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ソバの名産地として知られる幌加内町は沼牛、幌加内、政和、添牛内、朱鞠内、母子里の6地域に分かれる。明治30年に入植が始まり既に一世紀の時をへて、現在の幌加内が有るが、残されているアイヌ語地名が多い。古くは間宮林蔵が文化13年に雨竜川を遡り幌加内を目指し、松浦武四郎は安政四年に幌加内を目指すもニセケショヲマナイに阻まれ断念。間宮林蔵はその後日本海側から山越えして幌加内に入いる。頼りになるのは武四郎の記録(聞き取り)となりそう。間宮地図にそのルートが載っているとか、管理人は見ていないので詳しい事は分かりません。
幌加内川の山側にある蛇紋岩の傾斜地に割り込むように広い洪積地が入り込み、湿地帯となっていた所で牛のような形の沼が有った事から沼牛とも。またヌムウシホロカナイ“num-ush-horkanay”とし“果実多い後戻りしている川”と(駅名の起源)も。是は“num-ush”の語呂合わせ的な印象ですが否定する根拠もない。幌加内川支流で沼牛川“ヌマ・ウシ・ホルカナィ”が元の様です。山田秀三氏は“毛の多く生えている幌加内川”“numa-ush-horkanay”の方が原音に近いかと“ヌマ”は毛と言う事ですが、細長いイネ科の植物か、水草なの判りませんが、沼の傍に広がっていたと考えられた様ですが“num-us”については否定はしていません。日常ではフマウシは毛深い事を言う。
幌加内川の支流にヤウンナィ川があり付近の地名を弥運内という。町史にはアイヌ語で、“陸のある川”という意味と有るようだが、蛇行している姿から対岸の事を言ったのか、それとも中州が多かったのか・・今の姿からは推測も困難で地名解釈としては?“ya-an-nay”で“陸に上がる川”?としたら雨竜川を交通路として利用していた場合に、ここから陸に上がって山道で峠を越えた所?
アイヌ語では、逆流する川の事を意味する場合が多く、各地に幌加という地名が存在する。幌加内川は地図で見ると判る様に国道に沿って雨竜川本流にたいし大きく下流側に後戻りしていて幌加内峠を越えるほどです。川を重要な道としていた当時の正確な地形に対する認識に驚かされます。此川も雨竜川本流のカムィコタンを迂回して上流と下流を結ぶ重要な通路で有ったと思われます。
旧名をおさるんない、アイヌ語で“川尻に・葦原・が有る・川”という意味でしょう。長留内川の河口付近は低湿地帯で野鳥などの姿が多い所で幌加内の市街地に近い。水源となる山はこの川の名前を採ったもの。
朱鞠内湖の下流で雨竜川に合流する大きな支流で上流に宇津内湖が有る。連絡水路で朱鞠内湖に繋がリ、水路付近はかつてはイトウの名釣り場。宇津内川の上流は巨大なアンモナイトも出た事も有る。ウツナイは普通湿原の脇に有る小さな川を云う例が多いが、正確には本流に直角に注ぐ様な川を意味する。此のウツナイ川は本流に匹敵する川なのに地名解には出てこない。丁巳蝦夷日誌では“ウーツ 急流瀬になるなり・・・則是をヘナワンシユホロと云よしなり”と上の急流瀬(滝の様な急流)となっていた様だが今は湖底、その片鱗は釜ケ淵にみる程度。
アイヌ語で“悪しき川(沢)”という意味です。ウエンは“悪い”ナイは“川または沢”という意味ですが、今となっては何が悪かったのかは見当も付きません。悪い意味はその時代でも変わる事も多いのでなおさら。武四郎の記録でも地名解でもウエンベツでウエンナイはみられない。
意味はウェンナィと同じで「悪く有る・川」。雨煙別川は中流に函があり、上流には雨煙別の滝があり通行には難所続き。元は滝の高さ40mと云われていましたが管理人が訪れた時は高さ7m前後、ただ滝より上流はV字渓谷になっていて登坂用具無しには遡行困難な所。これからは往来に困難したためと言う事は有るかも、鉄砲水などの方が現実的かもしれない。
最近は単にポンコタンと言うこともあるようですが、本来はポンカムィコタン。武四郎爺の記録によるとニセイパロマップとポンカムィコタンの間をパンケシューホロ(川が滝の様になっている所)又は下のカムィコタンと呼び、上から順にポンカムィコタン、ニセケショヲマナィ、ポロカムィコタン又はシュホロ(本流大滝)が有り高さは7状と云うから約10m程の滝をはじめ多数の滝有り越えられなかったと云う。今は鷹泊ダムの底に沈んでしまったが激流が岩を咬む難所、カムイコタンの絵図が残されている。これから察すると現在のポンコタンが上のカムィコタンの入り口だった事になります。ここには廃線跡の鉄橋か残され其の景観が風物詩になっています。
旧名を“そうんない”かって間宮林蔵が羽幌から峰越えをして層雲内川の上流に到り、ここで丸木船を造り雨竜川を下り下のカムィコタンで引き返し天塩に抜けたという、武四郎はその時林蔵と同行したアイヌより雨竜川上流の事を聞き書きで残している。丁巳東西蝦夷日誌では“本名シユマサンナイなり。詰たり訛りたりしてシヨウウンベツと云うよし。シュマは岩なりと有る”ただ実際に滝が有るのでここではソーは滝ウンは有るナイは“川または沢”という意味で“滝のある沢”という方が良さそうです。川は国道に沿って流れ霧立峠手前覆脇に層雲内の滝が有ります。覆道の手前に駐車して直ぐに滝の上にでる事ができます。水量は春先を除けば多くは有りませんが気軽に見られます。
今はアイヌ語で“狐の川(沢)”の意味と説明されている。シュマリは狐の事で、付近には狐が多く棲息していのでその様に云われる様になったと云うが、松浦武四郎の記録では狐に関するのも有るが、川名にはシュマつまり岩の多い川が多かった事が書かれてあり、元々はシュマは石の意味ではと思うが“shuma-ri-nay”で“石・高い・沢”と、これも苦しいが、シュマリナィ川奧に入った釣り人によると上流域で函状の地形が続く所に大型アンモナイトが有ったと云う。アイヌ時代の古い時代は羽幌と結ぶ交通路であった。
日本の最低気温を記録したところとして有名な母子里ですが、言葉通りに見ると、アイヌ語で“小さい島”という意味になってしまいますが、モシルウンナィ川からきている地名。一般的には茂尻と云うのが多いが、ここでは母子里と言う字を冠しており脱帽するしかない。モシル・ウン・ナィ島の有る川の意味ですが今では確かめようも有りません。母子里にはクリスタルパークという公園があります。寒さを表したモニュメントを中心に、大自然の真っ只中に、自然風な公園で冬でも暖かい休憩所があり、最寒の地到着証明書の自販機?が置いてある。
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