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ニシン街道巡り
消えゆく近代土木遺産 礼文町と利尻町の袋澗遺構‼

利尻島の袋澗

利尻島には35基の袋澗が存在したと記録にあり、間知石の建材となった安山岩に恵まれ、大型で堅固な袋澗が発達したと言う。利尻島の袋澗跡では鴛泊・泉の澗、仙法志・伊藤の澗、九連の寝熊に岩近くにある平田の澗、御崎公園・アザラシの居る自然水族館(袋澗を改造)他に御崎灯台下の堤跡、政泊港や御崎港横の堤跡などがある。この中で最も保存程度の良かったのは今も現役の船揚場として使用されている鴛泊の「泉の澗」でした。

R1 泉の澗(柳谷袋澗)MAP

鴛泊の袋澗利尻島にはかつては35ヶ所あったと記録に有るそうだが、泉の澗は今もその面影を良く残している。「泉の澗」は元々の岩場地形に沿った形の袋澗で築造年代は大正期以前と考えられているようだ。明治初期の柳谷漁場~大正後期の吉田漁場~昭和の泉漁場という変遷で最後の漁場経営者が泉八三郎氏だった事から「泉の澗」と呼ばれているが、堤体の形状から「泉のナマコ」という別称もあり巻き天端のように見えた。堤体は手カギ状を呈し総延長は約67m、高さは根本部分で3m以上、浪の影響が強い先に行くほど幅広になって高さは低くなり、堤の中間部から先の天端部はコンクリートで補強されている。堤体は間知石練積工法が採用され継ぎ目が白く見えるのが綺麗、大型間知石の布積み最大で七段、堤体上に船掛り用の係船柱が数カ所みえ、北側には同じ工法で築かれた幅36mの石垣があり、石材は利尻産と考えられている。堤体の外側には消波ブロックが投入され、平成13年に利尻富士町が一部補修した現役の船澗で保存状態は道内に残る袋澗としては最もよい。道内に残る保存状態の良い袋澗はいずれも現役の船澗や小漁港というのが共通している。セイコウマートの裏側でニュー利尻ホテル前に入口がある。◇築年月:大正年代以前 ◇堤構造:間知石練積、布積 ◇澗利用:船揚場・小漁港 ◇所在地:利尻富士町鴛泊 ◇G.Maps:45.247927, 141.220666

泉の澗1 泉の澗2 泉の澗3 紺の澗1 石川の澗1 御崎海岸1 泉の澗4 泉の澗5 泉の澗6 泉の澗7 泉の澗8 泉の澗9

R2 紺の澗MAP

紺の澗道路から見下ろして一番袋澗らしく見える澗で、澗を仕切る堤はコンクリートで補強され石積堤は見えないが、当時の袋澗の状態を想像できる遺構といえる。澗は漁場経営期間が長かった紺氏の名前をとって紺の澗と呼ばれているが、高島の澗や田原の澗など隣の澗も含めて今は使用されていない様子。このさき野中まで転々と澗はあるも袋澗の跡を示す建造物は見当たらず、野中の船揚場迄きて石積堤の痕跡を見るが、狭く小さい澗で単独では袋澗としての利用は無理そうだった。◇築年月:不詳 ◇堤構造:コンクリート・原型は不詳 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:利尻町仙法志御崎 ◇G.Maps:45.099036, 141.242767

泉の澗10 泉の澗11 泉の澗12 紺の澗2 紺の澗3 御崎海岸2

R3 石川の澗

石川の澗仙法志崎灯台下に広がる澗に石垣堤があり博物館の話では袋澗跡というが、袋澗としては狭いようで他の澗との併用で袋澗として機能していたようです。石川の澗、田中の澗など名前のある澗で船揚げ場として現在も使用されている。自然地形を利用した澗で、石積堤の底は抜けているが、残っている石垣の石材は間知石というより割石に近い印象だがはっきりせず、積み方は乱れていて谷積みのようです。◇築年月:不詳 ◇堤構造:間知石練積? ◇澗利用:船揚場 ◇所在地:利尻町仙法志御崎 ◇G.Maps:45.097149, 141.238308

