にしん街道を巡る旅
追分ソーランラインのにしん街道碑と文化遺産‼

にしん街道碑と文化遺産

ここでは追分ソーランラインエリアの積丹町、古平町、余市町、小樽市にあるにしん街道碑やニシン文化遺産(主に建築物と関連施設)を紹介しています。ニシン文化施設の半分はこの地域にあると云っても過言ではない。

ソ-ラン節の古里 積丹の碑MAP

ソ-ラン節の古里 積丹の碑

ソーラン節の故郷を自認する積丹町にはソーラン節発祥の地碑が2ヶ所あるが美国町と合併する前は国道229号線沿いで神威岬から5kmほど南の沼前駐車公園にあるこの碑だけだった。かつては余市町、美国町と積丹町が三つどもえでソーラン節の本家争い(爆)を!! どこが本当の故郷かは定かではありませんが、はっきりしているのは記念碑のスケールと神威岬や神威岩を背景にソ-ラン節の古里 積丹の碑を眺められるロケーションの素晴らさからこの記念碑が1番かも。
◇所在地:積丹町神岬町 沼前駐車公園 ◇N43°17’14” E140°52’20”

にしん街道 積丹町MAP

にしん街道標柱・積丹町

にしん街道の説明板より転載
『積丹の地名は、アイヌ語のシャクコタンから転訛したもので「シャク」は夏「コタン」は部落又は集落のことで「夏の場所」という意味である。

宝永3(1706)年に積丹場所と美国場所の運上屋が設けられると、両場所は次第に漁場として開発されるようになり、その後、明治中期には鰊漁が最盛期を迎え、海が鰊の大群で銀色に染まるほどだったと言われている。鰊大漁と共に人口も増加し、大正6年には11,735人を数えた。鰊が人々の定住を促し町を形成し、文化、歴史を育んだ。

エーヤーレンソーランソーラン ソーランソーラン(ハイハイ)
 エ大島コジマは兄弟島よ エなぜにゴメ島はなれ島チョイ
 エ離れ島でも時節が来れば エ春はかもめが群れ遊ぶチョイ
 エ大漁手拭いキリリとしめて エ一夜千両の網起こしチョイ
 エかもめどこ行く子供つれて エ鰊大漁の美国までチョイ

鰊漁の作業歌でもあった沖揚げ音頭(ソーラン節)の歌詞が、往時の鰊の群来を物語っている。「にしん」に関係した日本海沿岸の各市町村において「にしんルネサンス事業」を展開することで、往時の繁栄された頃の鰊文化を再び蘇らせ、後世に引継ぐとともに、新たな観光ルートの確立など各地域での活性化に繋げる証として「にしん街道」の標柱をここに設置する。』◇設置年:平成18年11月吉日 ◇設置者:どっこい積丹冬の陣実行委員会

北海道の創世記に特徴的な事のひとつは資源略奪の嵐ともいえるもので、ニシン魚も例外ではなく、産卵に来るニシンを一網打尽に、次第に資源は枯渇し大正期にはニシン魚も衰退していく。積丹町には旧ヤマシメ福井邸というニシン番屋が現存しているようですが、最近は情報もない。◇所在地:積丹町大字美国町字船澗48-5 ◇N43°17’90,45” E140°35’85,82”

積丹 ソ-ラン節の碑MAP

積丹 ソ-ラン節の碑

北海道を代表する民謡「ソーラン節」は、ニシン漁で賑わった積丹町が発祥の地(隣の余市町も発祥の地といってるけど・・・)といっている。石碑はゴメ島を望む海岸縁に建てられています。鰊場音頭とは、ソーラン節を含めた船漕ぎ音頭、網起こし音頭、沖揚げ音頭(ソーラン節)、子たたき音頭(イヤサカ節)の四つの作業歌からなっているという。旧美国町と積丹町が合併したので積丹町にソ-ラン節の碑が2ヶ所ある。◇所在地:積丹町美国町 ◇N43°18’07,58” E140°35’84”

