☆更新情報など☆
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この橋の出来た年は不明ですが明治24年に刊行された永田方正著「蝦夷語地名解」に「オンネナイ 支流ノ中ノ大川ナリ 橋有リ初メ思案橋ト名ケ後チ観魚橋ト名ク然レドモ魚は只鱒有アルノミ」とあり、蝦夷語地名解が出版される前には観魚橋と呼ばれていた事になります。明治19年に市来知(現:三笠)~忠別太(現:旭川)間の仮道路を樺戸集治監の囚徒を大量投入して開削、同年8月竣工。明治20年より市来知~空知太と空知太~忠別太の2工区に分け囚徒を大量動員し空知太~忠別太から着手、明治22年の改修工事で国見峠より忠別太間に橋梁76個の架橋とあり工事は同年末に竣工、市来知~空知太間の改修工事が終わり上川道路全区間の工事が終了したのは明治23年末でした。この経過から橋名も確定していたと思われ、そうでないと蝦夷語地名解の出版には間に合わなかっただろう、いずれにしても僕の知っている限り旭川最古の橋ということになります。また上川については永田氏が直接調べたのでは無く、測量をした人から聞いて書いたようですから、上川道路や増毛道路を測量した高畑利宜氏などから聞いたのかもしれません。橋脚が煉瓦造りのミニドーム型で何度か補強された跡が残っているが、最初から煉瓦造りの橋脚とは思えずいつからこの形になったのかは不明ですが、旭川で煉瓦生産の始まる明治25年以降、道路の破損が著しく大正2年~大正3年にかけて大規模な国道修繕・補修工事が行われたというがこの区間の改修記録はみなかった。道路の構造が車両に対応した旧道路法制定施工後(大正9年)ではないかと思うが、芸術的なセンスを感じる造りでした。今風にいうと旧々国道となりますが道は既に無く横を旧道(サイクリング道)、その山側に新道と橋が三つ並んでいるが、すべて観魚橋ですが紹介したのは現役の橋ではないので元祖・観魚橋ということになります。◇所在地:春志内 ◇河川名:神居第一線川・旧名:オンネナイ ◇道路名:旧上川道路・国道12号線沿い ◇形式:データなく不明
神居古潭に最初の吊り橋が出来たのは明治末期~大正の頃で神居古潭第1号移住民で旅宿主でもあった安藤彦松氏?が私費を投じて巻橋(針金橋)を設置したという。大正14年に下流側に神龍橋ができ、昭和13年になって下流にずれて初代の神居大橋が造られ、以後記録に残っている改修は昭和24年、32年、54年、昭和62年には木部の取り替えもされたという歴史がある。神居大橋の初代と違っているのはワイヤーを支える支柱の形とその基礎部分、補強され綺麗になっている。巻橋の痕跡は残っていないが神龍橋(吊り橋)を支えた支柱の穴が、神居大橋の上流側に近年まで見られていたが今はコンクリートでふさがれている。古い写真は北海道立図書館 北方資料デジタルアーカイブ・コレクション一覧の絵はがきNo137で見られるが、ここでは観魚橋の所で書いた上川道路が右端に見えていることも注目です。人専用の橋で車は通れません。旭川の史跡や伝承が色々とありサクラと紅葉の名所となっている。◇所在地:神居古潭 ◇道路名:神居古潭遊歩道に続く ◇形式:吊桁橋?
