礼文町の昔話とアイヌ伝説・創作はあるかも?

シャクシャインの乱とメナシアイヌとの戦い

礼文島のアイヌ伝説の中で戦闘に関する伝承は有名なシャクシャインの戦いと、その後に起こったメナシ連合軍との闘いが大きいように思える。武四郎の西蝦夷日誌によれば利尻島の本泊は「本名トノマ・名義殿澗にして往古大将分の人の船来たりし処と云」と有り古くは松前城主の商場で有ったようです。「津軽一統志」によると「寛文10年6月28日に松前藩船の船頭忠兵衛が、交易のために「るいしん(商場)」に来たところ、「いそや」のアイヌたちが追いかけて和人と戦うように加わるように説得したが、「そうや」「ゆうへつ」「てしを」のアイヌは闘いには加わらず利尻島のアイヌたちは忠兵衛殺害を防いで助け、その忠兵衛は「いそや」のアイヌたちに償い金を支払って8月4日に松前に帰った」と云う事になっている。「いそや」のアイヌはその後礼文に向かったものか・・・礼文島の戦闘は「いそや」のアイヌ、もしくは礼文との戦争伝説があり寛文の乱にも参戦(留萌は加わらず)しているマシケアイヌで有ったのか・・・礼文島での戦闘の舞台となったと云う桃岩は祭事用なら可能でも砦としてはどう見ても不向きで、管理人は停戦の和議の時だけ桃岩で、戦闘の舞台はチャシウシでは無いかと妄想。もう一つは「みない神社」の伝承での闘いは史実から見て応援に出るのは、メナシ(根室納沙布と霧多布連合軍約2000人が宗谷を襲い60人の死者と200名の怪我人を出した)アイヌと宗谷アイヌの闘いと思えるが、利尻に共通する伝承は聞かない。

アイヌ戦争と桃岩伝説

これには9話あり、基本的には島に攻め入られて、礼文島が戦場になった時の伝承話で、外から攻め入ったのは増毛、天塩、磯谷の3通り、戦闘の結果は礼文の勝利と敗北、途中での和議の3パターン、最後の戦場もしくは和議の場所が桃岩で礼文アイヌはカフカイアイヌで統一されている。また和議の場合は利尻と宗谷アイヌがはいるのが普通。中には完全な創作民話の形をとったのも有るので元々の話に後から脚色を加えて今の形に到っていると思える。1話の物語が長いのでここでは省略するが、詳しくは「アイヌ伝承話集成」を一読されたい。ただ桃岩伝説の起源についてはシャクシャインの乱の時に和人との対決を支持し利尻島を経て礼文島に入ったと思われる磯谷アイヌとの戦闘が有力だが増毛も無視出来ない。天塩アイヌなどとのトラブルなどにより物語りの中身が変化していった様に思えるのだが、天塩アイヌとの間で大きなトラブルなどは記録にもない。礼文は「宝島」という伝説の地であったことから天塩やマシケアイヌの進入は普通なら考えられる事。豊富町若咲内近くに蝦夷の乱の時宗谷から逃げ帰ったと言う蝦夷がいたとヲフエニシヤの詞という伝説の地名が秦億麿の地名考に載っていた。

久種湖悲恋伝説

物語としてはいくつかのパターンは有るが物語の内容はほぼ同じ『今の(プウネトマリ)大沢と云われる所に有ったコタンの酋長の娘エリアの「最後の闘争に残った者に全てを許すという」言葉で、二人の仲の良かった漁師が(フプリとイコッポ)武器を持って争いヌプリがイコッポを殺してしまうが、その罪を悔いでヌプリは自害、悲観したエリアも自害してしまう、その三人が折り重なって死んだ場所に水がたまって久種湖ができたといわれる』物語によって死の順番が変わるとか、若者が兄弟で別々に育てられたと云うパターン等が有る。ただ全体の登場人物が実名で有ることや構成内容等からアイヌ伝承話と云うより元の話を脚色した話か創作民話と言う印象を受ける。

礼文島漂流伝説 礼文の神は男?

利尻、礼文、天売、焼尻島には漂流伝説が、利尻山には一夜にして抜け出したという特異な伝説があります。また利尻山が抜け出したという沼からは利尻山が見えるというのが共通した特徴です。松田伝十郎が書いた「北夷談」では樺太にあるトウキタイウツシリという山が女山で利尻山が男山だという伝説が有るが、ここで紹介するのは逆パターンの物語。『昔・その昔の太古の時。天塩の沖に有った利尻島に男を知らない美しい女神がおった。有る年のこと、支笏湖の水が溢れ、洪水となり千歳にあった山が押し流され海まで流れていき利尻島の北で止まり礼文島になった。この時利尻島に住んでいた美しい女神は流されてくる礼文島の男神を見て恐ろしくなり逃げだし、樺太島に渡り突岨山という山に変身してしまった。それからこの山を女山と呼ぶようになった』と。トッソは標高580mの山。更科源三 アイヌの伝説より。

アイヌ語地名と伝承

アイヌ語地名には、生活に密着した地名と伝承が元になった地名が有るが、伝承起源の地名は少ないのが普通。礼文では香深井が最もそれに近い、が伝承の多い桃岩にアイヌ語名がないのは不自然、伝承も全て桃岩と日本語なのが気になる。スモモなら「mona」と発音は近いが。なお礼文島のアイヌ語地名は「カムイミンタラ」に詳しい。

