです。』
◇設置年:平成19年12月吉日 ◇設置者:北海道八雲町ライオンズクラブ
◇所在地:八雲町熊石鮎川町50番1 国道229号線沿い・木村旅館向かい
◇GPS N42°07’16.59” E140°00’38.54”

にしん街道太成区MAP

にしん街道標柱・瀬棚町太成区 せたな町大成区(旧大成町)も「にしん」で栄えた町の一つで平成19年ににしん街道標柱を設置している。説明板より転載します。

『クドウ初鰊群来る大漁 ここ、せたな町大成区(旧大成町)も「にしん」で栄えた町の一つであります。天明3年の春3月「にしん」の漁期になると、松前、江差、乙部、熊石からヤン衆が漁場の親方の家へわんさとやって来て、鰊漁の準備に入りました。「にしん」の到来を今か今かと誰もが沖を眺めて待っており「にしん」が到来すると、各村一斉の狼煙の合図で出漁しました。各村から一斉に漁場をめがけ、舟を漕ぎ出す壮観さは、美事の一語につきました。「にしん」の声が巷に聞こえるようになると、町では漁師目当ての居酒屋も軒を並べ、夕方ともなると芸者連中は三味の音を響かせ、夜の街の賑わいが遅くまで続きました。「にしん」の到来は、多くの人に仕事を与え、収入も良いので町は活気に溢れ、人々の往来も繁くなりました。日本海沿岸の松前を起点とし、連なる町々は全道を一周し、これらが「にしん街道」で結ばれ、地域の特色ある歴史と伝統の数々を垣間見せてくれるのも楽しい限りであり「にしん街道」の旅道中であればこそ味わえる醍醐味でもあります。それぞれの町が、特色ある創意に満ちた標柱を設置することにより、楽しさも倍加されることでしょう』
◇設置月:平成19年10月吉日 ◇設置者:せたな観光協会大成支部
◇所在地:せたな町大成区平浜378番地
◇GPS N42°12’45.15” E139°52’34.57”

にしん街道瀬棚区MAP

にしん街道標柱・瀬棚町瀬棚区 海水浴場前の説明板より転載

『ここ瀬棚も「にしん」で栄えた北海道日本海沿岸の町のひとつであります。明治二十年前後、瀬棚の「にしん」の全盛時代には、春の漁期になると若者の大半が漁場雇となり、また、他の町から瀬棚の漁場へ出稼者が大勢やってきて鰊の沖揚げなどの仕事をしました。この頃「にしん」を追うように瀬棚への移住者も多くなり、鰊漁も盛んであったため、町はたいへん活気にあふれていました。「にしんルネサンス事業」は、「にしん」で栄えた北海道日本海沿岸の市町村を結び「にしん街道」の旅道中を楽しませてくれます。松前を始点とし、北の彼方まで観光ルートの一拠点である証として、標柱が設置されました。各地域が携える「にしん」の歴史と伝統の数々を受け継ぎ、語り伝える千鈞の柱』三本杉岩が前にあるこの前浜は海水浴場になるようです。
◇設置年:平成18年11月吉日 ◇設置者:瀬棚町観光協会
◇所在地:久遠郡せたな町瀬棚区三本杉96番地
◇GPS N42°27’36.85” E139°51’07.35”

にしん街道を巡る旅・追分ソーランライン-ミニギャラリー

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