たらつり節発祥の地碑MAP

たらつり節発祥の地碑

古平町役場と国道229号を挟んで建っている白い石碑。早い時期からニシン漁で栄えた古平町で「たらつり節発祥」はさすがに???でした。1955(昭和30)年頃を境にニシンの漁獲が激減しスケトウダラやイカ漁が行われるようになり、タラ漁に出た漁師達が船上で歌っていたという。この「たらつり節」は1957(昭和32)年頃に古平の漁師、大島豊吉氏と田村栄蔵氏が作ったという。函館東部の南茅部に伝わる「たらつり口説節」が下敷きになっているとのこと。1990(平成2)年以来 毎年秋に「たらつり節全国大会」を開催しているが、碑は第一回全国大会開催を記念して建立されたもの。◇所在地:古平町浜町 ◇N43°15’93,89” E140°38’34,95”

漁霊碑(魚供養碑)Recruit

漁霊碑

古平漁協前に立ってる大きな碑で碑誌より一部転載
『千古を誇る蝦夷地の開拓は海道に始まり魚族に生きる人々によって其の一歩を踏みだした。古平もそれの如く遙かな波路を越え此の地に生涯を遂げた先人によって魚田の扉は拓かれた。以来風雪を重ねること百年。今や日本海は言うに及ばす遠くオホーツク海、アラスカ周辺の海域に船出して今日を築くに至る。我らが子孫又万里の彼方に飛躍する憶ひ今日あらしめた先人を偲び、豊魚の歓びを(奝?)らした魚霊を祀り魚族の尽きぬ事なきを祈願す・・以下省略』碑文によると古平町開基100年を記念して昭和34年に建立された碑のようです。鰊で栄えた古平町らしい・・
◇所在地:古平町港町 ◇N043°16’2970” E140°38’2374”

ソーラン節発祥之地MAP

ソーラン節発祥之地

国道229号線の新豊浜トンネルの東側入口横にある発祥之地碑で、ローソク岩のあたりで良く鰊が獲れていたこと、また、ローソク岩から定置網を張っていたことなどから、1961(昭和36)年、ローソク岩が良く見える開けた所に碑が建立された。蛇足ですがソーラン節発祥之の碑は積丹町にもあります。◇撮影地:余市町豊浜町 ◇N43°14’89,06” E140°42’54,32”

旧余市福原漁場国指定史跡 MAP

旧余市福原漁場

幕末からニシン漁を行っていた福原家が所有していた建物群です。広い敷地内にある主屋(番屋)は出稼ぎの漁夫の宿泊空間であり、漁夫溜まりは2階建、ニシン漁の最盛期には土足のまま食事ができる構造になっていた。藁製品や食料を保管していた米味噌倉は、外壁と内壁の間に石を詰めるなどのネズミ対策が施されている。書類や衣服を保管していた文書庫や漁網などを収めていた網倉、カズノコや白子を干して製品にした干場、白子干場も当時と同じ姿で保存されていて、ニシン漁でにぎわった当時の漁業経営者の暮らしぶりがわかる。
◇休館日:月曜日と祝祭日の翌日・冬期閉館 ◇入館料大人300円
◇所在地:余市町浜中町1501 ◇N43°12’00.08” E140°46’43.85”

よいち水産博物館

よいち水産博物館

大谷地貝塚(国指定史跡=現地は看板のみ)の出土品やアイヌ民族の関連資料、表積丹の中心地らしくにしん漁関連の歴史や道具などが展示されているが、珍しいのは3分の1にスケールダウンしたミニチュア弁財船。前庭に違星北斗、石川啄木、野口雨情の句碑と復元された八幡山環状列石とにしん船の保津船が展示されている。所在地:余市町入舟町 ◇N43°11’43.60” E140°47’12.97”

