日高西部を巡る旅‼
日高・大平洋ライン-ぐるっとプチ旅‼

日高町、平取町、新冠町を巡る‼

イザベラ・バードが歩いた道日髙門別 MAP

イザベラ・バードが歩いた道

イザべラ・バードが歩いた道の説明板は地図でそのルートを示しているが、その足跡の中で日髙門別から平取の義経神社までの区間は沙流川沿いに一部公道を含むも本格的なフッとパスとして整備されている。 白老や七飯町の場合はフットパスとしては不十分だが、その足跡図を見て周辺を歩くことにはできる。イザべラ・バードは最初は沙流川左岸台地、福万付近で川を渡り平取に向かった。その足跡を歩こうというフットパス最初のスタート地点が門別図書館と云うことになる。◇所在地:日高町富川東1丁目3−1

義経神社平取町

義経神社

近藤重蔵が1798年の蝦夷地調査の際に、アイヌの神・オキクルミと結びついた義経信仰があるのを知り、江戸に戻ってから自分に似せた義経像を彫らせて、翌年、再び蝦夷地調査に向かう途中、オキクルミの言い伝えがある平取のハヨピラに義経像を安置し祠を建てたという。義経伝説で建立された唯一の神社ですが、徳川の祖とされる源氏崇拝は幕府には都合の良いことで、近藤重蔵らはそれを利用したとしても何ら不思議ではないだろう。神社は義経公園の一角にあり義経資料館や沙流川と日高山脈の山稜を眺望できる展望台もある。◇平取町本町

イザベラ・バードが歩いた道義経神社 平取町 MAP

バードが歩いた道・義経神社

イサベラバードはアイヌ青年の案内で平取を訪れペンリウク宅に逗留、アイヌの人達と数日間を過ごしたという。「神社が建っているのは村の向こうの山の頂上で、そこまで美しいが険しい坂を歩いて行った。よじ登って云ったという方が当たって居るかもしれない」と解説板にあったが、神様は険しい所がお好きなようで、バードが訪れた頃は今のハヨピラと呼ばれる所に神社があったようだ。今は崩落の危険有りとハヨピラへの立ち入りは禁止となっている。◇平取町本町

イザベラ・バードが歩いた道紫雲古津 平取町 MAP

バードが歩いた道・紫雲古津

平取町には2ヶ所、紫雲古津大橋近くと義経神社前に、あと日高(鵡川)の門別図書館・郷土資料館横にありフットパスとして整備されているとのことで標識も設置されている。明治11年8月22日に富川を出たイザベラ・バードは渡船(紫雲古津)で対岸に渡り「二人の少年に案内してもらい、松木船で出来るだけ上流にさかのぼることにした」とあるが、殆どは陸路で平取りに至っているようです。かつての渡船場は紫雲古津大橋に変わっているが、その橋近くにある紫雲古津のバード解説板は素材の特質か映り込みがあり撮影は面倒かも。◇平取町紫雲古津

ニール・ゴルドン・マンロー二風谷・歴史の散歩道

ニール・ゴルドン・マンロー記念碑

スコットランド出身の医師で日本における考古学、人類学の先駆的研究者の一人。明治25年に来日し医師として勤める傍ら考古学やアイヌ文化の研究にも力を注いだ。その縁で二風谷への永住を決意し昭和7年に移住、二風谷コタンに在住し医師として献身的に医療を施し、9年後この地で亡くなった。マンロー博士の私宅(マンロー館)が登録有形文化財となって一般公開(夏期間・事前予約必要)されています。◇平取町二風谷 歴史の散歩道

イザベラ・バード二風谷・歴史の散歩道

イザベラ・バード記念碑

碑より「英国人の女性旅行家で紀行作家。明治11年47歳の時に来日し、通訳の和人青年を案内人として8月に北海道を訪れた。函館からの陸路は全て馬で踏破し、沙流川の河口からは丸木船で川を上がった。アイヌ集落の取材を目的とした来訪であったが、平村ペンリウク宅に滞在しながらの四日間観察叙述は明治初期の民族史的記録としてきわめて貴重なものである。以下省略」
◇平取町二風谷 歴史の散歩道

