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ニシン街道巡り
消えゆく近代土木遺産 檜山と渡島の袋澗遺構‼

袋澗(ふくろま)とは?

袋澗は鰊漁が盛んだった時代にニシン場の親方が自費で造成した多目的ミニ漁港です。ニシン漁期は強い季節風を伴う事が多く、輸送中の転覆を回避するため、大きな枠網に詰めたニシンを網袋に小分けして入れて沖合から運び天候の急変に対応、大量の漁獲で処理が出来ない場合に備えニシンを生かしたまま一時保存する生け簀でもあり、木造船(三半船、保津船、磯舟)の出入りや碇泊、漁獲物の陸揚げ、船揚場として利用され、袋網をいれると言う意味から袋澗と称された。鰊魚の最盛期には日本海沿岸に300ヶ所以上の袋澗があったと云い、そのうち3割ほどは奥尻、利尻、礼文島に、残りは積丹半島から瀬棚にかけての海岸線にあったという。袋間の密度は神恵内村と泊村が突出しているが、鰊魚が衰退すると舟澗とも呼ばれたと云い、船揚場や漁港に姿を変えたのを除くと、多くは放置され崩壊、消滅の一途をたどっている。袋澗はその形状からハコ系、ハサミ系(八の字型)、複合系、切澗系などがあり、堤や石垣の積み方も地方によって違いがあると云う。鰊漁場では、袋澗が発展的に建設され、道南は土塁石張型、積丹では中規模間知石練積型、利尻では大型の間知石練積型に発展したとされているが、崩壊が激しく原型を保っているのは2カ所ほどしかない。袋澗の築設では本州の護岸や築城技術を応用したもから身近にある自然石を利用したのまであったというが、袋澗に先駆けて建設された松前波止場や函館の舟入澗も無視の出来ない存在です。なお紹介している袋澗は航空写真で袋澗の確認出来なかった奥尻島と、旧道沿いで通行不可能な所にある袋澗や海路でのアクセスしか手段のない袋澗を除き、比較的容易に見られる袋澗遺構のみの紹介としています。

袋澗の呼称と参考文献

資料として利用したのは昭和62年出版の北海道文化財研究所 調査報告書 第2集「積丹半島の袋澗」 副題は「鰊魚の栄華を残すミニ漁港の産業考古学調査」で、昭和3年の北海道庁による袋澗調査と実測図を元にした昭和58年から59年にかけての追跡調査報告で、昭和3年の縮尺実測図と調査報告時の現況写真が載っている。積丹半島に関しては実測図があることで袋澗の原型が判るが、それ以外では原型が不詳の事も多い。また昭和3年の調査は漁港化を考慮した調査だったようで漁港化対象外の袋澗は調査されなかったらしく、調査報告書 第2集で追加された袋澗もある。平成17(2005)年発行の「後志学 後志鰊街道」には寿都町で10カ所、島牧村の1カ所が袋澗リストに掲載されている。当サイトでは先行調査で使用された略記号(仮称名)と固有名・通称名を継承併記、調査報告のリストに記載がなく固有名も不詳の場合は略記号を新たに追加し番号を付して仮称名とした。既存の略記号はS⇒積丹半島、I⇒岩内、Su⇒寿都、Sh⇒島牧があり、当サイトで追加したのはR⇒利尻島、L⇒礼文島、Suk⇒寿都、Sim⇒島牧、Se⇒瀬棚、番外編のToy⇒戸井となります。追加分の略記号は当サイトのみの仮称名で正規の名称ではありません。掲載の画像にはパブリックドメインの写真を含み、転載元は「日記的ななにか」の「積丹1周袋澗旅」で有ることを申し添えておきます。袋澗の詳しい情報を知りたい方にはお勧めです。

袋澗に先行した石積の技術

松前波止場MAP

松前波止場北海道開拓に必須の港湾建設に取り残された松前では、松前商人の栖原が私財を投じ明治6年に北前船が発着した海岸に波止場の建設と護岸の修復などを行い、本格的な波止場建設の要望を訴えますが実現にいたらず、栖原は町の有力者達に呼びかけ波止場建設費の寄付金を集め、不足分を政府から20年賦で借り入れ明治8年に建設、松前城を解体した際の石材を利用した70mと90mの堤でした。明治22年に小破補修、明治25年から3年をかけて本格的な補修工事がされている。石積突堤の先端付近にある花崗岩の石柱は北前船のバラスト材として持ち込まれたものを転用したものだという。北海道で最も初期の練積みコンクリートで築造された堤体は、明治初期の明治32年頃より始まった石積堤を持つ袋澗築設にも活かされているようです。平成26年度に土木学会選奨土木遺産の遺産に選ばれている。◇所在地:松前郡松前町唐津 ◇G.Maps:41.426210, 140.108196