旧下ヨイチ運上家国指定重要文化財 余市町 MAP

旧下ヨイチ運上家

 余市川を挟んで上ヨイチ、下ヨイチと二つの運上屋があったが、現存するのは下ヨイチ運上屋で松前藩が80ヶ所ほど設けた運上屋の中で唯一現存するもので、ヨイチ場所の請負人・竹屋林長左衛門が1853(嘉永6)年に建てたもの。運上家の間口は22間あったというが1889(明治24)年の改修で16間に縮小される。1976(昭和51)年に嘉永6年(1853年)に改築した当時の古図面を基に改修復元がなされ1980(昭和55)年から公開されている。運上家(運上屋)は江戸期の漁場建築、交易所、駅逓、役所という性格を併せ持った建物群だが、ニシン番屋と共通する特徴も多い。普通は運上屋とするのが一般的だが運上家でも間違いではないようです。
◇記念碑:建造物一式他 ◇所在地:余市町入船町10
◇N43°11’53.81” E140°47’17.10”

祝津パノラマ展望台・江差追分節名歌碑MAP

江差追分節名歌碑

碑に書かれているのは有名な追分節の文句ですが、通説は江差あたりの女性が、漁期に忍路や高島の漁場に行っている愛しい男を追って行きたいが、その手前のおかもい様(積丹岬の大岩)が女人の通航を許さない。せめてそこに近い歌棄や磯谷の漁場で働いて男の帰りを待ちたいという事のようです。

話にはもう一つ裏があって、当時の新興商人(政商)が何とか歌棄(有戸付近)と磯谷(横間付近)場所請負の権利を手に入れたが、ニシン漁場が年々北上することから、何とかして忍路・高島の場所請負の権利を手に入れようと暗躍するも、事破れて全面的な敗退となった。そのことを書いた落札が喝采を受け歌詞になったのだという。もっともらしい話ではあるが
◇所在地:小樽市祝津3丁目 ◇N43°14’17.3” E141°00’34.1”

祝津パノラマ展望台・北海浜節民謡碑MAP

北海浜節民謡碑

北海浜節
春は春はソーランヤン衆の声も 遠く呼ぶよぶ黄金の波は(ソイ)
せめて波風おだやかに サアサ今日も船は行く⌒
ピリカピリカ乙女に思いをよせて 波に舵とれこの腕をー(ソイ)
 ただよう海原果てもない サアサ明日への夢がわく⌒
 海の海のせつなさ潮風夜風 赤いネオンが波止場に見えて(ソイ)
 忍ぶ小樽のなかじゃもの サアサ北海浜節よ⌒
千葉勝友氏作詞作曲の北海浜節民謡碑を聞いたことはないが、小樽の忍路、高島の漁場が舞台のようで、この辺で漁業に携わっていた方には知られていたようです。
◇所在地:小樽市祝津3丁目 ◇N43°14’17.3” E141°00’34.1”

にしん街道 小樽市MAP

にしん街道標柱・小樽市

にしん街道の説明板より転載
『忍路高島及びもないがせめて歌棄磯谷まで北海道の代表的民謡である江差追分の一節に登場する高島場所。その中心となったにしん漁場が、かつて、にしんの千石場所と呼ばれた、ここ祝津であります。

小樽のにしん漁は、松前藩の追にしん漁場の拡大政策によって、江戸時代後期の寛政5(1793)年に始まります。その後も、小樽沿岸では、場所請負人の手による大規模なにしん漁が展開さらていきます。明治2(1869)年に、松前藩の場所請負制度が廃止されると、にしん漁は、民間に開放されます。明治中期から大正年間を通じて豊漁に恵まれた祝津では、今なお三大網元と称される青山家・白鳥家・茨木家のにしん親方衆が、相次いで誕生し隆盛を極めました。その茨木家の初代当主である茨木與八郎(山形県遊佐町出身)氏によって明治後期に建てられたにしん漁場建築物が「茨木家中出張番屋」であります。