石川の澗2 石川の澗3 石川の澗4 石川の澗5 石川の澗6 石川の澗7

R4 ニウロコの澗の一部MAP

仙法志御崎公園仙法志御崎公園の自然水族館は鰊袋澗を改造したものという。陸側の石垣などを含めると袋澗跡の雰囲気は残っているが原型は想像もできない。袋澗としては隣接する澗を含めてニウロコの澗と呼んでいたという。自然水族館は石積堤やコンクリートで仕切られ、自然に近いプールでアザラシが飼育され観光地となっているが、港湾のような改変とは違い袋澗の名残がみられる。ここから見える利尻山もいい。◇築年月:不詳 ◇堤構造:不詳 ◇澗利用:御崎公園自然水族館 ◇所在地:利尻町仙法志御崎 ◇G.Maps:45.100054, 141.227143

御崎海岸3 御崎海岸4 御崎公園1 御崎公園2 御崎公園3 伊藤の澗1 御崎海岸5 御崎公園4 御崎公園5 御崎公園6 伊藤の澗2 伊藤の澗3

R5 ホッケ澗の一部

ホッケ澗御崎海岸はミニリアス式海岸といった雰囲気で利尻でも特殊な地形の海岸、約1.5Kmの海岸に澗が30ヶ所程ある澗の密集帯で袋間も含まれるが痕跡が僅かに残っている程度で原型を留めている袋間はない。御崎漁港はホッケ澗?だったと云い、御崎漁港の横に石積堤が残っている。ホッケの澗の両隣の澗を含めて袋澗を形成していたようですが、今の遺構から袋澗全体の形は想像できない。◇築年月:不詳 ◇堤構造:間知石練積? ◇澗利用:御崎漁港 ◇所在地:利尻町仙法志御崎 ◇G.Maps:45.102830, 141.227733

ホッケ澗1 ホッケ澗2 ホッケ澗3 伊藤の澗4 伊藤の澗5 伊藤の澗6

R6 伊藤の澗MAP

伊藤の澗利尻島では袋澗の面影を良く残している袋澗跡です。明治23年に伊藤米八・磯八が開いた漁場で2つの澗からなり、袋澗以外に貨客船の乗降にも使われたことも有ると云うだけに澗は深さもある。東側の岩盤上に沿うように石積堤が伸びているが中間部は上部が崩落、大正期に亀張の堤体を修築あるいは築造しているというが、残された堤体の天端部はコンクリートで補強され平坦となっているので確かめようもない。堤体は間知石練積、谷積みで8段から4段、陸側には石垣が有り9段前後ありそう。場所は利尻町役場仙法志支所前、駐車は公民館を使えそうです。◇築年月:不詳 ◇堤構造:間知石練積 布積み ◇澗利用:船揚場 ◇所在地:利尻町仙法志字本町 ◇G.Maps:45.107003, 141.218122

伊藤の澗7 伊藤の澗8 伊藤の澗9 平田ノ袋澗1 平田ノ袋澗2 平田ノ袋澗3

R7 政泊の澗

仙法志仙法志漁港東防波堤基部でバス停「ほのぼの荘前」にある船揚場に石積堤の一部が残っている。堤体の形から澗の全体像を窺うことは出来ないが西側には浪けしブロックがありハサミ型の袋澗跡であった可能性が濃厚な印象だった。岩場を利用した堤体の上部は殆ど崩壊、残った一部に布積みのように見える部分もある。◇築年月:不詳 ◇堤構造:見知石布積み? ◇澗利用:船揚場 ◇所在地:利尻町仙法志政泊 ◇G.Maps:45.111846, 141.211679

R8 平田ノ袋澗MAP

平田ノ袋澗跡利尻島最大の鯡漁場経営者であった平田豊作は明治26年に鬼脇に来て海産仲買商となり、31年仙法志に移り昭和7年まで久連一帯に10ヶ統の漁場を開いたという。平田兵助が大正期に九連の人面岩横に建造した大型袋澗跡の一部が残るが、全盛時の写真を見ていなければ袋澗の形は想像もできないでしょう。袋澗の東側堤体が崩壊してなくなった岩に鉄筋が見えているが、地元の方は「鉄筋は堤が破壊され修復の時に使ったもので最初から使用したのではない」と。中央の堤は基部が崩壊しているが先端部が天端も含めて残存し形状は巻き天端のようで亀張りというが西側の堤は痕跡もない。主に間知石練積みのようですが残った堤体が極一部なので確定的なことは云えません。利尻町博物館に平田の澗(袋澗)が全盛だった頃の写真を展示されている。◇築年月:大正年代 ◇堤構造:間知石練積 補強に鉄筋使用 ◇澗利用:船揚場 ◇所在地:利尻町仙法志九連 ◇G.Maps:45.142800, 141.163730