函館漁港の石積堤入船漁港MAP

入船漁港の石積堤安政年間に築造された函館港の改修工事では北海道の港湾工事として初めて国費を投じて行われた。設計は小樽築港で成功した広井勇博士に依頼、防砂堤、防波護岸、船揚場が整備された。函館漁港の船入澗防波堤の石垣は弁天台場を解体した石材を転用したもので、工事は明治19年6月に始まり明治33年9月に竣工、その造成は短期間であり設計と部材の転用が成功の要因だったという。松前波止場を築設してから4年後に函館港の工事が始まっており、漁業家がこれらの工事を実際に見聞する機会は多かったと思われ、初期の石積袋澗築設と重なっている事からその技術が本格的な石積堤体を持つ袋澗築設の参考、応用されたであろうと思われる。平成16年に土木学会推奨土木遺産に認定されているが、今は多くの漁船が朝一番に出航し箱館の漁業基地となっている。◇所在地:北海道函館市入舟町 ◇G.Maps:41.772497, 140.699972

松前波止場1 松前波止場2 松前波止場3 入船漁港の石積堤1 入船漁港の石積堤2 入船漁港の石積堤3

袋澗記念碑MAP

旧袋澗記念碑・せたな町開基百年史より北海道独自の構造物という袋澗は神恵内の漁業家澤口庄助氏が江戸末期に岩礁を削って人工の入り江を作ったのが鰊漁袋澗の原型のようですが、本格的な袋澗建造は函館漁港(入舟漁港)の造成と重なる明治32年に始まり美谷中心に発達したという。鰊の北上を追って袋澗も各地に広がり終着地は礼文島で、その始発地と思われる元浦に袋澗記念碑がある。碑文には『創業者新保幸吉は新潟県より渡道し漁業に従事したが明治32年、当時の技術では容易ならざる難工事を克服し鰊袋澗を完成し漁業繁栄の基礎を確立した。2代目一太郎はこれを記念して昭和10年記念碑を建立したが□雪の為破損いちぢるしく瀬棚町開基百年を迎えるにあたり先人の功績を偲び再建することにした。昭和55年 医学博士 新保幸太郎』※瀬棚町開基百年記念 瀬棚町史年表に大正6年建立と書かれた「旧袋澗記念碑」の写真が掲載され碑文と建立年が異なっている。写真は大正6年建立の碑(せたな町年表より)です。北海道内に明治年代の築設と判明している袋澗で当時の姿を維持しているのは有りません。再建された袋澗記念碑はヤマヨ斉藤漁業 直売店駐車場の左側、稲穂岬寄りの山側斜面にある。地元で聞いた話では、かつては前浜一帯が袋澗だったという。石積の堤体をもつ袋澗はこの辺から始まり、美谷地方で発達し以後鰊を追って北上していく。◇建立年:大正6年 ◇再建年:昭和55年(再建) ◇再建者:新保幸太郎 ◇所在地:久遠郡せたな町瀬棚区元浦 ◇G.Maps:42.499254, 139.843485

袋澗記念碑1 袋澗記念碑2 袋澗記念碑3 袋澗記念碑4 袋澗記念碑5 石積堤袋澗発祥地付近

檜山せたな町

袋澗の発祥地ははっきりしないが、岩礁を掘っただけの切澗のような船入間は早くからあったようですが石枠や石積の堤体をもつ袋澗は瀬棚が発祥地らしい。ただ明治年代に築接された袋澗で現存しているものは無く、殆どは大正から昭和にかけて築造されたものです。

Se01袋澗MAP

Se01袋澗国道229号藻岩トンネル北に約100mの、幅約50mの波蝕棚にあり北約30mには屏風状の露岩が2筋、南約100mには無名の出岬がある。切澗の形はハコ型で堤は痕跡もなく北西の角から水路を南西に伸ばして開口している。陸側から見ると斜めに見えます。◇澗利用:無利用 ◇所在地:せたな町瀬棚区北島歌 ◇G.Maps:42.583126,139.828238

