駅逓跡と記念碑を巡る旅
上川・空知地方の旧駅逓所と駅逓碑を巡る‼

上川・空知地方の駅逓碑

 内陸部で上川や空知地方は殆どが明治中期以降に開設されており残されている碑も多い。道北と道東で設置された全ての駅逓跡(複数以上)に碑があるのは7町村(合併前を含めて)となるが海岸では少なく内陸ほど多くなるのは共通しした傾向で、道北は史跡として設置された駅逓碑が最も多い地域です。ただ史跡と云っても管理されなければ消えてしまう事もあるのが実情のようです。ここに掲載している碑もその素材によっては残っていない可能性も有り、その点はご了解ください。現存する旧駅逓所は専用ページを設けたのでここでは省略します。

咲来(常盤)駅逓所跡表示板 音威子府村 MAP

咲来駅逓所跡

 鉄道開通前で当時の常磐村に明治37年に、現在の咲来地区に開設された。 音威子府村史によると駅逓取扱人の長村秀がこの地に移り住み、これが音威子府村の開基という。「北海道宿駅制の研究」で初代取扱人が塚田喜之治となっているが、駅逓の実質的経営は長村秀か・・音威子府の史跡は総てスチール製の看板で高さがあり目立つように配慮されている。「咲来駅逓所跡」の看板は咲来地区の南端、国道の咲来交差点の信号より踏切を超えた交差点の左側角地にあります。
◇設置:明治37年03月 廃止:明治13年06月
◇改称:明治38年02月 パンケサックルを改称 ◇初代取扱人:塚田喜之治
◇所在地:音威子府村咲来 ◇GPS:N44°41’21.7” E142°15’51.1”

森内駅逓所跡史跡表示板 美深町 MAP

森内駅逓所跡

 美深町恩根内の市街地端、恩根内大橋寄りの天塩川堤防近くの民家前に美深町設置の史跡標示板がある。恩根内唯一の商店で聞いた話では民家は駅逓の建物というが、土台がコンクリートとなって改修の跡が明瞭。駅逓舎の雰囲気は少し残っているが駅逓舎とするには疑問で、表示板の通り駅逓跡で良さそうです。堤防に近い松の木が目印。◇設置年:明治35年12月 廃止年:大正03年03月
◇改称年:明治38年02月 オンネナイを森内と改称 ◇初代取扱人:板東髙三郎
◇所在地:美深町恩根内 ◇N44°35’42.9” E142°18’09.5”

仁宇布駅逓所跡モニュメント石碑 美深町 MAP

仁宇布駅逓所跡モニュメント

 仁宇布には明治42年に数個が入植者がいるが、雄武町と美深町の中継地として明治45年に仁宇布駅逓所が開駅、昭和8年から蓮沼靖氏を取扱人として荷物などの運搬、宿泊所の役割を担った。駅逓は昭和18年に廃止、平成3年に美深町文化史跡に登録されていたが、建物の老朽化で維持が難しくなり解体された。駅逓の所有者だった蓮沼優裕さんは、駅逓跡に仁宇布駅逓所史跡のモニュメント建立し美深町に寄贈、モニュメントは高さ3.7m、幅4.1四m、奥行き1.4m、総工費は1244万円と駅逓の記念碑としては破格。◇設置:明治45年01月 ◇廃駅:昭和18年08月
◇初代取扱人:矢敷和佐 ◇二代:蓮沼靖 ◇美深町仁宇布 ◇美深町文化史跡
◇N44°32’42.10” E142°34’04.34”

下川駅逓所跡史跡木標 下川町 MAP

下川駅逓跡の碑

名寄と一ノ橋の中継駅逓として、明治37年に上名寄23線にパンケヌカナン駅逓所開設され、明治38年に下川駅逓所に改称。大正09年の鉄道開通で歴史的役目を終え廃駅となっている。下川駅逓所跡の記念標柱は国道239号線(下川国道)沿いの下川町立病院横、ふれあい寮前にあります。碑は平成12年に再設置。駐車スペースはなく近くでのパーキング探しは少し面倒。
◇所在地:下川町西町・国道239号線沿い ◇N44°18’15.7” E142°37’57.4”

