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この小説の作者は40年以上前になくなられているが、小説の原稿を管理人が書き写し保管していました。かつて懸賞付き小説の応募で最終選考まで残った曰くは有るが、その内容は一般受けするような小説ではありません。樺太に縁の有る方には良いかと思いインターネットが一般化した今が紹介のチャンスと考えて公開した。管理人が行ったのは旧字を常用漢字に出来るだけ改め現代風の表現に変更しました。ロシア語表記はソフトがクローズしてしまう事と、音声読み上げソフトで対応できないと判断、日本語で表現し二重引用符で囲み『“××××”』として一応区別しました。作品の著作権はサイト管理人が全てを管理をしています。
印象深い八月二十三日、この日は、かって日本が日露戦争によって、ロシアから樺太の領有権を不動の事実とした樺太領有記念日であった。この記念日がソ連の領有記念日に取って変ろうと唯が予想したであろう、一九四五年八月八日夜、ソ連政府は「日本がポツダム宣言を拒否したので戦争終結を早めるため」と声明し、翌九日未明、国境をこえてソ連軍が進撃、関東軍を敗走させ、関東軍統治領内の日本人住民三十三万人のうち約一万人以上が死亡するという悲惨な運命に翻弄された。ソ連軍が樺太の主都豊原市に進駐式を挙行したのは進撃を開始してから二週間後の八月二十三日であった。進駐後間もなく殺伐たる軍政から民政に移行した。邦人は抑留され、ソ連の収容施設で戦後第二次産業拡張五ヶ年計画の政令により、邦人は一陣の風が木の葉を巻き上げるように各産業部間に徴用され強制労働に就かしめられていた。抑留邦人のまちわびている引き揚げの日はいつくるのか、この翳りを深めたまま、自然の摂理は巡って遂に終戦後、樺太の平原に三度目の晩秋が訪ってきた。
『寒くなってきたこと・・・・』
細井久子は野良仕事の手を休め、ふと畑の側から続く白樺の原生林に瞳を注いだ。久子は裸になった明るい木梢を吹きつける木枯らしの音を聞くと、久子の瞳はどことなく憂鬱に満たされてきた。
『死んだのだろうか、それとも』
勝つ見こみのない戦争だという噂が時をり聞こえ出した昭和十九年、何となく不穏な状勢のもとで関東軍に召応になったまま、すでに五年もの間だ音信の途絶えている夫、光男の安否が、又も久子の全身を駆けめぐる抑留邦人の郵便が許可されてから既に二年余にもなっている。夫が生きているならこの秋頃までには必ず音信のあるものと期待していたが、この期待も駆け抜けゆく秋とともに久子の脳裡から次第に薄れ不安に変っていった。
『やはり死んだのだろうか・・・』
吐息のように呟きながら遠いシベリアの広野を思い浮かべたがすぐに久子はすぐに後から出る不安を打ち消した。
『貴方の還って来ること、それだけを私は頼りに生きているの、広光も来年は日本人学校に入学、貴方のお帰りをとてもとても待ち焦がれていますわ』
祈りにも似た口調で清らかに澄み切った大空に瞳を凝らし哀願する様に瞑目した久子の眼は涙に濡れ光っている。光男の召応後農業のかたわら大工仕事で一家の支柱として働き続けてきた舅、徳治は今までの無理がたたったのか去年の秋頃から神経痛に侵されていた。久子は病身の舅に仕え、子供を抱えての終戦期ソ連統治下での生活は見るに忍びがたい苦悩の日々を送らなければならなかった。自失したように憂鬱に打ち沈んで大空に瞑目していた久子の耳に、突然白樺林に沿う国道筋から
『“カチューシャは歌い始めた誇り高き薄墨色の鷲の歌を”』
ロシア人によく愛唱されている民謡、カチューシャの歌声が耳に飛込んできた。
久子ははっと深い眠りから覚まされた様に悄然とたたずむ自分の姿に気付き思わず周囲を訝った。歌声は次第に近づいてくる。歌声を律するかの様に、高らかな口笛と、それに混じって荷馬車の音が聞こえてくる。食料の切符配給制のときだけに久子はこの村の市街地で日本人と雑住するロシア人移住民が農村部落に食料等の買出しに来たものと思った。久子はふと西に傾きかけている秋の陽に気付き急に心が焦りだした。夕日が白樺林を茜色に染め抜く頃になると日課のように
『お母さん、時間だよ、時間だよ~』
