シリベシぐるっとプチ旅‼
余市町・赤井川村・古平町~岩内町を巡る旅‼

赤井川村と追分ソーランラインを巡る

西崎山環状列石北海道史跡 余市町 MAP

西崎山環状列石

西崎山環状列石群は、第1区から第4区まであり、その中で海抜70mの西崎山に丘上にある第1区が北海道の史跡に指定されている。サークルは縄文時代後期の墓で、直径1~2mの遺構が7か所密集して、一つの大きなサークルを形成、長径17m、短径12mの楕円形で、環状列石墓と推定され土器や石鏃が発見されている。大小数百個の自然石が並べられていますが、この環状列石は復元されたものという。余市から小樽に抜ける広域農道の際に入り口あり、小樽のストーンサークルに比べると手入れが行き届いていた。◇所在地:余市郡余市町栄町
◇標高67,1m N43°11’41,67” E140°50’78,52”

カフェ ディ ローデ余市町 MAP

カフェ ディ ローデ

ストンサークルを探していて偶然目に入ったカフェ。散々歩き回った後で疲労と空腹が重なり迷わず入店。開店して間もなくと云う店内は木の香りがして落ち着けました。いつもの事ですが待たされるのが嫌いな僕はカレーをオーダー。カレーと言っても地産地消がモットーらしく素材は地元産と云う事で旨かった~です。機会があれば再訪したいカフェです。◇所在地:余市町登町237 フルーツ通り ◇標高42,4m N43°11’23,23” E140°50’01,74”

フゴッペ洞窟余市町

フゴッペ洞窟

 縄文海進による浸食で出来た海食洞にある続縄文後期(1600~1300)に属する遺跡で、洞窟の奥行は約15m、問口約6m、高さ約7mで土器、骨角器、炉跡の他、壁面のいたる所に原始的な刻画が200以上あり、人物や動物、船などを象徴したものと推定されるものが多く、呪術的な性貭を有するものと考えられている。人物像の殆どは角を持っておりシャーマン説が有力。日本国内では小樽市手宮洞窟の他には類例のない遺跡ですが、このような刻画は日本海に面するロシア、中国、朝鮮半島などにも見られるという。フゴッペ遺跡と云う場合はフゴッペ洞窟と昭和2年に丸山の鉄道工事で発見(現在のフゴッペ洞窟の裏側)された古代文字様の壁画と石偶を含む場合がある。違星北斗は偽物の可能性を指摘し、遺跡を保存し後世の検証に待つという姿勢だったが、金田一京助が偽物と断定し厳密な調査がされること無く朽ちて現存しない。フゴッペ洞窟や手宮洞窟が同時代のものであった事を考慮すれば、全く無関係であったとは言い切れないが時すでに遅しです。手宮洞窟と違い誰が見ても刻画がはっきりわかる。それに刻画のレプリカもあるので間近でよく見られる。◇所在地:所在地:余市町栄町87番地

よいち水産博物館余市町

よいち水産博物館

大谷地貝塚(国指定史跡=現地は看板のみ)の出土品やにしん漁関連の歴史や道具などが展示されている。前庭に違星北斗、石川啄木、野口雨情の句碑と復元された八幡山環状列石がある。水産博物館となっているが宇宙以外は余市の文化、地質、考古学などの展示や資料が調った郷土博物館です。屋外ににしん船(保津船?)も展示していた。◇所在地:余市町入舟町

違星北斗句碑余市町 MAP

違星北斗句碑

余市出身の違星北斗(いぼしほくと1902~1929本名滝次郎)はバチラー八重子、森竹竹市と並ぶアイヌ三大歌人の一人と称され社会運動家。同族の地位向上の運動に一生を捧げ、その想いを新聞や雑誌に短歌の形で発表し、同時代のアイヌの青年たちに影響を与えた。アイヌ民族地位向上のために啓蒙活動していましたが病気で昭和4年、満27歳で夭折。翌昭和5年担任教師だった余市小学校訓導古田謙二氏が集めた遺稿集”コタン”が出版されています。知里幸恵の「アイヌ神謡集」と出会った事が違星北斗の作品に大きな影響を及ぼしたという。余市水産博物館前に昭和52年に句碑が建立され、ニシン全盛期の頃の余市を「春浅き 鰊の浦や 雪五尺」と横ナブリに刻まれている。平取町ニ風谷には歌碑がる。◇所在地:余市町入舟町21