一ノ橋駅逓所跡史跡木標 下川町 MAP

一ノ橋駅逓所跡

 明治37年に然別8線の名寄川右岸にシカリベツ駅逓開設、今の一ノ橋より天北峠よりで一ノ橋(橋の名前)の峠側、名寄川右岸に碑がある。当時は駅逓を中心にして小集落を形成していたと云うが今ではその面影もない。開設の翌年に一ノ橋駅逓所と改称、鉄道開通に伴い廃止される。廃校となった「一の橋小学校」施設を利用した「札天山(さってんざん)収蔵館」という下川町の資料館がある。
◇設置:明治37年03月 廃駅:大正13年03月 ◇初代取扱人:石丸滝蔵?
◇所在地:国道239号線天北峠 ◇N44°18’51.4” E142°47’14.6”

下多寄駅逓所跡史跡標柱 名寄市 MAP

風連駅逓所跡

 風連町下多寄地区で通称基線と呼ばれている天塩川近くに開駅され、駅逓所を中心に船着場、店屋、病院など10数戸の集落を形成していたと云う。駅逓取扱人は大谷幸輔で、上川支庁から3頭の馬が配置された。この基線はすぐ堤防に突き当たり、河川敷の中に風連教育発祥の地と風連駅逓発祥の地の木碑が建っていたが石碑に変わった。風連カヌーポートの入口から河川敷に入り左折、ラジコン飛行場の入口に碑が有る。◇設置:明治33年08月 ◇廃止:明治41年06月
◇所在地:名寄市風連町 天塩川河川敷 ◇N44°19’13.5” E142°23’38.7”

ペオッペ駅逓所跡石碑 和寒町 MAP

史跡ペオッペ駅逓所跡

 明治42年に剣淵村ペオッペ14線(現・和寒町西和)に官設駅逓所が開設され、昭和3年に廃止になる迄、和寒から幌加内を結ぶ車馬道の重要な中継地であったが、深川から幌加内までの鉄道が開通してからは利用者が減少し昭和3年に廃止され歴史的役目を終えた。建物は駅逓所廃止になってから80年以上が経過し残されていません。自然石の碑と和寒町が設置した説明板がある。
◇設置:明治42年02月 ◇廃止:昭和06年05月 ◇初代取扱人:和田常太郎 ◇二代:佐藤竜吉
◇所在地:和寒町西和14線 ◇N44°00’11.8” E142°17’44.0”

上俵真布駅逓所跡史跡標柱 美瑛町 MAP

俵真布駅逓所跡

 美瑛町唯一の上俵真布駅逓所跡を探していて、土地の方に駅逓跡に親切にも案内して頂いた頃には碑は無かったが最近になって史跡標柱が設置された。現地は藪で駅逓の痕跡は皆無だがそこだけ大きな木はなく開けた感じになっている。昔は尾根を超え忠別から駅逓に買い物に来ていた、志比内より近かったからだろうとの事だった。駅逓廃止後に別の方がニジマス養殖を営んだが続かず廃業、養魚池の跡がわずかに残る。俵真布中央から直線道路を進み橋を越え左側にはいると史跡標柱がある。美瑛町の郷土資料館には駅逓看板が保存されている。
◇開駅年:昭和13年01月 廃止年:昭和19年09月 ◇取扱人:馬場孫作
◇俵真布駅逓所跡:美瑛町俵真布 ◇GPS◇N43°36’145”E142°40’35.8”

下富良野官設駅逓所跡石碑 富良野市 MAP

下富良野官設駅逓跡01

 芦別方面、美瑛と十勝方面との分岐点として交通上の必要性から兜谷徳平が取扱人となり開駅された。明治41年廃駅となっているが、実際は民営で継続、明治44年まで稼働していたらしい。富良野市が下富良野と呼ばれた頃の「駅逓」記念碑が、富良野市街、新谷菓子店前の角地にあります。駅逓の遺稿は何も残っていない。◇開駅:明治32年08月 ◇廃駅:明治41年08月
◇所在地:富良野市朝日町4-7 ◇N43°20’50.9” E142°23’17.5”

金山駅逓所跡の碑史跡標柱 南富良野町 MAP

金山駅逓跡

 南富良野町にあった四カ所有った駅逓のひとつ。南富良野町の史跡マップにその名前を見つけ2度目の探索で会えた碑で、金山市街外れの国道脇に史跡標柱が立っていた。開駅は明治32年で:昭和3年の廃駅と金山駅逓所は占冠への入口となっていた為、営業期間が長くなったと思われます。 ◇開駅:明治32年08月 ◇廃駅:昭和03年10月 ◇初代取扱人:松野寿 ◇2代取扱人:武田孝一 ◇3代取扱人:大野広 ◇4代取扱人:館内由蔵 ◇5代取扱人:館内猛 ◇6代取扱人:館内クニ
◇所在地:南富良野町金山市街地 ◇GPS:N43°08’09.01” E142°24’53.92”

