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明治23年に空知採炭所の開設によっ開かれ、炭坑の城下町として発展してきたが、石炭産業の衰退により平成9年には残っていた最後の炭坑も閉山。石炭産業の全盛時には45.500人以上の人が暮らしていたが、基幹産業を失った事で過疎化が進行し日本で一番小さな市となった。石炭産業なきあと歌志内の地形を生かした農業などへの取り組みも始まっており、新しい歌志内に生まれ変わろうとしている。市名の由来はアイヌ語の“オタ・ウシ・ナイ”=砂・多くある・たくさんある・沢=に漢字を当てたもの。
明治23年石炭採掘によって開かれ石炭産業とともに発展してきた歌志内の平成9年の歌志内開基100年が炭都歌志内の幕を下ろした年でもあった。歌志内市開基100年を記念するとともに新生歌志内をめざすメモリアルパークが旧歌志内駅の広い敷地跡に作られた。園内の中央に大きな噴水がありブロンズ像のシンボルキャラクターの「ホルン君」があります。広い駐車馬も完備されドライブ中の休憩にもお奨め、隣接する歌志内駅跡には「郷土館 ゆめつむぎ」がある。◇所在地:歌志内市字本町1027番地
開基100年記念で開設された郷土館。資料展示が主体の郷土館ですが炭砿全盛期の歌志内がよくわかる。入館して最初に目に入ったのは歌志内出身の芥川賞作家、高橋揆一郎の常設コーナーでした。映像資料では炭砿の世界、歌志内の歴史、庶民の暮らしなどがわかりやすくまとめられた映像が3Dハイビジョンシアターでみられる。収蔵展示室には電車や人車、トロッコなどの重機や採炭現場で使われていた機材などもあるが、ユニークなのは坑道を疑似体験が出来る「まっくら体験室」。他に注目したのは「葵の紋章入り友子組合旗」とクラッシックカーの仲間入りをしたスバル360、郷土資料館にあるとは驚きでした。常時開設では無いので事前に開館日を確認してください。◇所在地:歌志内市字本町1027番地1 TEL:1025-43-2131
歌志内市に残る大正年代唯一のレンガ建築物で、酒屋の倉庫として使用されていたが平成に入ってから閉鎖されていた。平成8年に画家の本城義雄さんが一部を増築してギャラリーとしてオープン、以降は毎年ゴールデンウイークの時期に大正館展を開催している。館内には明治から昭和初期までの生活骨董品を多数展示しいるが、炭砿全盛期の生活用具が多く柱時計は懐かしいものがそろっている。隣接のギャラリーには館主の油絵作品を展示しています。
4~11月に限り希望に応じて開館、予約が必要です。◇所在地:歌志内市本町1 TEL:0125-42-2276
碑文より「明治16年生まれの父/菊五郎が妻子を引き連/れて北海道を転々としたのち/終焉の地歌志内に落ち着いた/のは昭和3年春のことで私/はその直後にうまれた ヤマの名は坂炭砿/そこが東のどんづまりだから/カミをつけて上歌志内である/つづめて上歌と呼ばれていた/東の空から日々まあたらしい/日が昇った/歌志内なくして/わが文学なし 平成5年春 高橋揆一郎」裏面の碑文より「高梁氏の文学は郷土歌志内で/育まれた文学である/昭和53年「伸予」で第79回芥川賞/平成4年「友子」で新田次郎文学賞を/受賞した 同じく歌志内に生活を/共にした私たちは氏の功を讃え/自筆の碑文を彫してこの文学碑を建立する/1993年8月/以下建立者名は省略」文学碑は公民館裏側で歌志内公園にある。◇建立年:平成5年8月5日 ◇建立者:歌志内市長 河原 敬 歌志内歴史資料収集・保存会 ◇所在地:歌志内市本町 歌志内公園(公民館裏側)
国木田独歩が歌志内を訪れたのは明治28(1895)年で駅近くの石川旅館に二泊して空知川周辺を探索している。詩碑は碑文より「北海道の山林に自由を求め、1895(明治28)年9月25日、此の地に来遊した国木田独歩を偲び、歌志内町開基60周年にあたり記念のためこの詩碑を建立する。1957年9月 発起人 歌志内町長 加藤正雄 寄贈者 村本尚之 碑文・筆者 金子鴎亭 ※詩は写真を参照してください。」国木田独歩の「空知川の岸辺」より当時の状況を再現すると「余は宿るべき家のあてもなく停車場を出ると、流石に幾千の鉱夫を養ひ、幾百の人家の狭き渓に簇集して居る場所だけありて、宿引なるものが二三人待ち受けて居た。其一人に導かれ礫多く燈暗き町を歩みて二階建の旅人宿に入り、妻女の田舎なまりを其儘、愛嬌も心かららしく迎へられた時は、余も思はず微笑したのである。」とある。宿泊した石川旅館の所に平成2年設置の史跡標注は見当たらなかった。◇建立年:昭和32年9月21日 ◇建立者:歌志内歴史資料収集・保存会 ◇所在地:歌志内町本町(現・歌志内市) 歌志内公園内