Se02袋澗MAP

Se02袋澗横間トンネル南側坑口から南に約150mの所に切澗があり、北西隅の波蝕棚に間知石谷積みの石垣が一部残っている。石垣の辺りから水路が北西に伸び外海とつながるが、切澗には間知石などの石材などが散乱し陸に近い側は礫が多く浅くなっている。◇澗利用:無利用 ◇所在地:せたな町瀬棚区北島歌 ◇G.Maps:42.565504,139.835205

Se1袋澗☆船倉ノ袋澗MAP

船倉ノ袋澗船倉ノ袋澗は「北海道文化資源データーベース」では瀬棚町には大正時代に作られた石造袋澗の遺構2基が残っていて蒲鉾型、長さ20m、高さ1.5m、2列遺構、袋澗建設は1899年に始まり美谷中心に発達したとあるが、其の写真と比べると崩壊は更に進んでいるが(特に南側の堤)比較的まとまって残っていた袋澗跡でした。横間トンネル南側坑口から南に約450mに位置し2つの切澗が隣接する。北側の袋澗は方形の切澗のみで水路は北に開口、南側の袋澗はは石垣に囲まれて水路は西に開口し港口に溝石賀残る。北側の堤は間知石谷積み巻き天端で円錐台の石造係留柱2本、内側壁面には綱を繋ぎとめる穴のある突起構造があり他では見なかった。南側の堤は崩壊が進んでいるが間知石谷積みで上に詰まれた石面が上を向きかげん。蒲鉾型で長さ20m、高さ1.5mで2列遺構は瀬棚町に残る袋澗遺構としては保存状態が一番よい。◇築年月:大正年代 ◇堤構造:間知石谷積・巻き天端 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:せたな町瀬棚区北島歌(上美谷 ) ◇G.Maps:42.562624,139.835727

Se04袋澗MAP

北島歌の袋澗横間トンネル南側坑口から南に約500m、美谷川河口から北に約400m、船倉ノ袋澗から南に約50m程の距離にあり船揚場として利用されている。ハコ型の切澗と北に接した小さな切澗を付随した袋澗で、周囲の波蝕棚には穴が複数あり現在も木柱が立っている。かつて石垣が存在したようで床掘りが袋澗を囲むが切澗には堆積物がほとんど無い。◇澗利用:船揚場 ◇所在地:せたな町瀬棚区北島歌 ◇G.Maps:42.561865,139.835242

Se06袋澗MAP

Se05袋澗 島歌郵便局の北約100m、美谷川河口からは南に約250mにあり、ほぼ方形の切澗で北西隅から南西方向に水路がある。北辺に石垣がわずかにあり、切澗と水路の境には溝石があります。周囲の波蝕棚には柱の穴が多数穿たれ、南隣にも袋澗には狭い感じの切澗がある。◇澗利用:無利用 ◇所在地:せたな町瀬棚区北島歌 ◇G.Maps:42.555697,139.835843

Sek01:袋澗跡 Sek02:袋澗跡1 Sek04:袋澗跡1 Sek05:袋澗跡1 Se1:船倉ノ袋澗1 Se1:船倉ノ袋澗2 Se1:船倉ノ袋澗3 Se1:船倉ノ袋澗4 Se1:船倉ノ袋澗5 Se1:船倉ノ袋澗6 石積堤袋澗発祥地付近1 石積堤袋澗発祥地付近2 Se1:船倉ノ袋澗7 Se1:船倉ノ袋澗8 Se1:船倉ノ袋澗9 Sek02:袋澗跡2 Sek04:袋澗跡2 Sek05:袋澗跡2

番外 鰯袋澗編道南鰯袋澗圏

函館市近郊の戸井町には、産業遺産として町内にコンクリートアーチ橋、戸井岬に戸井砲台遺構、汐首岬付近に鰯袋澗がある。道南漁場は袋澗史として初期に属し、明治期の土塁石張の初片鋏型とともに大正期の間知石練積の後期の方形が共存する。この袋澗は西海岸・離島の鰊漁業用と異なり、津軽海峡東北に豊富な鰯漁用である。対象魚の鰯の魚体、習性、漁法が鰊に似ているため、鰊場の袋澗技術が導入されて建設された