このたび、茨木誠一氏はじめとする関係者の長年の願いであった同番屋の修復事業が完了することを記念して、にしんで栄えた北海道日本海沿岸の市町村を結ぶ「にしん街道」の標柱をこの地に設置することにより、にしん漁の歴史と文化を後世に語り継いでいくものです。』
◇設置年:平成二十二年六月吉日 ◇設置者:北後志風土ツーリズム協議会
◇所在地:小樽市祝津 番屋通り 茨木家中出張番屋隣地
◇N43°14’03.46” E141°00’48.52”

茨木家と茨木家中出張(でばり)番屋MAP

茨木家中出張番屋

茨木家は、かつての「祝津三大網元」の一つで「茨木家中出張番屋」は、明治後期に建てられ、昭和30年代前半まではニシン漁に従事した従業員が寝泊まりしていた。30年ほど前からは住む人も絶え閉鎖されていたが、平成22年にニシン番屋を修復し、地域コミュニティ施設としてよみがる。横の坂の上に1863(文久3)年建立という小樽市指定歴史的建造物の「恵比寿神社」があります。
◇開館期間:5月~10月 休館日:毎週火・水曜日 見学料:200円
◇所在地:小樽市祝津3丁目 ◇N43°14’06,98” E141°00’81,45”

小樽市鰊御殿旧田中家母屋 道指定有形文化財 MAP

小樽市鰊御殿

明治から大正年間にかけ鰊魚で繁栄した日本海沿岸の漁場経営者は、その資金力で豪華で大規模な母屋や番屋、蔵などの施設を建設、その一部は今も各地に残っている。この建物は泊村に漁場を経営していた田中福松の住居兼作業場の母屋で、1891(明治24)年より6年の歳月を掛け完成した。

北海道炭鉱汽船株式会社が創立70周年を迎えた記念事業として、1958(昭和33)年に現在地へ移築復元。館内には、にしん漁やにしん加工に使われた道具や、番屋で暮らした人々の生活用具や写真などを展示しています。日本海沿岸を代表する民家で鰊漁場建築ではあるが小樽生粋の歴史的建造物という訳ではない。※鰊御殿近くに駐車場あり。
◇所在地:小樽市祝津3丁目228番地◇N43°14’16.03” E141°00’56.12”

旧白鳥家番屋MAP

旧白鳥家番屋

小樽海岸通り線で小樽水族館駐車場の手前にある番屋。1873(明治10)年建築の木造1階建漁家で1995(平成7)年に小樽市指定歴史的建造物になっている。番屋の取り壊し計画があったが、それを知った小樽市内の料亭店主が1994年に番屋を取得し「料亭群来陣」としてオープンしたが今は廃業しており、時々イベントなどで利用されているようです。番屋の外観は往時の姿を残しているが、商業施設として使用するため内部はかなり変わっているという。残っただけでも吉とするべきか、近くに豪華な石倉もある。小樽には他に小樽市鰊御殿、茨木家中出張番屋、旧近江家番屋があるが旧近江家番屋は非公開です。◇所在地:小樽市祝津3丁目191番地
◇N43°14’13,63” E141°00’86,18”

小樽貴賓館 旧青山別邸国登録有形文化財 MAP

小樽貴賓館 旧青山別邸

昭和60年に小樽市の歴史的建造物第3号に指定された旧青山別邸は、鰊漁で巨万の富を築いた青山家の三代目青山政吉と娘、政恵が金に糸目をつけず、山形県酒田市から宮大工を呼びよせ6年半余りの歳月をかけて建造、往時の栄華を伝える別荘で、約1500坪の敷地内に木造2階建てで、建坪は190坪。家屋の中は6畳~15畳の部屋が18室の豪邸。

祝津で最も古い番屋の形を伝えているという旧近江家番屋、旧茨木家中出張番屋、旧白鳥家番屋と石倉、旧青山別邸など祝津には鰊で栄えた往時の姿を残した建物が多いが旧近江家番屋は非公開のようです。◇入館料:大人・中学生以上 1,080円
◇所在地:小樽市祝津3丁目63 ◇N43°13’50.59” E141°00’27.10”