見内神社に関する伝承話

戦闘に関する伝承が2話、話は他にも色々とあるが基本的にはこの2話の変形と思われる。流人の女性に関する話が1話、これも色々なパターンが有る。その他にミイナカムイから変わったする話が1話が知られている。見内神社の伝承は3つの伝承が複雑に絡んでいるようです。その内容を「アイヌ伝承話集成」から拾ってみました。内容は管理人が少しの省略と妄想が加わっているので興味有る方は「アイヌ伝承話集成」の御一読を。

ミイナカムイ (後に見内神社)

見内神社

明治のはじめ頃はミヌイカムイと呼ばれていたと云うが礼文島の古老は「ミイナカムイ」と云うと有った。カフカイ岬角の先端の岩の上に小祠が祭られ、探検家松浦武四郎の記録にあるエナヲウシエンルンと有るのがそれらしい。ミイナカムイはアイヌ語の「mina-kamuy」で「微笑む魔」とでも云えば良いものか。笑うと瀬戸物などが割れるという迷信が有った様だ。アイヌ達はこの岩を非常に恐れて路を通るにもこの場所を避け笑う顔を見られない様に顔を隠して通ったので和人が「見ないカムイ」と呼ぶようになった。またアイヌ達はここにとど松の枝を切って納めたと云う、魔除け、厄払いのような風習が存在した様です。そんな訳で枯枝で森のようになっていたのを明治十四・五年頃に香深の山本久衛門の支配人某が枯枝に火をかけて焼いてしまった。その後村ではお産で死ぬ人や死産が多くなつたため、和人はここに社を建て信仰するようになったと云う。※ここまでではそれ程恐れられる理由には遠いのですが、見ない理由の説明は出来ています。

カップカイの伝説 (後に見内神社)

カップカイという婦人にまつわる伝承話。神として祀られるにはある程度のインパクトは必要と云う事でこの伝承を上げたが、他にも3話有り内容は少しずつ異なる。『ある日どこからか大きな女がやってきた。この女は長大な乳を持っていた。それは肩越しに背中の子供に乳を与える事が出来た程でアイヌ達は「カップカイ(乳を負う)」と呼んだが、この女が馬鹿に強い上乱暴なので、この女をだまし討ちにしたしまった。ところがその後毎年のように悪い病気が流行したので、きっとカップカイの祟りだとして神に祀ることにした』と有ります。※天塩から流されてきたとか、乳が張っていたから、ここで子供を産んだから、カップカイの子供がカルアンの妻と云う伝承まで有り「安産の神」として祀られている。同時に有力な香深井の地名起源説にもなっています。

ミナイカムイの岩 (後に見内神社)

アイヌ伝承話集成より『昔、天塩アイヌと宗谷アイヌとの間に戦争が起こった時、宗谷アイヌは主従関係にあった利尻と礼文に応援を求めた。そこで礼文香深コタンの酋長オムシャイヌは、部下を集め宗谷へ応援に出陣させた。その中に一隊の長としてカルアンという勇猛なアイヌも遠征にのぼった。その時カルアン(カルアンがカルチバでその妻はカップカイの娘という話も有り三者の話は複雑に絡まっている)の妻は病気であって、にわかな夫の出陣を悲しみ、海岸の岩にのぼって夫の乗った舟の行方を見守っているうち、ついに岩になってしまったのであるという。ここを通ってこの岩を見ると、何か不幸な事が起こるというので、囲いをめぐらして隠し、往来する者は顔をそむけて通ったので、「見ないで通る」という事から、ミナイカムイという様になったのであるという』※更科源三「アイヌ伝説集」より。何通りかの伝承が有るが宗谷と全て天塩アイヌの戦いとして残されるが、礼文アイヌが宗谷に援軍を出したと云うのは共通している。ただ史実では1758(宝暦8)年にノサッフ・キイタップ連合アイヌの一団(根室ノッカマプのカスンデを中心とした部隊)がソウヤアイヌを襲い相当数の犠牲者を出している。この時レブンアイヌはカフカイ首長イタリカの息子カルチバを隊長として宗谷アイヌの応援に送っている。それが天塩に変わったのは、後に天塩アイヌとの間にトラブルが有った可能性を示唆する。なお妻や恋人が石になってしまう伝承は利尻、天塩、稚内、知床にも有る。根室ノッカマプのカスンデは厚岸の伝説にある半神半人カスンデと同一人物か?

礼文島はシュポップ (宝箱)

野沢和助エカシ伝によると「礼文島は文化神サマイクルの宝物を納っておくシュポップと云う箱だ。サマイクルカムイが奥さんと喧嘩して、腹を立てて宝物を入れた箱を背負って立とうとしたが、背負った縄がブッツリ切れて箱がひっくり返ってしまったので、礼文島の東の方に向かって反対になっているのだ」と。似た伝説は宗谷にも有る。オホーツクや石狩、日本海側ではサマイクルは絶対神の事が多いがオキクルミは殆ど出てきません。此辺では人間にオキクルミやサマイクルの名を冠した伝承話は和人によるアイヌ支配や信仰操作用の創作として疑った方が無難。

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