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旭川古来の信仰というとアイヌ民族の信仰となり、開拓者の入地とともに持ち込まれた外来の神、地神は地方によって作神、作り神、地神、田の神、地の神、地主様などの呼名が有る。元々は農耕神といい田畑や山と里の境界に祀られていたが、土地の神・屋敷の神として屋敷の一角や寺社の境内などにも祀られる様になったと云う。地神碑に祀られる神々は農業にかかわりの深い神が刻されているが地域によって違いがある。社日・地神とだけ有り、五神名の無い碑もあるが、鳥居が存在していることが多い。民間神道として儀式化された神事は今ではほとんど見られなくなったが本質的には神社と同じであろう。北海道は移入者の寄せ集めという傾向があり、民間神道の儀式が早くに途絶えた感があり、神社の宮司が祭事を司っているのは自然の成り行きなのかも。旭川で見た「地神碑」に関して言うと、開拓者の拠り所が「農神・地神」だったとも言えるが、過疎化で管理する人がいなくなり統廃合がすすんでいる。
☆天照大神(あまてらすおおみかみ) 農業の祖神で土地の祭神、女神とされる。自然神として祀られた場合の「天照」は「あまてる」と称されている。☆倉稲魂命(豊受姫)(うかのみたまのみこと) 豊受姫は最初に現れた始源神で「ウケ」は食物の事、食物・五穀を司る女神。同じ食物神の稲荷神(倉稲魂尊)と同一視される。別称は豊受大神など多数有り。☆埴安媛命(猿田彦大神)(はにやすひめのみこと) 埴安媛命は日本神話に登場する土の神で大地の祖神、猿田彦神は道祖神として有名、農耕神的な性格を備えているとも。埴山彦神と埴山姫神の二神を一神とし埴安神とも。☆大巳貴命(大国主命)(おおむなちのみこと) 出雲神話に登場する神で大国主の若い頃の名前。国造りの神、農業神、商業神、畜産・医療神などとして信仰される。☆少彦名命(すくなひこのみこと) 大巳貴命の弟分として国造りに協力。医薬・温泉・禁厭・穀物霊・知識・酒造・石など多様な顔を持つ。以上が代表的な神々ですが地域によって別な神が祭られる事もあり、まとめて五柱と表現されることもある。
市街地や農村部で集会場等の敷地内にある場合は、鳥居はないか取り外し可能な簡易鳥居となっているのが多い。純農村地帯にはいる地神の殆どに鳥居が有る。また殆どの神社境内に地神が祀られている。地神宮や地神社と刻まれた碑の有る所には殆ど神社が有り、地神とだけ刻まれた碑の所では鳥居となる事が多い様だ。神社や祠が有るのは地神全体の半分程度。「地神」の素材は自然石と五角石柱を使用した2形式がある。石材を使用したタイプは、積み石で築かれた台石上に、2から3段の台座上に五角柱の心石が載っている。山村部では自然石の台石と自然石に「地神」と刻された碑が多いが、台石と台座が単一のコンクリートという形も有る。「地神宮」や「地神社」の碑は、社殿が出来るまで神社を兼ねていたと思われ、「地神碑」であっても鳥居が存在する限り、神社と同様と思われる。永山や東旭川で見た地神(五角石柱)碑に刻された神名が微妙に異なるが、北海道に入植した開拓者の出身地による違いと思われる。五角の地神は徳島を中心とした瀬戸内海地方と云う。「地神」とは違うが「午頭天王」を祀った碑が有った事と「山神」は1カ所、本州で一番多い「水神碑」が少ないのは予想外。
「水神」は川の神や井戸神とされており、田の神や特定の動物との繋がりも深いが、鳥居や神社を伴う所は少ない。湧水地など飲料水を得られる所や、農業用の用水を得る水門近く、古い農業用溜池などに祀られている事が多いが、鉱山でも水銀鉱山には見られることもある。かつては水銀産地の神であったが、水銀が採れなくなって水銀の神が忘れられ水の神になったという説もある。中富良野町や愛別町には巨大な碑が有る。
庚申は60日ごとに巡ってくる「かのえさる」の日の夜、三戸の蟲が睡眠中の身体から出て天に昇り、天帝にその罪過を報ずるので命を奪われると云う伝説が有り、その夜は寝てはいけないといわれ、宵まちをする信仰ですが、今は殆ど講を保っているところは無いと思うが・・・ついでにお参りと云うのは有るかも知れない。設置は神社の一角や地神と並びおかれている事が多い。
社日は春と秋の彼岸に一番近い「戌」の日で、それぞれ春社、秋社と言う。土地の神様に感謝すると言う事で「社日祭」とか「地神祭」等の行事が有るが、地域によって色々な呼び名があると言う。地域ごとの神様を祝う行事で内容も様々だが、祭事で民間神道の伝承者がいなくなった所では、神社の宮司が執り行う様です。