Toy01袋澗吉崎の澗MAP

吉崎の澗汐首岬の北海道本州最短地点に位置し、東西2つの水域と石張りの平場・斜路、石垣がある。北西が陸に接し陸から南東向きにコンクリートの階段を13段降り平場に至る。この石張りは標高の低い箇所は既に波に洗われ間知石の残骸が転がっている。南西の堤は間知石布積み6段だが天端が破壊されているので実際はもっと高かったかも、堤は南端で丸角で直角に折れ南東の堤につながっている。南東の堤は間知石布積み5~6段、途中で内側に分岐し対岸からも堤を伸ばして狭窄させ袋澗の水域を2分、対岸側の堤は破壊され痕跡のみ。海側の方は間知石布積み4段で天端・石造係留中まで残存し、突端部には溝石が2重になっている。北東の堤は間知石布積み5段だが残っているのはわずかで先端にゆくほど崩れている。袋澗のすぐ沖に露岩が離岸堤のように連なり大きな破損を食い止めているようだ。◇澗利用:無利用 ◇所在地:函館市瀬田来町 ◇G.Maps:41.710194, 140.968556

吉崎の澗1 吉崎の澗2 吉崎の澗3 吉崎の澗4 吉崎の澗5 吉崎の澗6 吉崎の澗7 吉崎の澗8 吉崎の澗9 吉崎の澗10 吉崎の澗19 本州・北海道最短地11 吉崎の澗12 吉崎の澗13 吉崎の澗14 吉崎の澗15 吉崎の澗16 吉崎の澗17

Toy02袋澗

Toy02袋澗汐首漁港の北西に位置しアワビ中間育成場として整備され港内の隅に隔離されたようにあるが今は利用されていない。堤体は間知石布積み水面上4~5段で上をコンクリートで補強、間知石が見られない北側の堤の開口部をコンクリートで塞いだようで開口部が見当たらず澗内の透明度は低い。孤を描いて南から東西に伸びる堤は横断面が階段状の箇所があり天端に石造係留柱があります。陸には間知石布積みの護岸が残っています。◇澗利用:無利用 ◇所在地:函館市汐首町 汐首岬灯台直下 ◇G.Maps:41.710389, 140.964222

Toy02袋澗1 Toy02袋澗2 Toy02袋澗3 Toy02袋澗4 Toy02袋澗8 潮首漁港 吉崎の澗17 吉崎の澗18 Toy02袋澗5 Toy02袋澗6 Toy02袋澗7 Toy02袋澗9

Toy03袋澗

Toy03袋澗汐首岬灯台直下付近にあり間知石布積み5~6段の石垣が陸と並行し先端部は細まってり自然の露岩に至って終わる。逆堤端は45°程の浅い角度でまがり陸に接し消波ブロックに覆われている。天端は一部残存し巻き天端で石造係留柱があり裏込には鉄筋が挿入されていた。港口は見た目とは違い実質は南西向きに開口していると思われ、現役の船揚場とした利用されているためか水深もある。珍しいのは鉄筋が使用されていること、鉄筋を見たのはここと利尻島の平田の袋澗だけでした。陸側を見ると旧戸井線コンクリートアーチ橋が見えます。◇澗利用:船揚場 ◇所在地:函館市汐首町 ◇G.Maps:41.710194, 140.968556

Toy03袋澗1 Toy03袋澗2 Toy03袋澗3 Toy03袋澗4 袋澗の痕跡1? 袋澗の痕跡2? Toy03袋澗5 Toy03袋澗6 Toy03袋澗7 袋澗の痕跡3? 袋澗の痕跡4? 袋澗の痕跡5?

ニシン街道MAP

ニシン漁で繁栄した日本海沿岸に残る鰊番屋・漁家住宅をはじめ、ニシン漁の栄枯盛衰、歴史を物語る碑などを集めましたが漏れがあるかもしれません。また各地に設置された「にしん街道」標柱も含めました。袋澗(跡)リストでは旧国道沿いとなるアプローチ困難な袋澗跡と痕跡程度の袋澗遺構は除外、勧めできる袋澗には☆マークを付加しました。


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