旭川市内から江丹別方面に行く途中に有る橋で初代は1957(昭和32)年,2代目は1966(昭和41)の竣工、三代目は1986(昭和61)年に竣工、全長327.6m のいうのが今の橋。この付近は旭川では遅くまで渡船が活躍していたところです。江神橋に行く途中に水神龍王神社と旭川史跡になっている伝説の底なし沼の碑と立岩があるが橋の風景平凡。◇所在地:忠和~江丹別嵐山 ◇道路名:道道98号線 ◇形式:
2000(平成12)年に完成した近文大橋は川を渡る橋として435.1mと旭川市では最長の橋(岩見大橋は1,100mあるが川を渡らない)で、幅員も29mと市内の橋ではトップクラスで29mを越す幅員の橋は見当たらなかった。札幌方面から道北放面に向かうバイパス(旭川新道)となっているため交通量は多いので、嵐山展望台から夜景撮影のスポットともなっており、旭川の橋十傑にいれておきたい。。橋の両脇上流側に意味不明のモニュメントがある。◇所在地:旭川市近文町~旭川市神居忠和 ◇道路名:国道12号線 ◇形式:鋼鈑桁橋
今の橋は1995(平成7)年の完成だが初代は1951(昭和26)年の木橋、2代目は1961(昭和36)年完成のランガー橋で現在の橋は三代目となる。風景はごく普通という印象ですが橋中央付近にバルコニーが設けられ上流側に「風の記憶」下流側に「北の子」と二基の彫刻が設置されている。観光地の北の嵐山方面に抜けていくがバイパスを横切るので少し面倒。◇所在地:旭川市川端~旭川市7条西13丁目 ◇道路名:市道旭西橋通線(嵐山通)り ◇形式:鋼箱桁橋
1925(大正14)年に陸軍の架橋演習として造られたのが最初でその後は流失,復旧が繰り返され、2代目新橋は1959(昭和34)年に竣工、3代目新橋は2002(平成15)年完成で橋長280m、初代の橋が272mというので長さはそれほど変わっていない、街灯がレトロ調で両側にバルコニーが設けられ椅子が備えられていて石狩川に架かる橋としては景観はよい。市街中心部を避ける形で国道40号線から12号線へのバイバス代わりとなり大型車の交通量は多い。橋の右側上流河川敷(常盤公園側)が雪祭り会場の一部で上流側の景観はよく旭川の橋十傑にいれておきたい。◇所在地:旭川市川端町4条4丁目~旭川市9条西1丁目 ◇道路名:市道新橋通線 ◇形式:鋼箱桁橋
旭川を代表する橋で石垣風の土台に歴史が垣間見え北海道遺産に指定されている。また軍都旭川の象徴的な橋でもあり、札幌の豊平橋、釧路の幣舞橋と並んで北海道の三大名橋とも言われているが70年の姿を見られるのはこの橋だけのようです。初代は1892(明治25)年の土橋、鷹栖橋と呼ばれた1894(明治27)年の木橋が2代目となり、3代目で1904年(明治37年)初めての鋼道路橋となる。4代目は昭和7年竣工した旭橋ですが、旭橋と改称されてからでは2代目、昭和19年に鉄材供出のため欄干が撤去され完全に元の形に戻ったのは昭和58年という歴史がある。また橋の建設にはタコ部屋労働もあったようで、真偽の程は不明ですが逃亡した労働者が見せしめのために人柱にされたとも、橋より下流側の河川敷一帯は雪祭り会場となる。上流側にある金星橋は地味だが橋からの景観はよいほうでバルコニーが設置されている。◇所在地:旭川市常磐公園~旭川市本町 ◇道路名:国道40号線・昭和通り ◇形式:アーチ橋
金星橋と秋月橋との間には橋がなく慢性化した交通渋滞の解消をはかるために1990(平成2)年に竣工した全長342mの旭川開基100年記念橋。旭川にある彫刻橋のひとで橋の両脇上流側小広場に彫刻を設置、左岸側は「鶴の舞」右岸側には「隼の碑」だが、旭川で設置している野外彫刻で1番大型の「隼の碑」かも。橋からの景観は平凡ですが中央部付近のバルコニー付近から見る下流側はそれなりによい。◇所在地:旭川市新富~旭川市花咲 ◇道路名:市道花咲通線 ◇形式:PC箱桁橋