阿部引田臣比羅夫之像余市町 MAP

阿部引田臣比羅夫之像

碑文より
「日本書記によって伝えられる、斉明朝5(西暦651)年 阿部引田臣比羅夫は大和朝廷の命を受け船師180艘を卒いて渡島に来り。時に問う兎(トウヒ)の蝦夷胆鹿島兎穂名の二人進んで曰く、後方羊諦を以って政所と為すべし。焉胆鹿島等の語に随い遂に郡領を置いて帰るとあり、この後方羊蹄なる地の解明については長い間歴史家の課題であるが、明治大学法史学研究地方史研究室長・滝川政次郎博士、同理事・島田正郎博士の現地調査報告、並びに余市郷土研究会の研究調査の結果、後方羊蹄はシリパヨウチ即ちシリパ山のあるヨイチとなるとの結論を得た。依って政所を置いた地は余市と想定し北海道文化財保護協会理事・今善作氏の?出金により、ここに阿部引田臣比羅夫の記念像を建立する」※句読点を付け足し。
具体的な物証に乏しいが、政所をおいた後方羊蹄の地は未解明であったが研究の結果、後方羊蹄をシリパヨウチて有ると断定、余市を北海道最古之都と宣言している。松浦武四郎のファンや羊蹄山麓の人は後方羊蹄をシリベシと読むが、ここでは後方羊蹄をシリパヨウチと読むということだ・・・千歳川流域の擦文遺跡や余市町大川遺跡で7世紀の物とされる本州製の刀剣や金具などの出土がある以上は否定もできず、楽しみが一つ増えたと思えばよい。比羅夫之像には松浦武四郎の歌碑もあった。◇所在地:余市町港町 旧稲荷神社跡

稲荷神社跡の石段余市町

稲荷神社跡の石段

文政11年に稲荷神社が創設され240年と余市で最も歴史あるが、山碓稲荷との合祀を経て余市神社となっている。稲荷神社跡の石段は余市町指定文化財。今は稲荷神社跡に阿倍比羅夫記念碑がある。松浦武四郎の蝦夷日誌では「ヤマウス訛てヤマシと云也・・・岸には多く二八小屋有る也」と、西蝦夷日誌に「ヤマシ (番や、板くら、茅くら、いなり) 山道此處に逢ふなり」とあるのが山碓稲荷のことのようだ。◇所在地:余市町港

ヨイチユワナイ間山道切開策定処余市町

ヨイチユワナイ間山道切開策定処

旧余市福原漁場に近い国道沿いにある3石碑三基の一つで「幕府西蝦夷地巡見視目付遠山金四郎景晋 幕府勘定吟味役目付村垣左太夫定行ヨイチユワナイ間山道切開策定処」と長い。遠山金四郎景晋は「遠山の金さん」こと遠山金四郎景元の実父、景晋は蝦夷地に3回程渡っているが、2回目の蝦夷地巡察では文化3(1806)年から翌年にかけて積丹・余市・小樽・石狩から宗谷にかけて西蝦夷地を廻るが、その際に蝦夷地内で7ヶ所の道路開削をしており其れと関わりがありそうです。他に「ヨイチユワナイ街道余市口」の碑はここが岩内への山道口だった事を示すようです。「余市教学所跡」の碑は旧会津藩士ゆかりのもののようです。◇所在地:余市町浜中町

えびす岩・大福岩・ローソク岩MAP

稲荷神社跡の石段

えびす岩は奇岩と云うほどではないが背景がそれなりに良く絵になる所で、大福岩は接地面が細くなって何時倒れるかという雰囲気が妙な魅力だ。ローソク岩かってにしん漁全盛の頃は此辺で鰊が良くとれたという。いくつか伝説がのこっている。それに男性のシンボルという話にも・・地名にあるように崖の一部か見事に白くなっている所もある。
◇撮影地:余市町白岩町 ◇N43°14’44” E140°44’0944”

穴岩不動赤井川村 MAP

穴岩不動

自然が創り出した岩穴にお不動さんがひっそりと祭られている神秘的な場所です。国道395線沿いの大聖寺近くにありますが、落石の恐れありとのことで中への立ち入りはできません。という訳で双眼鏡が必要かも、撮影は要望遠です。◇撮影地:余市郡赤井川村字都207
◇標高165,3m N43°03’10,09” E140°51’53,41”

