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北村は、明治33年に岩見沢村から分村独立致し北村となる。その後は開拓魂と多くの人々の努力によって道内有数の穀倉地帯へと発展してきたが、 平成18年に岩見沢市と合併し岩見沢市となる。元に戻った訳だ。旧北村は石狩川等の河跡湖が多く北村水郷とも云われた美しい水辺の空間と田園風景が人気
少し紛らわしいので説明しておくと北村中央公園の中にふれあい広場、ヘラブナ公園、森森ヘルシー広場がありふれあい広場はキャンプ場の機能を併せ持つエリア、ヘラブナ公園は釣りが主体のエリア、森森ヘルシー広場はウオーキングやパークゴルフ場がメインとなったエリアをもつ広い公園、森森ヘルシー広場は完全に別エリアに分かれているがふれあい広場とヘラブナ公園は境界がはっきりしない所も有るがそれで困るようなこともない。◆岩見沢市北村赤川156番地1
ヘラブナ公園には毎年500キロから1トンのヘラブナを放流され年間約1500人以上の釣り愛好家が訪れる。生息魚種はコイ、ウグイ、マブナ、ワカサギなど。毎年雪解けを待って駆けつける固定ファンも多く水洗トイレや水くみ場も完備している。ヘラブナ公園の沼は駐車場側に並び通称『レンギョ沼』『三角沼』『四角沼』『丸沼』の4つの沼で構成されそれぞれに特徴がある。これからヘラブナ釣り技術をステップアップしていこうとする人にはうってつけの釣り場。
北村温泉の真裏になるペット同伴も可能な無料のキャンプ場が有ります。キャンプをする場合は最初に管理棟で受付をして下さい。人気のキャンプ場ですのでシーズン中は早めにスペースを確保すると良い。広場にはリアカーを利用して荷物を運ぶことになる。場所を確保したら後は完全にフリーで好きなだけ自然を満喫して下さい。此処での釣りは無料で楽しむことができるが公園内のボートは有料になります。◆岩見沢市北村赤川156番地1 TEL:0126-55-3670
森森と書いて“もりもり”と読む。北村温泉の向いでヘラブナ公園の奥になる広いエリアには管理塔と広い芝生、畑を見渡せる展望台、水遊びのできる人工の川と噴水等がありふれあい広場が混んでいてもこちらは空いていることが多いが日陰が少ないのが難点。ヘルシー公園パークゴルフ場は全27ホールで平坦だが難度は高く距離は長めのタフコースだ。◆岩見沢市北村赤川586番地 TEL:0126-56-2001
宿泊と日帰り入浴施設を備えたバリアフリーの温泉で駐車場横には無料の足湯もある。『沸かさず薄めず源泉100%の天然温泉』が北村温泉のキャッチフレーズで塩化物強塩泉は良く暖まります。露天風呂もあるが珍しいのは温泉に岩盤浴と北村温泉のオリジナルアイスクリームが有る事。◆岩見沢市北村赤川156番地の7 TEL:0126-56-2221
石川啄木の歌集『悲しき玩具』のなかにある『石狩の 空知郡の牧場の お嫁さんより 送り来し バタかな』してという歌は石川啄木が函館で教員をしていた時の同僚『橘チエ』さんと『北村牧場』の事だという。函館大火により啄木は新聞記者として札幌に赴任、橘チエは兄の学友であった北村謹と結婚し北村牧場に嫁いでいて再び会うことは無かった。北海道を離れた啄木が病気で有る事を知り高価であったバターを贈った。啄木の思いが刻まれた碑が此処にあります。
◇岩見沢市北村豊里 石川啄木歌碑 ◇標高 10m N43°16’55.1” E141°40’41.1”
たまたま松浦武四郎翁顕彰碑を見に行って同じ様な形をした碑が有るので気になって見て見ると、碑文の書き出が松浦武四郎の漢詩で始まっていました。漢詩の部分だけを紹介しておきます。“江辺草褥 一夜枕東流 嗄々水禽叫 悠々動容愁”石狩日誌を見ると安政4年5月12日にニイルヲマナイで宿営したときに「ふと傍らを見ると去年野宿した同じ場所なのに気づく。そこに私が書き残した年月日や姓名を書き付けておいた木も残っていたので、その横にまた詩一絶を書き残しておくことにする」と有った。◇岩見沢市北村栄町 岩見沢市役所 北村支所
◇標高 10m N43°15’46” E141°40’46”
岩見沢市役所 北村支所の横の目立つところに碑があるので探すのは容易。☆顕彰碑の裏面には石狩日誌の“柳を切り、是を曲げて一枚のふきを被せて篷にかへ、櫂に附帆となし”の松浦武四郎が描いた絵が彫られている。松浦武四郎が描いた絵を彫った碑はここと留萌の歌碑だけと思うがこちらは素朴な感じの絵です。参考までに丸山道子現代語役「石狩日誌」にある「図5 石狩川をさかのぼる図」と言うのは図書館で見られるでしょう。☆北村農業資料館にも立ち寄ってみましょう。先住民族としてのアイヌを紹介、その絵は武四郎が描いた絵です。時間のある方は温泉も・・・
◇岩見沢市北村 北村支所横 ◇標高 10m N43°15’43” E141°41’48”
岩見沢市北村市外から新篠津村に進み突き当たりのT字路を右折してすぐに左折、旧石狩川を越えて道なりに進み分岐点を右側に進むと赤川排水機場。赤川排水機前から堤防方向を見るとオンコの木がありそこに碑が有ります。昭和54年に開村80年記念として、赤川排水機構近くの土手の下に建立されましたが堰堤の工事で移転し石碑となって再建。排水機構の反対側には分村記念碑(開村碑)があります。“碑の裏に「安政三年五月九日エンリシウ外九名。安政四年五月十三日トック乙名セツカウシ外三名、同年閏五月二十一日上川アイヌニホンデ外一名とともにこの地に泊まった」と”の説明文がある。武四郎はアイヌの小舟に乗って石狩川を往来し、北村沿岸を4回航行して、安政3年から5年までの間に計3回、ニイルヲマナイに宿泊していました。
◇岩見沢市北村中央 ◇標高 8m N43°14’05.8” E141°40’20.6”
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