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北見に残されたアイヌ伝説と昔ばなし‼

イワケシ山と常呂神社の伝説

伝説のイワケシ山

北見市常呂町富岡の南方で神聖な山とされた標高425mの山と常呂神社にあった砦の伝承。常呂村史や町史に何度も掲載されているが長いので要約して掲載『斜里アイヌと北見アイヌの衝突地点は、常呂で有り北見アイヌは、常呂神社のあった所に第一砦を築き水神を祀り、イワケシ山に第二砦を築き山神を祀り、斜里アイヌ進出の阻止に備えていた。常呂神社龍神の水戦いは長期に及び、第一砦が先に陥落し、第二砦も四方から火を放たれ負けてしまう。イワケシ山は女人禁制であったが、斜里アイヌの中にメノコがいたため山神の怒りにふれ、全山火の海と化し、敵味方共一人残さず焼き殺されたという。第二砦の北見アイヌの武将無念やる方なく、骨身は赤石に、その血は赤土に化したという。また戦いの兆候のある時は必ず常呂川の水が盛り上がって、白蛇がイワケシ山に登ると、イワケシ霊山は雷雲をよび、物凄い暴風雨になったという白蛇伝説が有り、常呂神社の龍神として祭られている』※常呂神社の龍神の泉はこれに由来すると掲示して有った。

常呂の畑仕事の村

常呂川河畔に(現在名では共立附近と思われるが正確な所は不明?)トイタコタンという所があった。畑作りの処の義である。昔オイナカムイが初めて天上より粟の種を蒔いて畑を作った処である。北見国トコロ郡トコロ川西岸にある。今は樹木多く畑地の跡は無い。中田千春・アイヌ神話※話の原型は蝦夷語地名解の「古ヘ畑ヲ作リタル処ナリトイエドモ、今ハ樹木茂リテ其跡見ズ」とあるものか、松浦武四郎もここに上陸して記録を残しているが、神話に類する記載は無い事を附しておく。

常呂川上の山男

北見常呂川の支流無加川の山奥に分け入ったアイヌが、流れに木の切片が流れ下るのを発見して、人がいるか探ったところ、全身毛深く熊のようなそして顔面にさえ、非常に毛深き裸体の人間を見た。これぞキムンアイヌというものであった。この話は実見した男の妻から聞いたとホムロサルのパレシナの直話。また、ある時石狩の山奥に二人の老爺が分け入った。すると殺害されたアイヌの屍があったので、何者の仕業だろうと探ったら、例のキムンアイヌであることが分かった。彼はとある洞窟に隠れた。二人は逃がすものかと洞窟に突進すると、中からエヨカプ(鎧)の小さいもの一つを洞口に投げ出した。二人は一考した。アイヌの習慣として、これは謝罪の印としての償いであると、こう解した。そこでしいて殺しては却って災いあるに違いないと、そのよろいを収めてかえったという。そのよろいは今も伝わってあるとパレシナの直話。吉田巌集・人類学雑誌29巻・更科源蔵編・アイヌ伝説集。ここに掲載している伝説以外にカムイシリの伝説や義経伝説がある。

モイワとメチャコヲマナイの伝説

伝説のモイワ・モイワチャシ

能取湖湖口と能取湖湖北岸にあるポン沼との中間附近にある標高60mほどの小山(モイワ・モイワチャシ)とその山麓附近(メチャコヲマナイ)の伝承『寛政の事変の際、国後目梨の叛夷が山越して、美幌川の上流から川沿いに網走湖畔に出て、月夜に乗じて網走のコタンを一気に襲おうとした。その時コタンの方から夥しい人声が聞こえてきた。叛夷の群れはそれを聞いて、夜討ちを気づかれたと思い、矛先を転じて常呂に向かった。途中モイワまで来ると、そこのコタンのアイヌは降参したかと見せかけさせ、酒を出して一同を歓待し、密かに網走と湧別に使者を送って援軍を求めた。そこで両方向から援軍が殺到して、酔いしれている叛夷を襲って瞬く間に数人の首を切ったので叛夷は這々の態で逃げてしまった。その時の首をこの沢に埋めたのでメチャッコ・ヲマ・ナイ「ドクロある沢」と名がついた。叛夷が湖畔で聞いた人声は、実は数百の白鳥が夜泣きしていたのであったという』※網走郡内アイヌ語地名解・知里眞志保、これは佐々木三之丞エカシより米村喜男氏が聞き取りした話です。白鳥の声も寛政の蝦夷乱と季節的にはあっている。※蝦夷語地名解では「髑髏ある沢。「ドクロ」三個ありしが今は無し」とある。

北見の盗賊

ある年北見の夜盗が襲ってきて、近文コタンの人々が皆殺しにされた事があった。その時たった一人の男だけが敵の囲みを逃れて川下に走り、現在の伊能の入口の沢のところで木に登って川を飛び越え、そこにあったエトクシュマという大岩の影に隠れていると、追手は川に落ちて死んでしまったのだろうといって引き上げて行った。そこで男は川下に走って、空知の人々にこの話をしたので、空知コタンの人々が北見の夜盗の引き上げた後を追って行くと、夜盗に加わって来た女の一人が足を痛めて遅れているのに追いつき、それを殺してなおも後を追って行った。夜盗達は上川と北見の国境を越して北見国に入り、クルオマベツという川に辿り着いて野営をして、安心して酒盛りをし歌ったり踊ったりしていると、近くの暗闇の奥に一匹の狐が現れて「バゥー」「バゥー」と鳴いて敵が攻めてくる事を知らせたがすっかり酔ってしまった夜盗の群は「何うるさく騒いでいるんだ、俺たちは近文コタンを皆殺しにしてきたのに、寝ぼけて騒いでいるのか」と悪態を言っていると、突然闇の中から空知勢が現れて、北見の夜盗は全滅させられてしまった。今でも付近にはライクル・エ・チカップ(死人を食う鳥)というのがいて、人が野営でもしていると、近くの木に来て「チ・エ・ロペ・タ・チ・エ(食べたものをまた食べたい)」といって鳴く。それは北見の夜盗が皆殺しになったとき死体を食べた怪鳥だから、この付近で決して野営するものでないと昔から言い伝えられている。※川村ムイサシマツフチ伝 更科源蔵・アイヌの伝説集 これは上川の伝説としても良かったが北見に載せた。

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