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終戦の日で思い出すのは母の話

僕はサハリンの生まれですが、そのサハリンでの出来事。昭和20年8月15日に終戦を迎えましたが、日本の敗戦を認めない軍人が抵抗していた所も有ったようで、樺太でも同じようにまだ戦闘が続いていたようです。
母の見たままに記すと
『働いていたイシトリ(現在名は?)で8月9日に爆撃があり、それを逃れて山野を逃避行の末マオカ(現ホルムスク)に到着、大勢の引揚者を載せた列車に乗ることが出来た。その列車が出発してまもなくソ連軍の艦砲射撃と旧日本軍と戦いの真ん中で機関士が負傷して列車が停止。「列車に乗っていた大勢の人が外に出て、海岸の崖上に登って避難しようとしたが、旧日本軍とソ連軍上陸部隊の弾に当たりゴロゴロと転がり落ちてくるのを見て死を覚悟し、どうせ死ぬならと列車に残ったといいます。 再び汽車が動き山陰まで行き停車してその場は何とか逃れたものの、置き去りにされた人達の悲鳴が今も焼き付いていると言います。山陰に入ってからはB29による爆撃や機銃掃射の中を逃げながら何とか瑠多加村(アニワ)にたどり着いた、その間どのくらいの人がなくなったかはわからない』という。 逃避行に入ってからマオカに着くまでの母の記憶は不鮮明ですか、列車の惨劇は8月20日の早朝のようです。今は90歳を超えた母ですが、この話をするときは「仏様に守られた」と何時も泣いてしまいます。

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