平田ノ袋澗跡4 平田ノ袋澗跡5 平田ノ袋澗跡6 平田ノ袋澗跡7 野中海岸1 野中海岸2

R9 蘭泊の袋澗跡

蘭泊海岸地元の古老に蘭泊にあった袋澗について話を聞くことができたが、蘭泊の袋澗はその核心部は今の蘭泊漁港で深さが有ってこの辺では一番良い澗だったという。蘭泊漁港の北側にある大岩は陸から石積堤で繋がっていたと云いその痕跡がわずかに残る。湾内の北側に長い石垣が残っているのが、かつて湾内には鰊番屋が7件有ったと云いい、そのうちの1つが石垣の上にあったと云い、当時の面影を残す遺構のひとつ。漁場経営者は古平などの親方衆で鰊漁期だけ利尻に来て鰊魚を終えると番屋守を一人置いて引き上げたという。◇築年月:不詳 ◇澗利用:蘭泊港 ◇所在地:利尻町沓形蘭泊 ◇G.Maps:45.155604, 141.151442

R10 神居の堤跡

神居の堤跡神居の海岸パークのある漁港北側は整備され地形が変わっているが、漁港南側は昔と変らず旧船揚げ場と堤体の一部が残っている。残っている堤は陸上と船揚場横の堤跡の2ヶ所で船揚場の方は崩壊が進んで原型はわからないが、陸側は背後から来る波よけに作られたものか?、間知石谷積みのように見える。核心部分は港となって全体像は不詳、袋澗跡という確証はないが、残っている遺構と湾の規模から袋澗であった可能性はある。◇築年月:不詳 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:利尻町沓形神居 ◇G.Maps:45.162412, 141.141669

神居の堤跡1 神居の堤跡2 神居の堤跡3 蘭泊海岸1 蘭泊海岸2 蘭泊海岸3 平田ノ袋澗跡8 神居の堤跡4 神居の堤跡5 神居の堤跡6 沓形の切澗1 沓形の切澗2

R11 沓形の切澗 袋澗跡?

沓形の切澗沓形市街でセイコーマートの裏側の海岸にある切澗で、袋澗という記録は見ていないが2つの切澗の大きさから袋澗だった可能性は高いと思われそれぞれに水路があり切澗も水路でつながっている。航空写真で見ると澗の形がよくわかるが、石積堤等の痕跡は見当たらず澗も礫で浅くなっている。切澗は西に張り出した沓形岬の南側で湾内にあり、時化には強そうな地形なので石積堤の必要性はなかったのかもしれません。◇築年月:不詳 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:利尻町沓形 ◇G.Maps:45.183842, 141.133245

沓形の切澗3 沓形の切澗4 栄浜港付近1 栄浜港付近2 栄浜港付近3 栄浜港付近4

R12 種富海岸の石垣

種富海岸の石垣船揚場があるだけで袋澗跡らしき人工物があるわけではないが石垣が残り、その上は昆布干し場として利用されているが、かつては鰊番屋があったような石垣にみえる。船揚場には短く低い石積堤もあるも袋澗の遺構としては物足りない。隣の新湊漁港の南側に有った防波堤基部にかつて石積堤を見たこともあり、かつてこの辺にも袋澗があったのかもしれないが、それを確信させるような遺構は殆ど残っていない。◇築年月:不詳 ◇澗利用:船揚場 ◇所在地:利尻町沓形種富町 ◇G.Maps:45.194880, 141.142029