初代の橋は1914(大正3)年に第七師団の工兵隊が山屯田兵村と結ぶために木橋を架けたたが、その時の工兵隊長の名をとって「秋月橋」とされた。その後何度か架けなおされては流失を繰り返し使用不能のまま放置されるという時期も続いたというが、このような事はどの橋にもよくあった事です。今の橋は昭和49年に完成し内回りの環状線になるが通勤時間帯は車が多いが景観は平凡。◇所在地:永山~末広東 ◇道路名:旭川環状線 ◇形式:PC箱桁橋
橋は平成3年の完成だが、旭川新道は1995年(平成7年)になって全線開通した国道12号と国道39号を結ぶバイパスで最近は交通量も多い。末広と永山の短絡路線としては便利かも。全長は345m、親柱もユニークなら中央分離帯部にある単弦のアーチから8本の支柱で吊られた形も珍しいく他で見た記憶がない。橋からの景観では永山橋のアーチが目立っているが、旭川北大橋はなだらかな曲線となっているので見る場所で印象がかわるが旭川の橋十傑にいれておきたい。◇所在地:旭川市永山町6丁目~末広東1条13丁目 ◇道路名:旭川新道 ◇形式:アーチ橋(単弦ローゼ橋)
初代(明治37年)の橋は「光岸寺橋」と呼ばれた有料の橋というが流出、架け替えを繰り返し4代目の橋は1954(昭和29)年に竣工し「永山橋」されたが、交通量の増大や老朽化などにより1996(平成8)年に完成した377mの橋でバルコニーにつながる歩道がある。橋の形や周囲の景観をも含めて旭川の橋十傑にいれておきたい。◇所在地:旭川市永山~旭川市東鷹栖 ◇道路名:道道37号・環状線 ◇形式:アーチ橋・ニールセンローゼ橋
先代は1949(昭和24)年の木造「上石狩橋」洪水で流失し1963(昭和38)に再興されるもまた流失し橋のないときもあった。いまの橋は1989(平成1)年に完成した全長318.9mの橋。かつて管理人はこの橋より100mほど上流にあった比布大滝に写真や釣りに変わった場所でしたが、滝は崩壊しいまはその痕跡も殆どなくなってしまった。◇所在地:旭川市永山~東鷹栖) ◇道路名:道道942号線 ◇形式:鋼鈑桁橋
1990(平成2)年に完成した294.5mの橋で御影石の親柱4本にそれぞれ当麻町の町花,町木,比布町の町花,町樹のレリーフが埋め込まれ、下流側高欄にはスイカとイチゴを抽象したブロンズパネルが設置され下流側歩道はモザイクブロックという珍しい広域農道。このへんの石狩川はフライの練習場としてはバックがとれる、人には余り見られない、運が良ければお魚も相手してくれる最高の場所かもしれない。◇所在地:当麻町宇園別~比布町栄進 ◇道路名:広域農道 ◇PCT桁橋
今の橋は2002(平成14)年に完成した382.7mの橋、初代は1916(大正5)年で木の橋、洪水で流失は他の橋同様だが、1920(大正9)年に再建されこの時に麻布橋と命名されたようです。永久橋になったのは1961(昭和36)年で今の橋は4代目になる。右岸上流は伝説の棚瀬山がありサイクリングロードはここで行き止まり、左岸上流側には当麻スカイパークがある。石狩川の河原は比較的開けているが栄園橋の付近と似た印象。◇所在地:当麻町~比布町 ◇道路名:道道1122号 ◇形式:鋼箱桁橋
旭川にある彫刻橋のひとつで道は旭川駅前に続く。初代の橋は昭和3年に出来た木橋というが、痛んだり流出などがあって昭和33年、4代目で永久橋になった。現在の橋は5代目の緑橋で昭和63年竣工、橋長は74mといい、この時に彫刻が設置されたようで、加藤顕清制作「人間像・感情」が往来する人を見守っている。◇所在地:旭川市金星町~上常磐町 ◇道路名:みどり橋通り ◇形式:鈑桁型
牛朱別川沿いにかかる彫刻橋のひとつで、彫刻を全景に見る市街地が別空間を演出している。かつてあったという中島遊郭に通じる橋であったことから道楽橋とも言われたとか。初代は大正3年頃で現在の橋は昭和43年竣工した橋長72mの3代目。永隆橋から氷点橋を結ぶ事で中心部への移動が便利になった。と両側の歩道は広く彫刻が設置され上流側は笹戸千寿子制作「女」下流側には「微風」があり、ここから見る下流側の景観がよく旭川の橋十傑にいれておきたい。◇所在地:宮下~神楽 ◇道路名:永隆橋通り ◇形式:T桁型