セタカムイ岩古平町 MAP

セタカムイ岩

海岸沿いにある高さ80mの巨岩で、岩越しに昇る朝日の名所という。セタカムイ岩の伝説は「昔、ラルマキという若い漁師が犬と一緒に暮らしていた。ある日ラルマキは漁に出かけるが、大時化のために遭難して還らぬ人となってしまった。しかしそれを知らない犬は、飼い主の帰りを待って嵐の中を鳴き続けた。そして嵐がやんだ後、その犬は岩と化していた」と。他の言い伝えも残されているが、帰らぬ主人を待ち続けて岩になったという部分は共通する。以前はもっと近く迄よれたがトンネル崩落事故で豊浜トンネルが廃道になり、セタカムイ岩はセタカムイ道路防災記念公園からしか見られない。松浦武四郎の西蝦夷日誌にある「セタカモイ、カモイエトウともいう」という言葉からすれば犬と解するのは不自然で、カモイエトウという本命の岬があり、それに比べこのカモイエトウはたいしたことがないと言う意味でセタカモイと云う事の様だと聞かされた。本命の岬は有名な神威岬と云う事になるのででしょうか。
◇所在地:古平町大字沖町11番地 ◇N43°15’25,05” E140°41’10,64”

セタカムイ道路防災記念公園古平町

セタカムイ道路防災記念公園

沖歌トンネルと豊浜トンネルの間にある公園で、すぐ近くで1996年に豊浜トンネル崩落事故が発生、トンネルを押しつぶし、路線バスと乗用車が巻き込まれ20名の尊い命が失われた。公園には犠牲者の霊を祭った慰霊碑と、防災記念碑がある。防災公園から先は立入禁止です。
◇所在地:古平町大字沖町11番地 ◇N43°15’25,05” E140°41’10,64”

漁霊碑(魚供養碑)古平町

古平漁霊碑

古平漁協前に立ってる大きな碑で「千古を誇る蝦夷地の開拓は海道に始まり魚族に生きる人々に因って一歩を踏みだした」の碑文で始まる古平町開基100年の記念碑だ。鰊で栄えた町らしいと云えばそれまでだが、開基、発祥、開拓と名のつく記念碑は和人の歴史が全てであるかの様な碑文が多い。北海道では漁業の多くが場所請負という植民地経営方式によるアイヌ民族の酷使が伴い、農業では各地でアイヌ民族の強制移住があった。敗者の歴史は埋もれていくがアイヌ語由来の地名を名乗っているのが唯一の救いか。◇所在地:古平町港町 ◇N43°16’2970” E140°38’2374”

島武意海岸・屏風岩積丹町 MAP

島武意海岸・屏風岩

道道913号線から脇道に入りエンジンの悲鳴を聞きながら坂上の駐車場へ。ここから歩いて素掘りの島武意海岸トンネルを越えれば島武意海岸。元々はニシン魚が盛んな頃に荷揚げ用に掘られた人専用のトンネルなので、狭く照明もないので中央部は何も見えない程。トンネルを抜けると一気に視界が開け、目前に高さ64mの屏風岩と真っ白な島武意海岸、透明度の高い海からは岩盤がのぞき、積丹ブルーの日本海。積丹半島を代表する景勝地で日本の渚百選にも選ばれている。元々は荷揚げ道だったつづら折れの歩道で海岸に降りられるが、標高差70m程あるので戻ってくるのが大変。◇撮影地: 積丹町大字入舸町 ◇N43°22’3303” E140°26’6592”

神威神社積丹町 MAP

来岸・神威神社

寛文3(1663)年に神岬に再建され、現在の社は明治3年に神殿と共に建立(場所の移転は?)。神殿自体が絢爛豪華を極め道の文化財に指定というが外見からは想像もつかない。外見上は細かい造作は見て取れるも至って普通の神社。松浦武四郎の西蝦夷日誌に「ここにオカムイの拝殿というものあり」と記され古くから名の知られた神社であったようです。
◇所在地:積丹町来岸町 ◇N43°19’76,87” E140°23’92,40”

