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アウトドアユースとしてはやや異色のタイプ。自然公園と言うが自然環境は地味、だが周囲で山菜採りなどには事欠かない環境。特筆するとすればカタクリの群落、それ程大きな群落ではないが、園内にあるカタクリは群を抜いて大型の個体が多く色も鮮やかで見応えが有る。異色のもうひとつは園内に百基余りの句碑が並んでいる事。こんな公園は鷹栖にある句碑の森と此処くらいでしょう。
多寄町の日向自然公園近くに有る天塩川古川で、国道からの入口に看板がある。春と秋2.500羽を超す白鳥が、羽を休めに近くの沼地へ舞い下りてきます。警戒心の強い白鳥は近くの沼へ、人慣れした白鳥はこの沼にと住み分けている様だ。白鳥が去ったら次に訪れるのはサギの仲間が多い。此処ではアオサギ以外の姿を見る事もある。釣りは出来るかもしれない。◆士別市多寄町31線西
推定樹齢約1.100年とされているイチイ(オンコ)で 幹の直径は約2.4m、樹高は約21m、周囲7.5mで、平成2年に環境庁が実施した日本の巨樹、巨木の調査によるとイチイでは全国第2位、全道第1位ととう。名前通りにイチイの巨木ですが、腐朽が進み欠損も有るがそれが風格となっている。古くから林業関係者の間で『山の守り神』とされてきた。士別市文化財に指定されています。◆士別市西士別町学田 道有林内
士別市の西部には東の沢溜池、中の沢溜池、北静川溜池、中線溜池、北線溜池と五の溜池が点在しているが中の沢溜池と北線溜池以外は古い溜池で中には使われていない様な物もある。その中でも中の沢溜池は魚が釣れる様で釣り人を見かける事ある。北線溜池は景色はよい。北線溜池が出来る前は化石探しの方が入られていた沢です。
犬牛別に造られた灌漑用水専用のロックフィルダムで堤体の規模は小さいが、ダム湖自体は大きく新緑と満水時期が重なる季節は岩尾内湖を凌ぐ美しさだが、ただ灌漑用ダムで秋は水が殆どなくなる。ここは中生代白亜紀前期の蝦夷累層群下部の観察場所として地質マニアには知られた所、ダムの犬牛別側にその露頭がある。◆士別市温根別町
釣りに行く時に時々前を通過するのだが、その度に気になっている施設。ファームレストランがあり一度は訪ねてみたいと思うのだが、完全予約制と言う事で釣り師には敷居が高い。ファームイン(農家民宿)も有る様なので、田舎風景にどっぷりと浸かりたい方にはお奨め。牧場も近く釣りも出来る。◆士別市上士別町17線南66 TEL:0165-24-2470
元々各地に生息していたヘイケホタルですが、河川改修や農薬などで一時姿を消したが、最近は低農薬等でホタルが復活しつつある。上士別を流れる川は自然河川に近い環境を備えた今では珍しい里の川、それだけに復活が早かったのだろう。ホタルが普通に生息できると云う事は貴重な自然が残されている証です。◆士別市上士別町
士別滝上線を上士別から朝日町に向かい西内大部川を越える更生橋の少し手前で左折、西内大部川沿いに農道に進むと林道に代わるが、そのまま進んで行くと左側に2階建ての展望東屋があり駐車可能な広場がある。遊歩道もあるが手入れはあまり良くない。先は大きな砂防ダムになっていて公園風。魚道があり湖内を眺められるが土砂で浅くなっている。◆士別市上士別町
上士別町の大和に有る542haの広大な市営牧場で、牛馬の放牧が見られる。牧場は乙部山麓の標高205~550mの波状形丘陵に広がっている。この付近では最大の牧場で景色自体も良い。この辺では珍しい馬の放牧風景は良いのだが牧場が広すぎて近くには寄ってくれない。◆士別市上士別町大和
上士別の秘境とも云えそうな古い溜池で周囲は森に囲まれている。湖岸を巡る道はなく左岸に道路はあるがこちらも湖岸に降りられそうな所はあまり無い。昔何度かこのため池にニジマスが放流されたが10年ほど前にダムが一度開けられてニジマスの殆どは天塩川に下ってしまった。景色は新緑の季節が一番良いが道は行き止まりになる。剣淵町から桜丘湖を経て上士別峠を越え最初のY字交差点を右折、後は道なりに進む。◆士別市上士別町南沢