中央橋と新成橋との間にかかる橋で旭川にある彫刻橋のひとつだが風景は平凡だがこの付近に架かる橋は殆ど同じ形をしている。日之出橋の歩道は広くとってあり上流側歩道には木内克制作の「裸婦」、下流側歩道に「裸婦立像」が設置されている。初代の日の出橋の架設年は不詳だが橋長は52mだったという。流出と架け替えや牛朱別川の切換工事などで現在の位置になったという。今の橋は5代目になるようで橋長76m、平成3年の竣工という。この通りは新師団通りと呼ばれた師団の重要路だったという。◇所在地:東5-6条 ◇道路名:市道日之出橋橋通り ◇形式:鈑桁型
通称は新成橋通りでここも旭川で2番目の彫刻橋、秀でた景観とは云えないまでも重ね橋の連なる風景は他ではなかなか見られない。現在の橋は橋長75m、昭和46年の竣工で幅員は広くバルコニーが設けられ彫刻が二基、上流側バルコニーには山内壮夫制作「風の中の母子像」下流側には「隼の碑」が設置されている。なお牛朱別川沿いに彫刻鑑賞用のパーキングなどはないのでレンタサイクルの利用をお勧め。◇所在地:東6-7条 ◇道路名:新成橋通り ◇形式:鈑桁型
昭和59年に竣工した橋長190mの橋、竣工直後は大雪山の眺望がよかったが河畔林の生長で今は望むべくもない、橋の景観も平凡そのもの。環状線のいう事で通勤時間帯は通りたくない橋だが、その時間を外せば快適かも。◇所在地:旭川市永山~旭川市豊岡 ◇道路名:国道90号線・環状線 ◇形式:鈑桁型
昭和40年代まで木橋が残っていたのを見ているが木橋とは思えない高さがあったのを覚えている。通れるのは人と自転車や軽車両(リヤカー)など限られていたが珍しいのでよく遊びに行ったのが思い出になっている。
その功橋も昭和54年に永久橋に変わっているが、橋長149mの橋がなだらかにカーブを描き見る方向によって景色が豹変する。旭川の橋十傑にいれてもよいと思う。◇所在地:旭川市永山~旭川市東旭川 ◇道路名:市道 ◇形式:T桁型
橋長148mの橋ですが先代の橋と比較して幅が広くなったのは実感できるが其れ以外では特筆することはない、基本的に生活道路の延長ということで交通の緩和などとは無縁かも。風景も至って平凡だが遠くから見ると綺麗かも。◇所在地:旭川市永山~旭川市東旭川 ◇道路名:市道? ◇形式:T桁型
橋からの大雪山の眺めが良いほうだが車では鑑賞している暇なども無く一瞬で通過してしまう。道道37号線鷹栖、東神楽線、旭川空港線になって橋も新しくなったのだが、データーを取り損なって竣工日や橋長、橋梁の形式は不明。橋そのものでいうと平凡と云うしか無い。◇所在地:東旭川~永山 ◇道路名:道道37号線鷹栖、東神楽線、旭川空港線 ◇形式:不詳
番線道路に架かる全長150m~200mを少し越える橋で国道39号線にかかる橋と並行に並んでいる橋で西側より第一から第四北永橋と続く、第二北永橋は二番線通り、第三北永橋は三番線通り、第四北永橋は四番線通りと解りよいが面白くも無い。第四北永橋は平成7年の竣工でした。春秋の渡り時期はバードウオッチングのスポットで鉄橋から第二北永橋までの区間がよさそうです。景観は至って平凡ですが遠景は良い方です。◇所在地:旭川市永山町13丁目・1番線り ◇道路名:1番線 ◇形式:箱桁橋
永山新川にかかる橋では1番の幅員となるが目立つ個性も無いし景観も平凡だが樹霜のシーズンは気軽に来られるだけによいかも。平成4年に放水路開削で架橋された橋で初代の橋となる。◇所在地:西神楽町新開地区 ◇道路名:道道579号線 ◇形式:桁橋
牛別川放水路にある橋では178mと1番長く石狩川に1番近い位置にある、バードウオッチング時に警戒心の強い水鳥はこの辺にいることが多いようだ。基本的に生活道路なので交通量は少なく近くに展望塔があった。橋の上に広がる大雪の山並みがよい。◇所在地:旭川市永山町13丁目・ ◇道路名:新川管理道路 ◇形式:箱桁橋
ツインハープ橋のような宗谷本線の鉄橋で吊り橋なのかも・・川の風景に似合っているが石狩川沿いの展望塔から見ても良い風景だが列車撮影には向かない。鉄橋ではあまり見ないタイプだが旭川の橋十傑にいれておきたい。◇所在地:旭川市永山町13丁目 ◇鉄道名:JR宗谷線鉄道橋 ◇形式:斜張型?