沼前駐車公園積丹町 MAP

沼前駐車公園

国道229号線の積丹トンネルの北側、沼前岬手前にトイレの完備された駐車場公園がある。これが沼前駐車場で北外れに「ソーラン節のふる里・積丹」と書かれた大きなソーラン節発祥之地碑が建っている。国道229号線は通称追分ソーランラインと呼ばれて積丹町はソーラン節の故郷と称し古平とここの2ヶ所に碑があり、同様に余市町もソーラン節の故郷を主張、国道229号線の新豊浜トンネルの東側入口横に碑がある。ただ神威岬や神威岩をバックにソーラン節発祥之地碑を眺められる眺望と記念碑の立派では積丹が圧倒的優位。この沼前駐車場のすぐ北にある切り立った石神岩は迫力があり、海だけでなく山側の眺めもよい。
◇所在地:積丹町大字神岬町 ◇N43°17’23,36” E140°20’87,75”

西の河原駐車場神恵内村 MAP

西の河原駐車場

ジュウボウ岬(西の河原)を挟んで国道229号線の「西の河原トンネル」積丹側と神恵内側にパーキングがあるがトイレは使えないようです。「大天狗トンネル」と「西の河原トンネル」の間にある西の河原駐車公園から、以前は「西の河原」まで陸路でいける遊歩道があったようですが、岬の右側が崩壊し遊歩道は通行止めになっている。どちらの駐車場からも見た感じでは釣りはできそうな雰囲気でした。そんな訳で「西の河原」に行けるのはシーカヤックくらい、我々凡人は両側のパーキングからその雰囲気の一端を窺うのみです。「西の河原」には積み上げられた石と難破船の犠牲者を供養するために祀られた地蔵堂があり、古くはカムイミンタラとも呼ばれた積丹半島の霊場とされています。◇所在地:神恵内村珊内
◇西の河原駐車場・神恵内側 ◇N43°14’87,53” E140°20’04,50”

弁財澗・弁財トマリ神恵内村

弁財トマリ

かつて弁財船が湾内に停泊できたので弁財泊と呼ばれるようになったと思われる。松浦武四郎の「再航蝦夷日誌」に「弁才トマリ、舟掛り澗。六百石位のもの、二、三艘かかる也」と記載され、今も杭跡が残っているとのこと。江戸期からある地名で、ラウネトマリともいうが、名前のように深そうには見えないが、透明度が高いので浅く見えるのかもしれない。かつては神恵内の物流で重要な地だったようです。今は無人の地だが弁財澗のバス停がある。この海岸に降りるルートが何通りかあるようですが、今は釣り師専用でしょうか・・・
◇所在地:神恵内村弁財澗 ◇N43°07’68” E140°26’45”

野生ホップ発見の地碑岩内町

野生ホップ発見の地碑

明治4(1871)年に岩内町で野生ホップが発見されたという。岩内町には野生ホップ発見の地碑と野生ホップの発見者、トーマス・アンチセル氏の碑がある。蛇足ですが美瑛で釣りをしたときに河川敷にホップらしき植物をなんとが見ている。栽培品が野生化したものか・・・ちなみに岩内町はヨーロッパ原産のアスパラガスの栽培にを日本で最初に成功した地で、「日本のアスパラガス発祥の地」という碑もある。のちにアスパラガスの生産は喜茂別地方に変わるが。
◇所在地:岩内町清住5−3 岩内町郷土館前庭

雷電海岸と刀掛岩岩内町 MAP

雷電海岸刀掛岩

刀掛岩と夕日のコントラストが美しくしいというが・・・ 弁慶が、雷電峠で休息した際、岩をひねって大刀を置いた。海岸で釣りをする際に大刀を掛けたなど様々な逸話がある、岩内町のシンボル的な岩です。カスペトンネル入口前にある「生まれ出づる悩み」の一節を記した有島武郎文学碑の所からが見るのが良さそう。◇撮影地:岩内町字敷島内付近

シリベシぐるっとプチ旅ミニギャラリー

えびす・大黒岩西崎山環状列石2ローソク岩旧余市運上家復元・八幡山環状列石島武意海岸
西の河原駐車場弁財トマリ神恵内神社ヨイチ山道口の碑フィッシュ アンド 名駒 展示名駒小学校の記念碑
えびす岩ヨイチユワナイ街道余市口阿倍比羅夫像セタカムイ岩セタカムイ記念碑穴岩不動神威神社石標柱野生ホップ発見の地
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