落合逓所跡の碑史跡標柱 南富良野町 MAP

落合逓所跡の碑

 国道からJR落合駅への入り口右側の角地で空き地になっている所に落合逓所跡の史跡標柱がある。碑を探すという事では南富良野町で最もわかりやすい所です。それに対し鹿越逓所跡や串内逓所跡の碑は南富良野町作成の史跡マップを頼りに4度の探索でも未発見で消失したと考えた方が良さそうだ。
◇開駅年:明治32年08月 廃駅年:昭和02年06月
◇初代取扱人:茂木虎徹 ◇二代取扱人:秋田勘平 ◇三代取扱人:秋田清一
◇所在地:南富良野町落合 ◇GPS:N43°07’25.94” E142°40’04.74”

峠下茶屋跡石碑・説明板 占冠村 MAP

峠下茶屋跡の碑

 民営の駅逓に近い経営だった様で馬宿もしていた様です。以下は史跡説明板によると、金山側に旅宿が有ったように占冠側のこの地には茶屋が二軒有り、どちらも馬宿をもしていたというので私設の駅逓と考えても良さそうだ。それだけなら碑等は残らなかっただろうが、峠の茶屋には「おにばばあ」という有名人がいて「おにばばあ」見たさに占冠に転勤を希望した役人もいたとか・・全文は写真で見てください。◇所在地:占冠村字占冠 金山峠
◇GPS:N43°04’53.0” E142°23’41.1”

上トマム駅逓所跡石碑・説明板 占冠村 MAP

上トマム駅逓跡

 南トマムからまもなくの所に上トマム駅逓跡の碑がある。ここは石狩水系と鵡川水系の分水嶺であり、かつては石狩と胆振の国境で国標もあったというが、今は占冠と南富良野の境界だ。なだらかに見えるが海抜約570mで金山峠よりも高い。周辺には商店もあったというが今は記念碑以外に何もない。トマムという地名はアイヌ語で湿地という意味で、トマムという地名は各地に残っているので混乱する。文字にすると占冠がトマムで陸別は斗満(トマム)となる。
◇開駅:大正03年11月 ◇廃駅:昭和16年02月 ◇初代取扱人:森数三郎
◇GPS:N43°02’54.5” E142°39’58.3”

下トマム駅逓所跡石碑・説明板 占冠村 MAP

下トマム駅逓所跡

 石碑は道道夕張新得線から石勝高原幾寅線に若干入った所の右手にあり樹林のしたになるが、下草は刈られてきれいに管理されている。下トマムトマム駅よりも少し占冠側の地域で此処から幾寅峠を越えて鹿越に抜けられるが峠はダートで急カーブが続く道。この辺は釣りをする人は魅力的な渓相が続いているが、熊もいそうな雰囲気です。◇開駅:大正14年05月 ◇廃駅:昭和22年03月
◇初代取扱人:山下要助 ◇二代:十塚利三郎 ◇所在地:勇払郡占冠村字下トマム
◇GPS:N43°04’02.7” E142°31’54.9”

占冠駅逓所跡石碑 占冠村 MAP

占冠駅逓所跡の碑

国道237号線と道道136号夕張新得線の交差点より占冠中央側に若干よった所に青い屋根の物置と民家が有り、その間に碑と説明板があり、脇にポールが立っている。駅逓の時代は占冠の中心地だったが鉄道の駅や高速道路の普及で、今は占冠中央とトマムにその座を明け渡す形になっている。管理人が20代の頃、一年ほど仕事をしていた所でもある。 ◇開駅:明治37年06月 ◇廃駅:昭和08年07月
◇初代取扱人:岩崎勝治 ◇二代:吉田正美 ◇三代取扱人:永井彦一
◇所在地:勇払郡占冠村字占冠 GPS:N43°00’15.7” E142°24’22.9”