金田一京助二風谷・歴史の散歩道

金田一京助記念碑

碑より「言語学者・国語国文学者。ユカラの研究者でもあった金田一京助がアイヌの口承文芸「ユカラ」を世界的に有名にした功績は大きく、沙流川筋のアイヌから資料を集め、教えを請うことが多かった。萱野茂氏も京助の晩年のアイヌ語・アイヌ文化研究を大いに助けた一人である。--中略--ものもいわず こえもださじ 石はただ 全身をもって己を語る」萱野茂二風谷アイヌ資料館前庭に昭和43年の建立という歌碑があり、同じ歌が刻まれている。◇平取町二風谷 歴史の散歩道

エディース・メアリー二風谷・歴史の散歩道

メアリー記念碑

碑より「明治期に平取で活躍した伝道看護婦。ロンドンの病院で看護婦をしていたが、ジョン・バチラーに頼まれて明治30年平取に来た。義経神社下の「ホスピタル・レスツ」で住民の治療に当たりながら、キリスト教を広める活動をした。明治31年の沙流川大洪水の際には、被災した人達を献身的に世話をして深く信頼される」以下略 歴史の散歩道にはここで紹介した他に平取町で活躍したアイヌ三大歌人のひとりで社会運動家の違星北斗、宣教師で社会事業家のジョン=バチェラー、北の探検家で北海道の名付け親として知られる松浦武四郎、義経神社の創建社として縁の深い幕臣、近藤重蔵など全部で9人の記念碑があります。◇平取町二風谷 歴史の散歩道

金成マツの碑二風谷・歴史の散歩道

金成マツ記念碑

金成ナミと共にジョン・バチェラーによって設立された函館の愛憐学校に入学し、卒業後、妹と共に平取村の開拓・キリスト教の布教にあたった。養女の知里幸恵は妹ナミの娘、甥の知里真志保はアイヌの言語学者。ユーカラをラテン文字表記で約100冊のノートに書き綴った金成マツノートを、金田一京助や萱野茂が翻訳していた。2007年に半分以上が手付かずのまま翻訳を終了した。
◇平取町二風谷 歴史の散歩道

違星北斗歌碑平取町 MAP

違星北斗歌碑

違星北斗はバチラー八重子、森竹竹市と並ぶ「アイヌ三大歌人」の一人とも云い、啄木の影響を受けているともいうがアイヌ民族の生活感情をアイヌ民族自身が歌ったという意味では他にないようです。碑は「違星北斗の会」が計画し昭和43年に平取町ニ風谷小学校校庭に建立された。碑は歌を刻んだ石碑を土マンジュウで覆ったもので、秋は落葉に覆われ、冬は雪に埋もれ、春から夏にかけてだけ姿を現すように設計されているというが、それをみて気付く人がいるとは思えない。遺作中から「沙流川は 昨日の雨で 水にごり コタンの昔 囁きつ行く」と「平取に 浴場一つ ほしいもの 金があったら たてたいものを」の二首が刻まれている。経年劣化で碑の一部が剥がれ落ちているが碑文は問題なくよめます。余市水産博物館前には句碑がある。
◇平取町二風谷 平取町ニ風谷小学校校庭

平取町立二風谷アイヌ文化博物館平取町

二風谷アイヌ文化博物館

昭和47(1972)年に萱野茂氏のコレクションから始まった平取町営資料館が元になって平成3(1991)年に開設された。「アイヌ伝統文化の今日的継承」を理念に掲げた比較的大きな博物館で、アイヌ文化に限定するならその展示規模は屋内外ともに道内最大級で、アイヌの人々の暮らしや農耕、狩猟の道具、伝統工芸、カムイの信仰や精神などを展示、映像と併せて詳しく紹介。また白老のように観光化されていない雰囲気も印象を良くしている。併設して沙流川歴史館があり沙流川流域の旧石器時代などの遺跡や自然などを判りやすく展示しています。◇平取町二風谷

