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歌志内では古い碑ですが今のは再建された碑のようです。歌志内市史では「明治38年6月創業以来、殉職者の追弔法要をいとなみ、その冥福を祈るを例としてきたが、明治38年6月、夕張、幌内、幾春別、空知に哀悼の碑を造り殉職者之位牌を納めている。」台座を含め3メートル近い高さのある碑で背面に昭和29年8月竣工」とあり位牌を納めるような構造にはなっていないように見える。当時は歌志内にある北炭系炭山全体の慰霊碑的な役割を果たしていたものか? 哀悼之碑は歌志内公民館裏側の歌志内公園内にあります。◇建立年:明治38年6月 ◇建立者:北海道炭砿汽船(株)専務取締役 井上角五郎 ◇再建年:昭和29年8月 ◇建立者:空知鉱業所 ◇所在地:歌志内市本町 歌志内公園
安楽寺の墓地奥に南無阿弥陀仏とあり下段に為住友上歌砿韓国出身殉職者碑と刻まれた墓碑がある。1980年に上歌志内鉱の元労務担当者が住友上歌志内坑で1939年から45年の間に亡くなった朝鮮人22名分の名を刻んだ追悼碑ですが、その経過を記した碑文はなく、そのような碑も見ていない。歌志内では遺骨の何人分かは朝鮮へと戻されたが、遺骨の多くはこの殉職者碑の下に合祀されたという。この碑では連行朝鮮人死亡者を追悼する形で死亡者名を記しているが、歌志内坑の史料にある「鉱山殉職者二関スル件」でみると安楽寺の碑には2名の名が欠落しているという。少なくとも上歌志内では22人を超える死亡者があった事になります。
※住友上歌志内の松島組は新栄町・西町の長屋を改造して朝鮮人を収容、北炭神威へ連行された人々は鳩が丘の3棟の寮に収容された。住友歌志内では北区に親友寮、南区栄町に家族持ちを収容。住友歌志内の寮長は1949年に上歌志内の労務とともに連行者を迎えにいったが、数人が逃亡、函館で警察が逃亡した5人を引き渡した。連行された人々はわらじのようなものの底に鉄板をつけたものをはき、帰りは滑って坂道が登れなかった。それを監督が後ろから棒でたたいていた。同じ人間なのに何もそこまでしなくてもと思ったと、当時の様子が記されている(『古老が語る歌志内』)。採炭報国の掛け声の下、死者は「名誉の戦死」とされた頃の話。◇建立者:昭和55年10月吉日 ◇建立年:宮城県 岡俊夫 ◇所在地:歌志内市字本町124 ◇Mapコード:43.523193, 142.038061
歌志内墓地の駐車場前に大きな殉職者追悼之碑が立っています。その正面下段に建立に至るまでの経過が刻まれている。碑文の一部のみ転載する「十五年六月二十四日午前八時突如起オコリタル爆発ヲ知ルヤ余ハ心命ヲ懸ケテ救助ニ死力ヲ盡シ只管卿等ノ恙キヲ念ジタルニ天ハ無情ナルカ遂ニ卿等ハ不帰ノ客トナリテ呼ベドモ答ヘズ余ノ悲嘆譬ヘルモノナク共ニ譬ヒシ卿等ノ惨死ヲ拝スルト俱ニ卿等ノ遺族ニ想ヲ馳ラルトキ余ノ胸中転々断腸ノ思切ナリ・・以下省略」追悼之碑は開北炭砿の経営に当たっていた山田隆義が事故の一年後に建立、碑文から追悼の思いが伝わってくる。事故の経過を記した慰霊碑は珍しく歌志内ではこの碑だけ、また殉職者16名の名前も刻んであった。明治41年開砿の中村炭礦を振り出しに、大正元年には横山炭礦となるが、大正7年に合資会社 開北炭礦、翌年には株式会社 開北炭礦なる。昭和16年に山田隆義氏の個人経営となるも昭和18年に北炭が買収、空知鉱業所神威鉱開北坑となるが昭和38年に閉山、事業は北斗炭鉱に引き継がれましたが昭和45年閉山になっている。旧市営球場フェンス付近に坑口があった。◇建立年:昭和16年6月24日建立 ◇建立者:山田隆義 ◇所在地:歌志内市歌神 歌志内墓地 ◇Mapコード:43.514075, 142.028359
かつては飢えや病気の為に行き倒れ、引き取り手の無い人が多数でたようです。中にはタコ部屋から放り出された人もいたのではないでしようか・・・殉職者追悼之碑や無縁者之霊は、歌志内の発展を支えた人々を追悼している歌志内市民の心と思います。碑の建立は歌志内市長でした。◇建立年:昭和44年8月11日 ◇建立者:歌志内市 ◇所在地:歌志内市歌神 歌志内墓地 ◇Mapコード:43.514079, 142.028506