士別市無形文化財の指定を受けている朝日瑞穂獅子舞の伝習のために平成元年に建設された。獅子舞の稽古場として活用されているほか、設立当初からの獅子頭や衣装などの資料も展示されている。一般開放はしてないがあらかじめ申し出があれば見学は可能。獅子舞は町内の行事や朝日神社例大祭で披露されている。瑞穂獅子舞は大正5年に越中砺波獅子を模して奥士別神社祭に奉納されたのが始まりとされる。◇士別市朝日町中央
安政5年(旧暦6月19日)にこの地(リイチャニ)に上陸しニシハコロの家を見るも誰も住んでいず家は屋根も腐り中にもイタドリが生い茂っていた。その傍で宿営するも蚊が多く夜になってから家の中に入って火を燃して宿営するが、明け方の滝のような雨で、すすだらけの雨水でずぶ濡れになったという。国道239号を走り、JR宗谷線の陸橋を渡って1本目の交差点を右折。道道976号(西風連士別線)を北上して下北大橋手前の交差点を左折。さらに右、左と曲がって剣淵川堤防に上がると看板が見える。◇士別市北町 ◇標高 122m N44°12’21.1” E142°21’17.7”
武四郎は安政5年(旧暦6月20日)にサッテクベツのルヒサンケ家に泊まり、翌日上流の踏査に向かう。踏査の帰りも泊まって(旧暦6月22日)いるが、この時は武四郎一行が来たのを聞いた大勢のアイヌたちが戻っていて、にぎやかに酒宴を張ったという。つくも公園から道道朝日士別線を進み九十九橋を渡り信号を右折、直進約600m程の所にある境橋を越えて更に右折。約100m先の天塩川土手の下に案内看板。◇士別市中士別(宿営地・説明板)
◇標高 141m N44°11’01.3” E142°25’02.7”
サッテクベツから上流へ向った松浦武四郎一行は此処で進退窮り、引き返すかどうか悩んでいたが、偶然にアエリテンカの妻がいて、大木が倒れているからそれを渉るように、と教えられ、更に上流のペンケヌカナン(朝日町市街地裏)迄行き引返した。士別滝上線の上士別の市街地を過ぎ朝日方面に向い西内大部川にかかる更生橋を渡った左手に説明版がある。最近の説明板題字(下の写真参照)は殆ど読めない。◇士別市上士別町25線 天塩川探検之地・説明板
◇標高180m・N44°07’43.6”・E142°31’51.2”
道道251号線沿いに駅逓制度が終了した昭和22年迄残っていた駅逓で現存する旧駅逓舎。道道の改修工事の時に若干移動し、一部改築されて残されたという。駅逓の特徴的なデザインとはやや異なるが当時の様子がうかがえる。ただ痛みは相当で俗に言うナマコ鉄板で覆われたりシャッターの付設などかなり様変わり、一応駅逓を示す標柱が立っている。
◇設置:昭和03年10月 ◇廃止:昭和22年03月 ◇初代取扱人:玉置栄吉 ◇二代:玉置富一
◇現住所:士別市温根別北18線 ◇N44°15’58.7” E142°15’14.9”
約6000年前の縄文人の竪穴式住居遺跡で1971年に発掘調査。上士別から剣淵に向かい天塩川にかかる菊水橋を越えると小さな標柱が有るのでそれにしたがう。道道206号線から右折し突き当たりの細い橋を渡りその先更に進むと遺跡の表示がある、道は良くない。縄文人の竪穴式住居や竪穴式倉庫跡が復元保存されているのは士別では此所だけの様です。◆士別市上士別町13線南14番地
北見山地天塩岳付近(士別市)を源とし、多くの支流を集めサロベツ原野近くの天塩町で日本海に注ぐ。厳冬期には流路256km全てが凍り、日本では珍しい「北に向かう大河」です。また名寄市風連より下流に堰堤はなく150km以上をカヌーで下ることができる。特に下流域はその殆どが人里から離れ原始の様相を呈する流れになっています。
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