萱野茂二風谷アイヌ資料館平取町

萱野茂二風谷アイヌ資料館

萱野茂氏が二風谷アイヌ文化資料館として昭和47(1972)年に開館し平取町に無償譲渡され平取町営アイヌ文化資料館となるが、平成3(1991)年の平取町立二風谷アイヌ文化博物館開設に伴い旧資料館の資料は博物館へ移されました。旧資料館を再利用して萱野茂の新たなアイヌ民具コレクションと新規制作した民具資料によって「萱野茂アイヌ記念館」として平成4(1992)年に再建、のちに萱野茂二風谷アイヌ資料館と改称しています。平取町立二風谷アイヌ文化博物館は白老ポロトコタンと並ぶ屋内外の展示を誇りますが、萱野茂二風谷アイヌ資料館では他の博物館では見られない北方民族の資料やコレクションがある。屋外展示は生活感のある楽しい展示になっている。平取町立二風谷アイヌ文化博物館との共通券あり。冬期間は要連絡。◇平取町二風谷

サラブレッド銀座駐車公園新冠町

サラブレッド銀座駐車公園

新冠の町の北のはずれで判官館麓に近い国道235号線と道道209号線の交差点近くで、見晴らしの良い高台上にサラブレッド銀座駐車公園がある。小規模の駐車公園だが展望台からは新冠のサラブレッド牧場のパノラマが一望できる展望の良さで新冠八景という。国道からは少し外れているので静かで落ち着けること、東屋や馬の形をしたモニュメントなどがあり馬産地ということを実感させる。近くには珍しい泥火山で出来たという小山がある。◇新冠町高江

サラブレット大壁画新冠町

サラブレット大壁画

新冠町の節婦から市街地に向かう途中、進行方向左の山肌に大きく描かれていますが運転に集中していたら気付かないかも。馬産の地新冠らしいが車を止めてみるならドライブインの横がよさそうです。個人的には節婦漁港から砂浜を歩いて新冠会所跡に行く途中で見たのが1番よい雰囲気だった。平成2年の設置で部分的にはがれ落ちているが、新しくなると云う話も・・◇新冠町節婦

判官館(判官岬)新冠町

判官館(判官岬)

新冠川河口に聳立する岩壁上の小山で義経伝説では義経自ら判官館と名付けたという。館はヤカタではなくタテと読み、道南13館などと同じで山城ということだか遺構の存在は聞いていない。かつてはピポクチャシと呼ばれた砦で祭場でもあったという。また寛文9年エゾの乱でシベチャリの英雄シャクシャインが謀略で誘き出され謀殺されたのも新冠だった。松浦武四郎の記録でも判官館で古くから用いられている地名のようですが、今はキャンプ場やバーベキューハウスなどがありアウトドアスポットとなっている。眺望を楽しむなら判官岬、東屋があるだけですが新冠市街はよくみえる。判官館の崖下海側に幕府の会所跡、新冠川沿いの山裾に判官館青年の家、その前の川筋にカッパ伝説の説明板があった。◇新冠町高江

姉去土人学校跡新冠町 MAP

姉去土人学校跡

碑文より一部抜粋「この地域は、昔から多くのアイヌのが人達が住んでいたところです。明治29年、吉川アシンノカルは、アイヌ子弟の教育のため、私費を投じてこの地に土人学校(吉川教育所)を設立し開校しましたが、翌年の五月には教師が退職するなどの理由から休校となりました。明治36年、旧土人保護法による学校設置に際し、この学校は北海道道庁に献納され姉去土人学校(姉去簡易教育所)として開校しました。」土人保護法という差別的な処遇に追い打ちをかけたのは強制移住でした。◇新冠郡新冠町大富?