歌神の妙法寺門前右横にある高さ3m程の石碑で明治41年に歌志内、赤平、留萌地域にあった15の友子会が建立し、昭和4年に歌志内の8友子会が再建したもの。三界は仏教でいう過去・現在・墓地の入口や無縁塚などに置かれることが多いようですが、建立の由来を刻んだ碑文は読めない部分が多いも、無縁者という文字もあり炭砿や行き倒れなどで無くなった無縁の人々を慰霊する碑のようにも思える。この石碑は妙法寺が出来る前よりある碑とのこと、道道114号線沿いになります。◇建立年:明治41年 ◇再建年:昭和4年8月 ◇建立者:友子会、渡友子会 ◇所在地:歌志内市歌神7−2 ◇Mapコード:43.514233, 142.027013
住宅地に隣接する公園で道有林と私有林があり散歩コースにはなるが、観光地という訳ではない。園内にある中村八幡神社が公園名の由来。神社としての歴史は古いがご神体に関しては炭鉱の開鉱や閉山に伴ない紆余曲折がある。昭和46の歌志内砿閉山時に同砿大山祇神社を譲り受け合祀し『中村八幡神社』となる。毎年祭典が催されています。◇所在地:歌志内市字中村81番地
中村八幡神社の鳥居から左側50mほどの所に石垣で囲まれて立っている大きな慰霊碑です。建立者の名前が親友會となっていますが、健康保険加入者が集まり相互扶助を目的とした組織でほぼ全員加入していたという。大正時代に全盛だった友子制度は健康保険の普及や企業の直接雇用などで昭和には廃れて、親友會の様な組織に代わっていったようです。慰霊祭は会社が中心になって行っていたと云うが、閉山で住友撤退後は有志の呼びかけで開催をしていたようです。昭和60年に住友歌志内砿殉職者御霊御名の碑を建立する母体になりました。◇建立年:昭和17年9月 ◇建立者:歌志内礦親友會改組記念建立 親友會員一同 ◇所在地:歌志内市中村 中村八幡神社付近(中村公園)
古い記憶をたどり、各方面の方にお伺いして建立した記名碑との事で、住友になってからの殉職者157名の名前を刻んである。歌志内でこれほど多くの方々の名前が刻まれた碑は他に無く、大事に扱われるようにと願うのみ。同じように殉職された朝鮮から来た人々の名前は見当たらないのは残念ですが、彼らも歌志内発展のため斃れた人々とおもうのですが。住友歌志内鉱の砿事業所跡地はチロルの湯がある一帯で温泉は住友歌志内鉱の坑口(密閉)からの鉱泉を活用したもの。◇建立年:昭和60年8月4日 ◇建立者:建立委員会 ◇所在地:歌志内市中村 中村八幡神社付近(中村公園)
標高477mの山頂まで観光道路が整備され中空知の田園地帯を初め遠くは十勝連峰や暑寒制連峰をも眺望できる展望スポット。眼下には歌志内の市街が帯のように広がるが、かつて炭鉱が全盛期の頃は光の川のような夜景が素晴らしかったというが、今は雲海のスポット、冬はスキー場となります。◇所在地:歌志内市中村
神威岳自然公園の高原にあるスイス風リゾートホテルです。かもい岳スキー場のゲレンデまでは徒歩3分の距離でスキーなど団体合宿には便利かもしれません。温泉としての基本的ら施設の他に各種トレーニングマシーンを備えたアスレチックルームがある。チロルの湯の同じだが1人旅では利用するなら、日帰りとアスレチックルームがメインとなりそう。◇所在地:歌志内市字歌神95番地 TEL:0125-42-2717
歌志内市の神威岳山麓、かもい岳国際スキー場に隣接したコテージで全棟フィンランドサウナを備え、屋外にはバーベキュー炉がある。かもい岳スキー場まで数分で冬にはスキーも楽しめるが、空知では数少ない雲海を楽しめる。こぢんまりとしたキャンプ場が併設されオートキャンプも出来る。歌志内でキャンプが可能なのは此処だけで選択の余地はない。◇所在地:歌志内市歌神94-5 TEL:0125-42-5733
大きく東西に分かれ斜度7~31度まで10コース、リフト数4基でナイター設備も有る広大で雪質が抜群なスキー場。競技用コースから中・上級者コースとトレーニングコースを備えるほか初級者用コースとモーグル用のコースがあります。◇所在地:歌志内市字歌神95番地 TEL:0125-42-2667
縁結びの桂とも云われる樹齢400年以上の道内で3番目の巨木です。幹の中心にあった樹が周囲の数本の小木の成長により1本に合わさり太くなったと推測されて樹高27m、幹の直径は2.9m、幹周り9.1mで北海道記念保護樹木に指定されている。「かもい岳の山の神」としてあがめられてきた代継ぎの桂はかもい岳国際スキー場の西ゲレンデにある。◇所在地:歌志内市中村 ◇Mapコード:43.519735, 141.998268
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