種富海岸の石垣1 種富海岸の石垣2 種富海岸の石垣3 種富海岸の石垣4 元泊の石積堤1 元泊の石積堤2

R13 栄浜の切澗

栄浜の切澗新湊漁港栄浜分港の両脇に切澗があるが核心部分は漁港に変わっていて、袋澗を連想出来る規模の切澗ではないが漁港を含めて袋澗として機能していた可能性はある。北側のホロフンベには航空写真で見る限り袋澗を想像できる澗が2ヶ所ほどみえるが、アプローチが徒歩か自転車限定となりパスしている。おなじホロフンベでも車でいける「北のカナリアたち」ロケ地近くの湾では、船揚場や石垣はあるも堤体などは痕跡はなかった◇築年月:不詳 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:利尻町沓形栄浜 ◇G.Maps:45.219648, 141.138530

R14 元泊の切澗と石積堤

元泊の切澗と石積堤Googlemapの航空写真を見て大磯漁港から東側の富士岬にかけて巡ってみた。袋澗が存在しても良さそうな海岸地形だが明瞭な袋澗跡はなく、本泊漁港近くの岩場の上に2ヶ所の石積堤と切澗を見たのみ。岩場を切って防波堤代わりにし、高さのない部分を石積堤で補完したものと思われ、主に間知石を使った3から5段の谷積と思われる堤体、天端部は平坦、切澗は浅くなっており船揚場も使用されている様子はない。単独の澗としては小さいが複数の澗ならば袋澗としても十分だったとおもわれるが、湾内の核心部は漁港に変わっているが、古くは運上屋の前浜で港でもあった。◇築年月:不詳 ◇堤構造:間知石谷積 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:利尻富士町鴛泊本泊 ◇G.Maps:45.253009, 141.184879

元泊の切澗と石積堤3 元泊の切澗と石積堤4 元泊の切澗と石積堤5 元泊の切澗と石積堤6 元泊の切澗と石積堤7 野塚海岸1 元泊の切澗と石積堤8 元泊の切澗と石積堤9 野塚海岸2 野塚海岸3 南浜付近の船揚場 平田ノ袋澗跡:利尻町博物館展示

礼文島の袋澗

礼文島には60基の袋澗が存在したと記録に有るようですが、袋澗の部材は玉石など自然石が主体で間知石を使用した大型で堅固の袋澗は存在しないという。袋澗は元地、南高山、香深、香深井、起登臼、西上泊に集中してあったというが、堤の素材が自然石では崩壊してしまうと痕跡が残らず切澗や柱の穴が伴っていなければ探すのは難しい。また海岸線の殆どが護岸と波消ブロックで埋め尽くされ、袋澗の痕跡を探すのは殆ど無理のようです。航空写真では召国ノ岬に単独の大きな切澗らしき形が見えるも現地での確認はしていない。北海道の鰊漁場は明治期の道南、大正から昭和前期の積丹半島、昭和中後期の利尻礼文島と確実に北上し昭和38年に途絶したが、近年は復活の兆しがみえている。

L1 金田ノ岬の切澗

金田ノ岬の切澗礼文で感じた事は袋澗の堤の土台部分を整地した床掘り跡が殆ど見られなかった事、床掘り跡はなく岩盤や岩の上にそのまま積み上げたようで、自然石を使用している袋澗では堤体が崩壊すると痕跡は切澗や柱跡だけということになる。そんな訳で袋澗と覚しき所は北高山を除けば切澗を伴う所だけに限られてしまうが、金田ノ岬先端部にあるL形の切澗は外海と湾内への水路がありどちらからでも澗に入れるのは緊急避難には便利そうだが、位置と規模から袋澗としては疑問符付。陸側に石垣が有ったと思われるが今は崩れて面影もなく、澗は礫で浅くなっており半分は波消ブロックで埋まっている。◇築年月:不詳 ◇澗利用:無利用 ◇所在地:礼文町船泊村 金田ノ岬 ◇G.Maps:45.460995, 141.032825