英傑シャクシャイン像新ひだか町 MAP

英傑シャクシャイン像

シャクシャイン像の碑文より転載しました。
「日本書紀によれば、斉明の代(西暦650年代)においてすでに北海道は先住民族が安住し、自らアイヌモシリ(人間世界)と呼ぶ楽天地であり、とりわけ日高地方は文化神アエオイナカムイ降臨の地と伝承されるユーカラ(叙事詩)の郷であった。今から約300年前シャクシャインはここシビチャリのチャシ城砦を中心として、コタンの秩序と平和を守るオッテナ(酋長)であった。当時自然の宝庫であった此の地の海産物及び毛皮資源を求めて来道した和人に心より協力、交易物資獲得の支柱となって和人に多大の利益をもたらしたのであるが、松前藩政の非道な圧迫と搾取は日増しにつのり、同族の生活は重大脅威にさらされた。慈にシャクシャインは人間平等の理想を貫かんとして、民族自衛のため止むなく蜂起したが衆寡敵せず敗れる結果となった。しかし其の志は尊く永く英傑シャクシャインを崇められるゆえんであり、この戦を世に寛文九年エゾの乱と言う。いま静かに想起するとき、数世紀前より無人の荒野エゾ地の大自然にいどみ、人類永住の郷土をひらき今日の北海道開基の礎となった同胞の犠牲に瞑目し鎮魂の碑として、ここに英傑シャクシャインの像を建て、日本民族の成り立ちを■■(思考?)するよすがとすると共に、■(父?)祖先人の開拓精神を自らの血脈の中に呼び起こしてわが郷土の悠久の平和と彌栄を記念する。1870年915月 シャクシャイン顕彰会」※碑文は碑設置後40年を過ぎ読めない部分もありました。
◇所在地:新ひだか町静内町真歌

ユカルの塔と頌徳碑新ひだか町

ユカルの塔と頌徳碑

ユカルの塔と英傑シャクシャイン像建立の経過です。碑文より転載
「碑文 まごころと真実、尊敬と信頼、先人の御霊に深く瞑目し、その偉徳を偲ぶ人々の限りない善意と敬虔の願いが呼応しあいこの地真歌の丘に、英傑シャクシャインの勇姿蘇える。時1970年秋のことである。次いで1971年顕彰の趣意を示す碑文抄の完成。翌1972年、古式に則りオッチケ(神膳)を台座となし、その全面に神々の心をたずねる神器カムイスパイを配し、未来永劫絶えせぬ慰霊の祈りをこめて「ユカルの塔」天空に建つ。これら一連の事業達成の基は自ら自覚め、他面に亘る協力を惜しまなかった各位の御芳志の賜であり、町内有志はいうに及ばず道内外の地域から八百有余人にわたる募金の協力を始めとした幾多の人々の深い御理解と御支援の結晶である。そのひとりひとりの御芳名を、勇者の英姿と共に、後?に残すべく志向してきたところであるが、未来に続くより広汎な善意と御支援にも謝する趣意をもって、頌徳の辞に代え満腔の謝意を顕す次第である。この意をもって、1974年当時の生活に必須のニス(臼)とイウタニ(杵)を配し、後面の円もには、日輪を象った頌徳板の完成をみ、ひとつの区切りとしたものである。先人の御霊永遠に安かれ、心ひとつに結ばれた諸賢同胞に栄光あれ 1974年9月23日 シャクシャイン顕彰会」
◇新ひだか町静内町真歌

日高西部ミニギャラリー

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シントコ萱野茂二風谷アイヌ資料館2萱野茂二風谷アイヌ資料館3二風谷アイヌ文化博物館2二風谷アイヌ文化博物館3二風谷アイヌ文化博物館4
義経峠新冠カッパ伝説サラブレット大壁画2サラブレット大壁画説明板新冠会所跡(墓碑)シベチャリチャシ跡より静内市街を望む
漁皮衣服近藤重蔵記念碑判官岬海側・会所跡シャクシャイン像一石一字観音海鳥営巣地・日高耶馬渓幌泉灯台記念塔えりも岬灯台
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