旭川市内で記録に残る最古の橋は旭川大橋の少し上流に明治23年に架けられた土橋だったと言われている。明治23年というと空知監獄署の囚人が上川道路の忠別太・伊香牛間の改修工事をした時で、大胆に想像するなら囚人によって架けられた橋が旭川市内最初の橋になるのかもしれない。最初に書いた観魚橋は同じ理由から上川管内最古の橋(旧上川道路にある退役した橋で唯一のこっている)として良さそうです。今の旭川大橋は忠別川の最も下流にある橋で長さ323mで昭和44年の竣工ですが、車では橋を渡ったという実感はあまりない。◇所在地:旭川市亀吉1条1丁目~旭川市忠和3条8丁目 ◇道路名:国道12号線 ◇形式:?
旭川から富良野方面に抜ける幹線道路で交通量も多い、上流側に橋梁が連続し奧に大雪山が顔を景観はなかなかよい。忠別橋は昭和59年竣工、橋長172mで4箇所のバルコニーが設けられ忠別川右岸下流側の橋基部から忠別橋公園(河川敷公園)にいけ公園内には彫刻が多数設置されている。忠別橋は彫刻橋のひとつで欄干部に4基の彫刻を設置、下流側バルコニーに流政之制作「かくれた恋」と加藤昭男制作「月に飛ぶ」、上流側バルコニーには高橋清制作「人 No13」と山内壮夫制作「家族」があるるが、4基の彫刻が設置されている橋はここだけで旭川の橋十傑にいれておきたい。。◇所在地:旭川市宮下通2丁目~神楽2条4丁目 ◇道路名:国道237号線:富良野国道 ◇形式:鈑桁型?
橋は個性を抑え気味にした橋長191mで平成23年の竣工で旭川中心街からクリスタルホールのある神楽地区への直通路になり移動がさらに便利に、旭川中心街から道の駅に行くのに迂回しなくても良いのがうれしい。
橋の下は忠別橋から宮前まで公園が地続きなって景観も比較的良いが個性はあまりない印象。◇所在地:旭川宮前通西~神楽2条6丁目 ◇道路名:昭和通り ◇形式:?
平成23年に竣工した橋で外観は一つの橋に見えるが、 駅寄りの公園上に架かる橋は北彩都橋、忠別川に架かる橋の部分は氷点橋とややこしい、突き当たりは見本林で三浦綾子文学館になる。二つの橋を通して歩道は広く余裕が有り、橋上からは旭川駅の新駅舎や忠別川と並行する橋などを見渡すことができなど景観も及第点、橋そのものは地味で個性は控えめの造りになっている。◇所在地:旭川市宮下通9丁目~1条9丁目 ◇道路名:98号線 ◇形式:?
国道237号線神楽方面から国道39号線を結ぶ市内の幹線道路で平成9年度に着工し平成15年竣工の新神楽橋は橋長280.8m、幅員18.5~45.5mなのだが南6条通跨道橋と連結されているため延長 850mという。見た目ではどこから新神楽橋と思うが、旧神楽橋は172mなので長さ4倍となり景色は変わってしまった。左右にアーチのある形はかなり個性的ですが、どこか立体交差道路風な道の印象で橋という印象は薄い。噂ではこの橋が旭川では最後のアーチ橋とか。宮前公園と神楽公園を繋ぐ人道橋は旧神楽橋を残して利用したもの。◇所在地:旭川市宮前~旭川市神楽岡公園 ◇道路名:道道219号線 大雪通り ◇形式:
かつての幹線道路だったが今は道道90号線(旭川環状線)に移ったので以前のような混雑などはなくなった。初代の大正橋は明治に完成の予定であったが年号が変わったので大正橋となったらしい。今の橋は4代目のようで橋長は218mで平成6年に竣工した。忠別川の左岸側で橋の脇上流側にミニパーキングがあって彫刻が一基設、神田比呂子制作「トランペットの女」が設置され背景にアーチが収まり旭川の橋5傑に入れておきたい。◇所在地:旭川南8条通24丁目~神楽岡1条4丁目 ◇道路名:旧道道294線 ◇形式:アーチ橋(ニールセン)
かつては幹線道路だったが今は道道90号線(旭川環状線)が幹線道路になっているので以前ほどではないが交通量は多く通勤時間には遠慮したい道。橋から見える景観はそれなりだがに良い。昭和51年の竣工で橋長270m、歩道は片側だけで余り使い勝手はよくなさそう。◇所在地:東光13条1丁目~旭神町2丁目 ◇道路名:道道294線 ◇形式:?