ニニウ駅逓所跡石碑・説明板 占冠村 MAP

ニニウ駅逓跡

 かつてニニウ集落であった真ん中を高速道路が貫通し、キャンプ場は廃止され、サイクリングターミナルは既に崩壊が始まっていた。そんなニニウの入口でサイクリングターミナルの広告塔と一緒に碑があるのは痛ましくもあり、何とも皮肉な風景だ。駅逓時代の鬼峠は既になく占冠側に鬼峠民有林道の急斜度にその一端を垣間見るが、昔はこの鬼峠を徒歩で越えた。◇開駅:大正06年12月
◇廃駅:昭和20年09月◇初代取扱人:小林昇之助 ◇二代:三船留七
◇所在地:勇払郡占冠村字ニニウ ◇GPS:N42°57’27.0” E142°19’50.6”

幌加徳富駅逓所跡石碑 新十津川町 MAP

幌加徳富駅逓跡

 徳富ダム近くで左手の林に幌加徳富駅逓跡の碑が有るという情報で古い幌加徳富駅逓跡碑の写真を見た事があったが、周囲が農地再開発で様相が少し変わって道路も変わったのか、駅逓碑も更新され道路に近い所に立っていた。駅逓の改廃年が北海道宿駅制の研究とは異なっており民営の期間があったようです。かつての小学校が有った所かもしれないとのことだが、すぐ近くに廃屋の痕跡もみられた。碑は草が伸びるとみえないかもしれません。◇開駅:明治42年01月
◇廃止:大正12年03月 ◇初代取扱人:青野源治 ◇所在地:新十津川町北幌加
◇GPS:N43°34’46.80” E141°39’13.86”

南幌加駅逓所跡石碑 新十津川町 MAP

南幌加駅逓跡

 南幌加小学校跡より数百メートル手前で右折し、徳富ダム工事現場方向に進み徳富川を越えて道路がカーブし登りにさしかかる所で左法面に中程に碑がある。北海道宿駅制の研究より碑の方が一年早い開始年となっており民営の期間があったものか? この先は農地の再開発とダム工事現場関連の事業所があるだけで無人地帯。◇開駅:大正08年02月 廃止:昭和16年10月
◇初代取扱人:菊田馨太郎 ◇二代取扱人:菊田清兵衛 ◇現住所:新十津川町南幌加
◇GPS:N43°33’53.77” E141°40’54.62”

西徳富駅逓所跡石碑 新十津川町 MAP

西徳富駅逓

 新十津川から浜益に抜ける途中、吉野小学校の隣に「西徳富駅逓跡」が有ります。吉野小学校は既に廃校となっており、現在は「風の美術館」となって碑は「風の美術館」入り口の左側、道路脇で目立つところにある。小集落の中心地なので碑は割と簡単に見つけられると思います。
◇開駅:明治37年04月 ◇廃止:大正08年03月 ◇初代取扱人:中垣隆太郎
◇所在地:新十津川町吉野 ◇GPS:N43°35’44.77” E141°43’53.21”

恵岱別駅逓所跡石碑 北竜町 MAP

恵岱別駅逓

 明治24年の増毛道路の開削にともない尾白利加、仁奈良の駅逓と共に開設された駅逓で、明治40年に和(やわら)に移転している。雨竜川支流恵岱別川沿いで恵岱別の道道94号脇「ふぁ~む ふかせ」敷地内に恵岱別駅逓跡の石碑がある。増毛道路は一度は廃道になっていたが現在は信砂に抜ける道道となって復活、今は峠を迂回して低い所を通っている。なお仁奈良駅逓は増毛町の史跡になる。
◇開駅:明治24年06月 ◇廃止:大正05年08月 ◇初代取扱人:後藤喜代治
◇GPS:N43°42’50.2” E141°49’34.8”

尾白利加駅逓所跡石碑・説明板 雨竜町 MAP

尾白利加駅逓跡

 明治24年、増毛道路の開削にともない尾白利加駅逓が置かれ滝川、増毛方面への物資や郵便物の輸送を取り扱っていました。以前は江竜橋の上流にある後藤橋の上流50mほどの国道沿いに尾白利加駅逓と波止場跡の史跡(説明板)が有ったが、碑は更新され雨竜発祥の地碑のある場所に再建(説明板のみ)された。江竜橋(旧橋の方)のたもとには伏古渡船場が有ったとの事で記念碑がある。
◇開駅:明治24年06月 ◇廃止:明治39年06月 ◇初代取扱人:後藤喜代治
◇所在地:雨竜町字尾白利加83-3 ◇GPS:N43°37’24.0” E141°52’50.1”