歌志内市は昭和53(1978)年7月1日に開基81周年、市制施行20周年を迎えたことを記念して戸長役場跡に石碑を建て「歌志内発祥の地」と命名している。歌志内はアイヌ語起源なので発祥というのには?な部分もあるが、碑文からみると北海道炭鉱汽船がペンケウタシシュナイの上流に空知採炭所を開砿して今の歌志内の基礎を築いたこと。碑文の一部より「郷土開発のために汗と血を流した先人の労苦を偲ぶとともに、明日への発展の礎とするため戸長役場が置かれたこの地を歌志内発祥の地として記念碑を建立する。」とあり開基や町政施行とは違い歌志内の歴史を包括した意味合いをもつ。碑は歌志内開拓記念小公園」にある。◇建立年:昭和53年7月1 ◇建立者:歌志内市 ◇所在地:歌志内市本町 ◇Mapコード:43.523432, 142.039914
砂川から道々114号へ入り、市役所を抜けてから赤平駅へ抜け道々691号の手前で、道々から3本ほど山側に入った所で左折すると歌志内商工会パーキング前に歌志内駅逓所跡の史跡標柱がある。標柱の正面には「駅逓所とは、僻陬の地(へんびな地)に駅舎及び場匹をそなえ旅客の宿泊、貨物の輸送等を業務とした。標柱右側に「歌志内の場合、明治37年4月1日この地に開設され、赤平・芦別との交通上大きな役割を果たした公の施設であった。地元の方によると旧道はこちら側を通っていたといい大正陸測図には本町から赤平市街へ抜ける道道691号線ルートと道道114号線に沿った道があり、駅逓はその分岐点近くで歌志内駅にも近いところでした。明治24(1891)年に歌志内駅が開業するが、赤平や芦別方面への入植が始まったのも明治24年頃で、当時の入植者は歌志内経由で入植している。このことが駅逓を開設することになった理由となりそうです。赤平に鐵道が入ったのは大正2(1913)年ですが、その後も駅逓が存続していたのは炭砿関連への物資輸送などがあったためと思われるが、鉄道駅開設後に設置された駅逓は少ない。当時の駅逓舎は官設と私設の割合は半々くらいで、歌志内の場合は説明文から見ると官設だったようです。◇開駅:明治37年4月 ◇廃止:昭和5年8月 ◇初代取扱人:田中次吉 二代:高瀬藤七 ◇建立年:平成2年5月20日 ◇建立者:歌志内歴史資料収集・保存会 ◇所在地:北海道歌志内市字本町 ◇Mapコード:43.523020, 142.040002
碑文より「1984(明治23年、福島県人(會津藩士)星野義信が、自宅で3人の子女に寺子屋式教育を行う。その後、数が増えたため、下ノ沢五号長屋の一棟に移った。そこがこの地(※碑のある場所の意)であり、私立炭山小学校。公立歌志内尋常高等小学校へと発展する出発点となったのである。歌志内歴史資料収集・保存会 1990(平成2)年10月7日建立 豊山記」とあった。歌志内小学校と道路を挟んだ東光児童公園内の一角にあります。またここには東光地区にあった安全之塔も移設されている。◇建立年:平成2年10月7日 ◇建立者:歌志内歴史資料収集・保存会 ◇所在地:歌志内市東光 ◇Mapコード:43.519266, 142.046993
道道赤平奈井江線沿いに面した道の駅で平成11年オープン、道の駅に併設された温泉宿泊施設『チロルの湯』に直結している。売店では国内唯一の馬具メーカー「ソメス」の革細工やヨーロッパの民芸品などユニークな品揃え。この場所は住友歌志内鉱の跡でかつては炭砿関連の事業所が立ち並んていたが、住友歌志内鉱が閉山し廃坑になった冷泉を活用して出来たサンレイ温泉がチロルの湯の前身となった。廃坑から湧いている冷泉を使用した温泉は、道内では他に桂沢に有るだけという。観光地では触れたくない歴史は避けられることもあるが、この炭砿では閉山までの間に多数の犠牲者を出しサンレイ温泉のオーナーは、この温泉はその方達の御陰で温泉が成り立っていると考え山霊観音を建立したが、新たにチロルの湯を開設するとき、右方向70m程移動させ、結果としては観光者の目から観音を遠ざけることになってしまった。◇所在地:歌志内市字中村78番地3 TEL:0125-42-5588