獣魂碑は他にも有るのかも知れないが、管理人が見たのは大道寺に有る碑のみだった。4基の馬頭観音と大きな獣魂碑が1カ所にまとめて有る。昭和40年代当時、大道寺境内に放置されていた馬頭観音を見た畜産家が相談し改めて祀るとともに「獣魂碑」を建立したと云う。
☆「山神」とは山に宿る神の総称で、呼称は地域により異なる事もあるが、ほぼ「山神」「山の神」で通用する。山で暮らす人々には山の守り神で有り、木樵や炭焼、鉱山や鍛冶、狩猟者の守護神でも有った。農民の間では、山の民の「山神」とは少し違い、春になると「山神」は里に下り「田の神」あるいは「水の神」になるという神格を合わせ持ち、収穫後は山に帰り、山の神に戻るという「去来信仰」が有ったという。また「山神」は山の周辺地域に暮らす人々の祖霊であるとも言う。また「山神」は人々の生活に深く関わり、生死をも左右する強大な呪力を持つ恐ろしい神でもあった。それ故「山神」の碑が慰霊や厄除け、安全祈願として各地に建立されている。「山神」は一般に女神とされており、自分の妻の事を謙遜して「山の神」という表現は「山神」から出たと云う。祀り方も地域独自の方法と儀式化された様々な神事(神社神道とは別)があるというが、それを伝える人が今も残っているかは判らない。「山神とは何かといえば、縄文以前の古代から現代まで各時代の影響を受けながらも排斥されず引き継がれ、原始信仰の面影を色濃く残した極めて特殊な神としておく。旭川には「山神」の碑が2カ所有るという。そのうちの1つが東旭川米原の通称上南部に有るが、これは大正9年に南部団体の副団長であった高橋丑松が木材業で成功を収め自分の仕事の関係から、山神としてはやや特殊だが「大山祇園」を祀ったと云う。男山公園にも「山之神」があるが、かつて突哨山が石灰岩採掘場だった事と関係が有るのかも。隣の美瑛町には多いようです。
牛頭と午(馬)頭の違いだが、どちらもゴズと言う。牛頭天王は、蘇民将来の信仰で怖い祟り神、疫病をもたらす神と恐れられ、疫病の蔓延を防ごうと殺牛祭(延暦の頃禁止令が出ている)が行われたと言う。午頭天王は、釈迦が好んだ祇園精舎の守護神で薬の神とか・・疫病を流行らせる疫神を喰ってしまうのが午頭天王であると云う。二つの外来信仰に古神道が加わって午頭天王の事をスサノオノミコトとも言うようになったと・・農民にとっては「水の神」をも意味すると言う。いわゆる「カッパ」であるが、古くは「水の神」でも有ったようだ。管理人には判りませんが「地神」と共に「午頭天王」が祭られているのは「疫病退散」「厄除け祈願」の他に「水神」の意味も含まれていたのかも。
馬頭観音は婆羅門教の毘紐奴の化身と云われ悪霊を食い尽くす明王とのことで「六観音」のひとつでも有るが、頭に馬頭をつけている姿から馬の守護神とされ民間信仰として愛馬の健康、死んだ愛馬の冥福を祈る対象とされた。旭川ではそれ程大きいのは見ていないが、名寄市智恵文には高さ3mを越えるのも有る。北海道の開拓は馬無しには不可能で、それだけに馬は家族同様に扱われ愛着も特別だったのだろう。馬を使役する集団や個人が死馬を葬った所や、山道などの交通の難所などに供養塔を建立した様です。馬頭観音碑は自然石や石柱で、馬頭観音の仏名「馬頭観音」「馬頭観世音」「馬頭尊」刻したのから馬頭観音像迄大きさや形は様々である。本来は仏教であり、民間信仰とは言い切れない面もあるが、過疎化で管理する者がいなくなり、最近は寺院の中に安置されている碑も多い。空知では炭鉱で使役された馬を慰霊する馬頭観音碑があり、江戸期の馬頭観音碑は虻田でみられます。
永山では11カ所の地神が有ると云うが2カ所は個人宅なので未確認、他は確認したが2カ所は神社内である。9カ所の地神の内7カ所は五角石柱、2カ所は自然石だった。東旭川で地神の有りそうな所は殆ど見たが「旭川の石碑」に掲載されている23カ所の地神で、行方の確認出来ない碑が1カ所、「旭川の石碑」に掲載されていない地神が1カ所有り、総数に変わりはない。他に牛頭天王の碑が有ったのは驚き。東旭川では全部で23カ所のうち神社境内に有るのは8カ所、神社社殿は無くとも鳥居が有るのが大半で有った。東旭川で五角石柱は2カ所、平石柱が1カ所、他は自然石。他に山神碑1カ所と「こうしん碑」2カ所を見ている。全部で32カ所の地神を見てきた訳だが・・まだ有るかも。
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