石狩挽歌記念碑

石狩挽歌記念碑

イメージ小樽に住んだ事のある作詞家「なかにしれい」のヒット曲「石狩挽歌」の石碑が、旧青山別邸の入口の左手にある。自然石を組み上げた台座に石狩挽歌の歌詞が刻まれ、その上に石狩挽歌記念碑の文字がある大きな石柱が乗っている。この鰊漁の挽歌は今でもカラオケで唄われているとか。
◇所在地:小樽市祝津3丁目63 旧青山別邸内

オタルナイ運上屋跡石碑・説明板 小樽市 MAP

オタルナイ運上屋跡

この地域には江差追分「忍路・高島及びもないがせめて歌棄・磯谷まで」にある高島と忍路、オタルナイの3ヶ所に運上屋があった。オタルナイ運上屋の設置時期は明らかではないが享保年間と考えられており、元々はヲタスツにあったらしい。知行主は松前藩重臣の氏家氏、場所請負人は恵比寿屋岡田家でしたが、1865年に場所請負制度の廃止後に本陣となるも、1866年の火災により建物は消失。メルヘン交差点そばに「史跡オタルナイ運上屋跡」の石柱と看板がある。江差追分にも唄われたニシン場の中心にいたのが明治以前は運上屋と言うことになります。
◇記念碑:史跡脊柱と説明板 ◇所在地:小樽市堺町6
◇N43°11’27.02” E141°00’26.05”

旧 猪俣安之丞邸観光旅館 銀鱗荘

余市町で猪俣安之丞氏が明治33(1900)年に3年の年月をかけて建てた豪華なニシン御殿。木造一部2階建、原型は延べ450平方mともいうが、昭和13年から14年にかけ現在地へ移築され原型が大きく損なわれたというも一見に値する。現在は観光旅館「銀鱗荘」として利用されており、内部の造りは建設時とはかなり変更されているようです。その特徴を言うと「宿泊出来る唯一の鰊御殿」ということになるようです。公式サイトはこちらから 銀鱗荘
◇所在地:北海道小樽市桜1丁目1−13

旧青山家住宅北海道開拓の村 MAP

旧青山家住宅

かつて祝津の三大網元とされた「青山家」の本邸で内部の見学も出来ます。番屋として見るなら豪勢な趣向で、瓦葺き屋根と破風屋根、漆喰塗りの外壁と煙出し、玄関の雲形の木鼻は寺院拝殿を思わせる造りで、高級な和風番屋という趣です。敷地内には母屋、網倉、船倉、石倉、文庫倉、海産干場など多数の施設が移築保存されており鰊漁場の建物が集約的に保存されている所は少ない。ドラマ「マッサン」に登場した森野熊虎のニシン御殿は移築した鰊御殿で撮影したとか。 ◇所在地:北海道札幌市厚別区厚別町小野幌50-1

蘭島の鰊塚小樽市

鰊塚

碑は網元でもあった水産加工業の丸山氏が鰊への供養として建立したもので蘭島海水浴場の中間部で公衆トイレ横にある。
碑誌『にしん にしん にしん 俺は汝を恋して五十有余年 恋は果てんとす 今一度群来よ 忍路の海へ・・・幻の魚 昭和五十四年六月 建立者 本間栄太郎』JR蘭島駅はもともと忍路と呼ばれていたというが明治39年に蘭島に改められたという。そういうことで碑誌にある忍路の海というのは納得できるでしょう。蘭島海水浴場は蘭島に駅が出来た翌年の明治36年に、蘭島海岸に休憩所を設けたのが始まりと云い北海道海水浴場開設発祥之地の碑もある。隣の余市町にも鰊塚があるということです。◇所在地:小樽市蘭島1丁目

にしん街道を巡る旅・追分ソーランライン-ミニギャラリー

ソ-ラン節の古里 積丹の碑にしん街道標柱・積丹町積丹 ソ-ラン節の碑旧余市福原漁場02旧余市福原漁場03旧余市福原漁場04
旧青山別邸02旧青山別邸03石狩挽歌記念碑茨木家茨木家中出張番屋02旧白鳥家の石倉
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