樺戸川駅逓所跡石碑 浦臼町 MAP

樺戸川駅逓所跡

 碑は浦臼町の道の駅から少し北上した「道の駅鶴沼まで2km」の表示板がある所で、浦臼からだと国道275号線の左側、古い商店の建物の脇で平成10年に更新されている。この付近では石狩川の船着き場に近いところに駅逓が有るような印象が有るが、石狩川の船運とは密接にかかわっていそうです。同じ所にあるもうひとつ碑は「稜位」「浦臼先住者為 青木六蔵氏贈之」と刻まれている。樺戸川駅逓所の初代取扱人、青木六蔵氏に贈られたものか、青木六蔵氏が寄贈したのかで意味は違ってくるが、青木六蔵氏が寄贈したとすれば「稜位」で先住民族に敬意を示したものか? 松浦武四郎の十勝超日誌(安政五年)ではウラシナイにアイヌの方々が数人の住んでいた。
◇開駅:明治24年06月 ◇廃止:大正01年10月 ◇初代取扱人:青木六蔵
◇所在地:浦臼町於札内 ◇GPS:N43°28’01.33” E141°50’57.96”

音江法華駅逓所跡説明板 深川市 MAP

音江法華駅逓所跡

 北海道庁の命を受けた高畑利宜は樺戸集治監の服役者を使い旭川までの仮道路を作った。その高畑利宜が役人を辞して明治22年に開設した5駅逓の一つで音江法華駅逓所-第2美英舎と名付けられ、上川街道の中継点として人馬を備え、宿泊と運送の便をはかった。建物には本館をはじめ、きゅう舎などの付属施設がありました。説明板は国見峠へ向かう市道(旧上川道路)わき、敬徳寺斜め向かいにある。国見峠展望公園の視界は以前と比べると良くない。 ◇設置:明治22年04月
◇廃駅:大正11年07月 ◇初代取扱人:高畠利宣 ◇二代:沼田覚兵衛
◇三代取扱人:山本弥太郎 ◇四代:疋田与惣治 ◇五代取扱人:高橋惣吉
◇所在地:深川市音江町1丁目12番22号 ◇N43°41’52.38” E142°04’46.74”

空知太駅逓所跡石碑 滝川市 MAP

空知太駅逓

 高畑利宜が役人を辞して明治22年に開設した5駅逓の一つで第三美瑛舎ともいう。国道沿いで滝川に向かって空知大橋を渡り最初の信号を右折すると、ふじ観光と中央バス滝川営業所の境界で道路際にある
◇開駅:明治22年03月 ◇廃止:明治39年05月 ◇初代取扱人:高畠利宣
◇所在地:滝川市新町3丁目1番 ◇N43°33’01.4” E141°54’46.2”

歌志内駅逓所跡史跡標柱 歌志内市 MAP

歌志内駅逓

 砂川から道々114号へ入り、市役所を抜けてから赤平駅へ抜け道々691号の手前で、道々から3本ほど山側に入った所で左折すると歌志内商工会パーキング前に歌志内駅逓所跡の史跡標柱がある。地元の方によると旧道はこちら側を通っていたと、かつては赤平と芦別に抜ける分岐点近くだったのかもしれない。歌志内駅逓が設置されたのは明治37年、赤平と芦別は大正2年に根室本線が開通したが、芦別の奥地は歌志内から峠越えの方が近かったのか?
◇開駅:明治37年04月 ◇廃止:昭和05年08月 ◇初代取扱人:田中次吉 ◇二代:高瀬藤七
◇所在地:北海道歌志内市字本町 ◇GPS N43°31’22.8” E142°02’24.0”

奈井江駅逓所跡石碑・説明板 奈井江町 MAP

奈井江駅逓

 高畑利宜が役人を辞して明治22年に開設した5駅逓の一つで第四美瑛舎ともいった。国道12号沿いで、奈井江川を渡る橋の近く、札幌から旭川方面に向かい橋を過ぎ左側で最初の商店横空き地に、奈井江町開拓記念碑と説明版がある。駅逓そのものを記念する碑ではないが、説明版の中で第四美瑛舎が当地に明治22年開設され明治24年に廃止されたと記してあった。鉄道は明治24年に砂川まで開通。◇開駅:明治22年04月 ◇廃止:明治44年11月 ◇初代取扱人:高畠利宣
◇所在地:奈井江町106−7 ◇GPS:N43°25’14.17” E141°53’09.13”