母屋から声をはずませて、広光が迎えに来る。それまでに抜き取った大根の整理をしておかなけれがならない、まだ幼い広光が舅、徳治の看病をしているからだ。
『(今頃は不機嫌になっているだろうし)可愛そうに』
そう思うと久子の胸は熱い烙印を押された様に痛んだ。その時道端の方から
『“おかみさん今日は”』
ロシア人の声に思わず振り向くと見知らぬ二人の兵士が路上に荷馬車を止め覘くと久子の方に歩んでくる。
『“おかみさん、馬鈴薯を売ってくれ”』
垢で黒光りのしている綿入服を着た兵士が手まねと、躯を巧みに動かし近づいてくる、叺(かます)ほどの大きな麻袋を手に携えていた別の兵士が麻袋を久子の視線の高さまで一、二度降って見せ
『“一袋、一袋”』
と言って荷馬車を指示した。この素振りでは、この袋に入るだけ馬鈴薯を売れと言っているのであろう。久子は兵士の挙動を見て、馬鈴薯を売っても代金も払わずに持ち逃げするのだろうと感じ、首を横に振った。
『“ネット シャトート ネ プロダュット(いいえ 売るのは有りません)”』
久子は憶えたてのロシア語で答えた。その答えに兵士は納得せず
『“ありません、なぜ?”』
日本人の女と侮ってか 叱責を交えた碧い瞳で睨んだ。兵士はクドクドと叱責する様に話掛けて来る。久子はロシア語を解せぬ方なのだか、その兵士の素振か見て、隣の畑の馬鈴薯は政府へ供出した残りで越冬用の一家の貴重な主食なのだ
『私、仕事が忙しいから帰ってください』
久子は執拗に粘りつく兵士から逃れ様として手と体を振り動かしながら何度も日本語で言ったが、それが兵士には依然として通じない。
既に周囲は紅?に染められ出し母屋から広光が迎えに来る時間も近い。兵士の顔は紅?に染まり悪鬼の様に輝いている。久子はほとほと困惑していた。何を思ったのか急にやさしくなった兵士が更にくどくどと久子の一挙一動を追い回す様に話掛けて来た。
『“マダムこれあげます、どーぞ”』
兵士は憶えたての強いアクセントのある下手な日本語で、麻袋から新聞紙に包んだ四キロ型の黒パンと麻片に包んだ三キロ程の砂糖を取り出して見せた。
『(馬鈴薯と交換しようというのかしら?)』
久子には何を語っているのか兵士の言葉は解せないが、目の前に出された砂糖に思わず心を引き寄せられた。総てが切符配給制の物資不足のときだけに砂糖は闇で求めなければならない高価なものだった。
貧しい家計には縁遠い物資であれは尚更である。今それが久子の答えひとつで、たやすく手に入るのだ。病床の舅には何か口に会った物でも調理してやることもできる、今までの苦労に少しでも報いてやることができる。
『“しょうちですか、おかみさん”』
久子の心中を察したか、兵士の手に紙幣が握られていた。
兵士は久子の肩の上に紙幣をそっと置き
『“ねーおかみさん”』
尚も粘りつく様に話しかけてくる。
『“ダー(はい承知しました)”』
久子は馬鈴薯の代価と感じた。紙幣は百ルーブル紙幣が三枚であった。しかし、馬鈴薯の代価としてはどの様に考えても高価すぎる。当時(いま)、一日の労賃が二十から二十五ルーブルで、しかもノールマン(百日分の仕事量)だけ働かなければ賃金を貰えなかった。この労賃に比較してみてもこんなに高い馬鈴薯代はない、久子はそれが不審でだならない、不審顔の久子の視線を追う兵士の眼と眼は互いに好奇心に輝いているではないか、身を守る女性の本能がさっと彼女を戦慄に包んだ。
『“(いけない)だめだ、お金いらない”』
吐き捨てる様に紙幣を兵士に突き返したが兵士は受け取ろうとしない。
兵士は語るように
『“既に承知したじゃないか”』
久子は夢中で、その紙幣を兵士に放り投げ険く兵士を睨みながら一歩、二歩後方に退き、この場から逃れようと脱兎のごとく走り掛けた瞬間
『“へっへっ~逃がさんぞ!、マダム!”』
兵士の太い腕が伸び、久子はぐいっと引き止められた。
兵士は陰険な笑いを顔に凝結させロシア語で喚きだした。
『何をするのよ、馬鹿、馬鹿っ』
久子は絡みついた兵士の腕を振り払おうと無我夢中で怒の声を発しながら掴んでいる兵士の腕を引き剥がした。久子の抵抗に兵士は憤った。
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