平成3年竣工で橋長280m、二つの箱形支柱が楽器のハープが2つ並んでいるように見えるのが名前の由来のようです。景観的にはアーチ型と斜張型・吊桁橋などの吊り橋タイプに絵に橋が多い気がするが、ツインハープ橋は斜張型の橋といい支柱の両脇にバルコニーが設けられ夜はライトアップされて綺麗に見える。旭川の橋三傑を挙げろと言われたら神居大橋、旭橋とツインハープ橋でしょうか。◇所在地:東光~旭神町 ◇道路名:旭川環状線 ◇形式:PC斜張橋
平成17年に竣工した橋長299.3mの橋、旭川市と東神楽町を結ぶ道路で環状線の渋滞緩和などには迂回路になる。、目立つのは下流のツインハープ橋より少し長いことと歩道が広いこと、景観は平凡だが強いて言えば下流側の眺めはよいかも。◇所在地:東光27条9丁目~東神楽 ◇道路名:旭川市道? ◇形式:?
この辺は河畔林の生育がよく視界を遮り眺望は期待できず、幅員が狭めで車道と歩道の区別はラインのみで大型車との交差は恐怖かも。忠別川左岸側の橋の際がサイクリングロードの出入口になっている。この橋は昭和53年の竣工で橋長247m。上流側にかかる東神楽橋までが東旭川にはいる。◇所在地:旭川市東旭川町共栄~東神楽町 ◇道路名:町道? ◇形式:○?
美瑛川最下流に架かり国道号線と国道線をつなぐ橋で交通量は多い。目立たないが両神橋も彫刻橋の一つで美瑛川右岸側の橋基部両サイドの小広場で下流側には加藤顕清の「人間像・今の存在の像」上流側の小広場端に「婦人像・昼」が設置され、中央分離帯の端にある支柱の上から山内壮夫制作「浮遊」が見下ろしているが車で通っていても気づかないかも、橋や橋周辺の景観は平凡です。両神橋の初代は詳細がはっきりしないが明治24年頃に木造橋として架設され、昭和3年頃は美瑛橋と呼ばれていたらしいが、昭和7年以降の架替えより両神橋と改名されたという。永久橋になるのは昭和35年で橋長は260m、今の形になったのは昭和61年で上流側に新しい橋を架設し4車線化したという。◇所在地:神楽6条3丁目~神居1条10丁目 ◇道路名:道道98号線・江丹別線 ◇形式:連結型連続桁橋/PC箱桁橋/PCT桁橋
両神橋と雨粉大橋の中間にある橋で1989(平成元)年の竣工、2車線の片側歩道で橋長297.15mだが耐震強化と4車線化の計画で上流側に今の橋と同程度の橋を建設するようで既に出来上がっている橋脚がみえている。自然景観は旭川の橋では良い方に入るでしょう。◇所在地:旭川市神楽7条12丁目~神居町雨紛 ◇道路名:雨粉~新旭川線 ◇形式:連続PC箱桁他
平成11年の竣工で美瑛川に架かる橋では橋長390mと長さが突出している。景観はそれ程優れている訳では無いが十勝山系が顔を覗かせる。歩道は広く4箇所のバルコニーが設けられ(両側8箇所)通行者への配慮がなされている。旭川環状線で国道12号線と国道40号線に合流すルートで交通量はそれなりに多い。◇所在地:旭川市神居町雨紛~緑が丘南 ◇道路名:道道90号線 旭川環状線 ◇形式:
かつては河畔林の中に流れる美瑛川の水面の開けた上に十勝の山が見える秘境的な雰囲気のある場所だったが、一度河畔林が伐採されたようですっきりしてしまった。美瑛川と辺別川の合流部下にある寿橋や辺別川最下流の旭橋も同じような雰囲気だが、この間は一部が自然散策路になっているなど景観もよい。ただ橋はどの橋も似た印象ですが、旭橋は美瑛国道にかかるので両側に歩道有り、寿橋の歩道は片側のみ、新開橋は両側に歩道があるもせまい。カヌーなどでは新開橋や寿橋付近から旭川大橋付近までを下る方もいるようです。新開橋の長さは175m、竣工は昭和45年で少し痛みが目立ってきた。◇所在地:西神楽南14号~川市西神楽1線14号 ◇道路名:北海道道579号 新開西神楽停車場 ◇形式:
○○○ 昭和平成年竣工、橋全長:m
◇所在地:○~○ ◇道路名:国道道○号線・○通り ◇形式:○?
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