岩見沢発祥の地石碑 岩見沢市 MAP

岩見沢発祥

 はっきりしないが岩見沢発祥の地公園に関して、明治11年官設駅逓所が開設されたが幌内鉄道の開設で廃駅、狩野末治に払い下げられ明治16年頃より旅人宿と渡し守をしたとされている。高畠利宣の駅逓(第五美瑛舎・明治22年)とは開始年が異なりこちらが岩見沢最初の駅逓のようで、この駅逓と渡し場を中心にして市街地が開けた。また岩見沢の地名起源(数説有り)となった浴沢(ゆあみさわ)もこの近くという。場所が少し複雑だが便利な公園です。
◇開駅年:明治11年 廃止年:明治15年? ◇初代取扱人:狩野末治?
◇所在地:岩見沢市北本町東1丁目 幾春別川右岸の幾春別川リバーパーク内

駅逓所縁の人物・記念碑、宿泊施設など

上川道路開鑿記念碑MAP

上川道路開鑿記念碑

 明治19(1886)年に国道12号の前身となる市来知~忠別太間の87.9kmの上川道路(札幌・岩見沢間は含めず)が着工され3ヶ月で仮開通、工事には樺戸集治監の囚人が駆り出された。翌年から本工事が開始され樺戸、空知集治監の囚人らが動員され明治23(1890)年に全線開通。軍用道路という性格を併せ持っていた事もあり人力による突貫工事で多くの囚人達が犠牲になった。開道百年を記念して昭和44(1969)年に空知太神社境内に、囚人の慰霊のため砂川市と北海道が「上川道路開鑿記念碑」を建立。◇撮影地:砂川市空知太 ◇GPS:N43°32’35.38” E141°55’11.73”

ワッカウェンベツ(大和)駅逓所駅逓所木彫看板 中川町

駅逓看板

 駅逓数は七駅逓と中川町は上川管内で開設数が多かったが今は形跡も殆どなく碑などもない。集団離村して今は誰も住んでないワッカウェンベツ、町道ワッカウェンベツ線を辿った奥にあったワッカウェンベツ(大和)駅逓所は大和小学校のあった敷地内と同じようですが、この地に行くのはオフロード車でも難しいかもしれない。大和小学校の痕跡はまだ残っているようですが、人々の記憶から消えるの防いでくれるのがワッカウェンベツ(大和)駅逓の木彫看板、エコミュージアムセンターに展示されています。◇設置年:昭和06年12月 ◇廃止年:昭和22年03月
◇昭和16年04月,大和と改称◇初代取扱人:高野正盛 ◇二代取扱人:高野孫市郎
◇三代取扱人:東浅雄 ◇現住所:中川町大和 大和小学校跡にほぼ同じ。

板谷駅逓所と共和駅逓所跡駅逓の松 中川町 MAP

板谷駅逓の松

 中川町はその面積にしては駅逓の開設数が多かった町で、かつてはハッカ景気などで活況を呈していた時代もあった。安部志内川沿いで通り抜けの出来ない最奥にあった板谷駅逓所は大正15年設置で昭和19年廃止の経過をたどり建物は既に無いが、駅逓前に植栽していたという外国産の松並木(ストローブ松?)が残っている。記念碑こそないが板谷から恩根内への分岐手前の「駅逓の松」にかって存在した駅逓の痕跡を見る。斉藤茂吉小公園近くに有った志文内(共和)駅逓所は駅逓廃止後には営林署の宿舎として平成まで利用されていたが今やその痕跡も殆ど無い。
◇設置年:大正15年10月 廃止年:昭和19年12月
◇改称年:昭和16年04月 板谷農場を改称 ◇初代取扱人:渡辺仁太郎 ◇所在地:中川町板谷
◇板谷駅逓所跡 ◇GPS・N44°39’42,1” E142°03’11,7”