金田ノ岬の切澗1 金田ノ岬の切澗2 北高山の袋澗1 北高山の袋澗2 北高山の袋澗3 北高山の袋澗4

L2 北高山の袋澗MAP

北高山の袋澗北海道文化資源データーベースでは「北海道鰊史の最終の利尻・礼文場所では、袋澗が発達した」「礼文島は玉石程度の部材しかなく、大型で堅固のものは存在しない。..南高山の袋澗は大型方型で玉石も明瞭で当時の原型を止める唯一の貴重な産業遺産である」とあったが、その写真の袋澗は北高山にあった。堤体は基部の方から7割程度が残存するだけで先端部は既に崩壊、残存堤の天端部はコンクリートで補強され原型は不明、崩壊した部分の石材を見ると玉石主体の自然石と割石で間知石は見られなかった。◇築年月:不詳 ;◇澗利用:船揚場 ◇所在地:礼文町船泊村高山 ◇G.Maps:45.447592, 141.052179

北高山の袋澗5 北高山の袋澗6 北高山の袋澗7 北高山の袋澗8 ポンナイヲロ付近の船揚場1 ポンナイヲロ付近の船揚場2

L3 トコタンの切澗MAP

トコタンの切澗トコタン川河口とキトウス川河口の中間付近にある広い切澗で北側に水路が開いている。澗は礫で埋まり気味だが現役の船揚場として使用されているが、周辺に使われている澗はない。澗の周りに堤体を示す痕跡はないが、陸側に割石を主石材とした石垣がある。後背地が狭く不便そうだが澗の広さからみると袋澗としても問題なさそう。◇築年月:不詳 ◇澗利用:船揚場 ◇所在地:礼文町香深村トコタン ◇G.Maps:45.375967, 141.059506

キトウス船揚場1 キトウス船揚場2 キトウス船揚場3 キトウス船揚場4 トコタンの切澗1 宮島崎の切澗

L4 キトウスMAP

キトウス船泊漁協の体験センター北側にある船揚場で防波堤の一部が石積堤をコンクリートで補強し再利用、沖側の岩場に堤に使用したと思われる石が少し残っていた。元々は切澗のようで北側への水路はコンクリートやテトラポットで塞がれているが、漁協前の切澗と合わせると袋澗として十分な広さがあり、袋澗が小漁港として再利用したものか。◇築年月:不詳 ◇澗利用:小漁港 ◇所在地:礼文町香深村キトウス ◇G.Maps:45.373524, 141.059484

キトウス船揚場6 トコタンの切澗2 トコタンの切澗3 トコタンの切澗4 ポンナイヲロ付近の船揚場3 ポンナイヲロ付近の船揚場4

L5 宮島の崎 切澗

宮島崎の切澗船揚場部分に石積堤の痕跡が僅かに残っているが、それ以外では礫で浅くなった広い切澗があるのみ。澗周辺の岩盤に柱を立てたと思われる穴が一列に並んでいるが、澗内は礫で浅くなり始めている印象です。船揚場は現役だが澗の方は無利用、澗の広さから見るなら袋澗として機能した可能性は十分にありそうです。◇築年月:不詳 ◇澗利用:放置 ◇所在地:礼文町香深村ヘウケトンナイ ◇G.Maps:45.319203, 141.057362

宮島の崎 切澗1 宮島の崎 切澗2 ポンナイヲロ付近の船揚場5 ポンナイヲロ付近の船揚場6 ポンナイヲロ付近の船揚場7 金田岬 キトウシ海岸 キトウシ海岸 駒谷﨑北海岸1 駒谷﨑北海岸2 駒谷﨑北海岸3 駒谷﨑北海岸4 駒谷﨑北1 駒谷﨑北2 エコキナイ付近1 香深エコキナイ船揚場2 香深エコキナイ船揚場3 香深の船揚場1 香深の船揚場2 香深の船揚場3 香深市街付近の海岸1 香深市街付近の海岸2 宮島の崎 切澗3 宮島の崎4

ニシン街道MAP

ニシン漁で繁栄した日本海沿岸に残る鰊番屋・漁家住宅をはじめ、ニシン漁の栄枯盛衰、歴史を物語る碑などを集めましたが漏れがあるかもしれません。また各地に設置された「にしん街道」標柱も含めました。袋澗(跡)リストでは旧国道沿いとなるアプローチ困難な袋澗跡と痕跡程度の袋澗遺構は除外、勧めできる袋澗には☆マークを付加しました。


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コンテンツの内容を再編成しました。Mapも変更しています

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