道の駅 うたしないチロルの湯に隣接する温泉・チロルの湯の東側で舗装が途切れた所に御堂があり山霊観音が祭られている。チロルの湯の前身となったサンレイ温泉の経営されていた方(建立者)の説明を『歌志内・歴史散歩道』より引用すると「ここは住友歌志砿の跡地でして閉砿する昭和46年までに、かなりの数の殉職者を出しています。私の記憶にあるだけでも、昭和34年に14名、44年に17名、そして46年には30名というふうにです。そこで、この温泉は、これらの方々のおかげで成り立っていると考え、昭和55年12月、観音を建立し、霊を慰めることにしたんです」」とある。それをチロルの湯がオープンしたときに移動させようという話がもちあがり、右方向70m程移動させた。結果としては観光者の目から観音を遠ざけることになってしまった。◇建立年:昭和55年12月 ◇建立者:サンレイ温泉 ◇移転年:平成4年 ◇所在地:歌志内市中村 ◇Mapコード:43.504282, 142.007840
宝石店は大きな町には有るが研磨した鑑賞石となるとマニアックな世界で触れる機会は少ない。樹石苑では国内唯一の女性研磨師・加藤園美さんの手により北海道の流紋岩やアンモナイトなどを研磨、加工した観賞石や道産アンモナイトのボーラタイやタイピンなどの装飾品があります。男女での技術差はないと思うが感性は違うでしょうね。蛇紋岩ならば素人でも研磨が可能ですが・・歌志内市中村58番地 樹石苑 TEL:0125-42-2278
かつて歌志内の主要産業であった石炭の露頭炭採炭跡地を開き主にワイン用葡萄の栽培をしているファームです。此処で栽培されたぶどうはペンケ・ウタシュナイという「うたしないワイン」になります。変わっているのはヤギがいること、ぶどう畑で雑草を食べさせるために飼われているようです。観光農園ではないので歌志内の新名所と言うには厳しいが、ワインファンは覚えておきましょう。◇所在地:歌志内市上歌32番地15 TEL:0125-42-5555(代)
歌志内市郷土館「ゆめつむぎ」のすぐ近くにあるペンション兼民宿で、多分民宿は此処だけ、1人旅では選択の余地はない。料金もリーズナブルで連泊にも良さそう。歌志内の郷土料理のなんこ鍋も予約で食べる事が可能の様です。すぐ近くにライダーハウスもある。◇所在地:歌志内市字本町77番地7 TEL:0125-42-6226 ◇所在地:43.521793, 142.042378
北炭が石炭輸送するために敷設した空知線の一部で焼山駅跡地に動輪を模した焼山駅跡地の碑が建立されている。碑文より「明治24年7月5日岩見沢~歌志内間に空知線が開通、砂川~歌志内間14.5kmを主に石炭を輸送、地域産業の発展に寄与してきた。また、この地にあった焼山駅は昭和22年に線路班従業員の仮乗降所として始まり、地域住民の駅として繁栄したが昭和63年4月24日廃止となり97年の歴史を閉じた。昭和63年11月24日建立 砂川市長」※道道625号線沿いに有り歌志内線の駅跡表示はここだけのようで、遺構は全線を通して殆ど残っていないようです。焼山(やけやま)駅は『北海道駅名の起源』によると「この地域は、かつての蒸気機関車時代の汽車の火の粉のためしばしば山火事が発生したところで、通称「焼山」とよばれていたのでその名が駅名になったものである。」とあった。焼山駅跡にあるサイクリングロードのレストハウスには廃止当時の写真などが数点展示されています。駅跡付近の旧焼山中学校入口付近に二宮尊徳の石像ありが移転してきた焼山神社や砂川出身の戦没者慰霊碑もある。※行政区は砂川市に入るが旧歌志内線跡サイクリングロードの起点なので歌志内にいれました。◇建立年:昭和63年11月24日 ◇建立者:砂川市焼山 ◇所在地:砂川市焼山331(焼山コミュニティーセンター前) ◇Mapコード:43.498155, 141.939709
旧歌志内線跡を利用したサイクリングロードで道の駅にレンタサイクルがあります。砂川市側からは記念碑のある焼山駅跡が起点になるサイクリングロードで全長約5kmの桜並木となっている。近年の台風・豪雨被害で一部に崖崩れなどが有るようですが通行は何とか可能のようだ。歌志内側の起点は歌志内駅跡のメモリアルパークになるようです。
石狩川百景の中に歌志内に『深山の滝』というのが有る事になっているが、丁巳東西蝦夷山川取調日誌に「上にホロソウと云て細き滝一すじあるよし」と有るが、それとの関係が有るものか・・・実際に見たことは無く詳細も不明。
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