天人峡温泉 天人閣天人峡駅逓所 東川町

 天人峡温泉の開湯は1897(明治30)年、松山多米蔵がアイヌの人から滝と湧泉の話を聞き、案内を受けて忠別川を遡り温泉を確認した松山多米蔵にちなみ「松山温泉」と呼ばれた。3年後の1900(明治33)年に松山温泉旅館(現・天人閣)が完成し営業を開始。1923(大正12)年に松山温泉から旭岳、層雲峡から黒岳、縦断登山道の開削、山小屋や旭平、雲の平に石室設置など登山環境が整い「忠別渓駅逓所」が開設。1936(昭和11)年に地元と大雪山国立公園観光連盟が協議し天人峡温泉に統一され駅逓も「天人峡駅逓所」と改称、昭和13年に廃駅。駅逓取扱人は西村治太郎氏、松山登氏でした。観光スポットの天人峡には国内2番目の落差を誇る「羽衣の滝」がある。 ◇開駅年:大正12年10月 改称年:昭和16年06月 ◇廃止年:昭和22年03月 ◇初代取扱人:西村治太郎 ◇二代取扱人:松山登一  ◇所在地:上川郡東川町天人峡

層雲峡温泉 層雲閣グランドホテル層雲峡駅逓所 上川町

 温泉は1900(明治33)年に塩谷水次郎氏、古宿小八氏らによって確認され、のちに湯小屋などが建てられ温泉宿の原型となる。1922年(大正11)に明治から有った温泉宿で塩谷温泉の経営が塩谷水次郎より荒井初一に変わり石北線鉄道工事・従業員の仮宿泊場として利用された。大正12年に黒岳登山道が開削され、層雲峡は登山基地としての需要が高まり塩谷駅逓所?を(現・層雲閣敷地内)開設、駅逓取扱人は荒井孝忠であった。昭和3年に層雲峡駅逓所に改称、昭和13年廃駅となっている。駅逓舎は洋風2階建てあったという。駅逓廃止後も温泉宿は継続され層雲閣に継承されている。◇開駅年:大正12年12月 改称年:昭和03年05月 ◇廃止年:昭和13年10月 ◇初代取扱人:荒井孝忠 ◇所在地:上川郡上川町層雲峡温泉

吹上温泉 吹上露天の湯十勝岳駅逓所 上富良野町

 吹上温泉の開湯は1937(明治39)年頃というので、硫黄鉱山開発が始まってからの事。吹上温泉の経営は1922(大正11)年に中川三郎から、吹上温泉までの道路開削をした飛沢清治に経営が変わった。1926(大正15)年の十勝岳大噴火では被害を受けなかったと云うが山麓では泥流で甚大な被害をうけた。大爆発以来幾度もの小爆発で山岳研究者の外に利用者は絶無で温泉経営が成り立たず閉鎖状態に陥り十勝岳火山観測も中止状態に。火山観測など山岳利用者のため1927(昭和元)年に吹上温泉宿を官設硫黄山駅逓所とし官馬3頭が貸し付けられた。硫黄山駅逓所は昭和7年に「十勝岳駅逓」と改称、昭和16年廃駅。駅逓開設の趣旨が一般的な駅逓とその性格は異にしている。廃駅で駅逓の建物は軍が解体し接収、温泉宿も泉温の低下あったようで1943年(昭和18年)に廃業、露天風呂は放置された。1988(昭和63)年の十勝岳噴火以降の湯温上昇があり露天風呂(野湯)の利用者が増え、1991年に「吹上露天の湯」として露天風呂が再整備された。◇開駅年:昭和02年08月 改称年:昭和07年07月 ◇廃止年:昭和16年11月 ◇所在地:上富良野町吹上温泉

上川・空知エリアの駅逓跡碑ギャラリー

板谷駅逓跡傍の松01風連駅逓跡02仁宇布駅逓所跡モニュメント02史跡 ペオッペ駅逓所跡全景02下富良野駅逓跡上俵真布官設駅逓跡碑
上トマム駅逓跡02下トマム駅逓所跡02占冠駅逓所跡02峠下茶屋跡の説明板空知太駅逓跡の碑樺戸川駅逓所跡
岩見沢発祥の地02岩見沢発祥の地03対雁駅逓跡説明板音江法華駅逓所跡の説明板新設尾白利加駅逓所跡碑尾白利加駅逓所跡・旧説明板
歌志内駅逓所跡落合駅逓所跡恩根内の駅逓跡02下川駅逓跡の碑02一ノ橋駅逓所跡02ニニウ駅逓跡02雨竜発祥の地南幌加駅逓跡
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