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北海道の上川支庁管内、名寄盆地の南端にあり、南は町堺となる塩狩峠を挟んで比布町がある。平野部は水田が広がり西部の丘陵地帯は剣淵まで続き美しい農村景観を見せている。町の東部から北部には広大な森林帯が広がり自然豊かな町です。有名なのは『越冬キャベツ』ですが、カボチャの作付面積は日本一を誇り、愛別町と並ぶキノコの産地で文字通り基幹産業は農業。最近の名物と言えば、国道40号沿いに並ぶ『かぼちゃランタン』が楽しいイベントになっている。町名はアイヌ語“ワット・サム”ニレの木の傍・に由来する。
昭和47年に開設された郷土資料館で、和寒町の町民から寄付された数多くの郷土資料を約1850点収蔵保存、常設展示はおよそ850点。開拓期の時代から昭和時代の半ばまでに実際に使用されていた生活器具や農業機具を中心に、砂金に関する道具や東町の遺跡で発見された石器や土器などが展示されている。全14のコーナーに分けられ、当時の写真とその説明文が書かれた展示パネルがありわかりやすい。見学は向かいにある公民館に申し込む。◇和寒町字北町61番地
資料館の屋外には屋根付きの蒸気機関車が静態保存されている。日立製作所で昭和14年に製造された蒸気機関車(車号はD51337)で昭和56年に廃車となったものを展示した博物館の資料である。これは実際に昭和の中期に旭川機関区、名寄機関区などで配属され活躍していた機関車で、高さ3.8m重さ90トン、長さ20mを誇り保存状態は良好。◇和寒町字北町61番地
日本庭園に囲まれた純日本風の文化施設で、茶会や俳句、短歌などの創作や研修活動に利用できる。内容から云えば観光施設では無いが、本格的な日本庭園は管内には少なく庭園を見るだけでも良さそうです。庭園には庭門、水車、あずまや、つくばい、鹿威、水琴窟など北海道内でも数少ない珍しいものもある。施設利用は有料です。◆和寒町字三笠 TEL: 0165-32-2477
旧和寒町立北原小学校が、交流展示館として新たに開館している。1階は北原小学校資料展示室のほか「地域交流スペース」として、2階は「ギャラリーさわらび館」として町内の方をはじめ和寒町ゆかりの方の作品を中心に絵画や町内の風景写真、陶芸、木彫、書などの作品が展示されています。5月~10月うち月火休館・入館無料 ◇和寒町字北原229番地
国道40号線を和寒から剣淵方面に走ると直ぐ右側にある超目立つ黄色い建物で見逃す事は無いと思うが念のため近くに神社の鳥居が有れば確実。かぼちゃ製品を販売している店なのだが、定番はかぼちゃソフト、その他には、かぼちゃコロッケ、かぼちゃケーキ、かぼちゃパイなど色々。ソフト以外で一番人気は人気はかぼちゃコロッケ。◆和寒日ノ出85 TEL: 0165-32-4351
カボチャ作付け日本一の和寒町ではかぼちゃづくしのイベント10月初旬に毎年開催されている。ドライバーの目を楽しませてくれるのは国道沿いや町内のメインストリートに並んだ個性的なかぼちゃランタン。何度みても楽しいものだがドライバーは気を抜かずに安全運転で。パンプキンフェスティバルでもハロウィンかぼちゃを販売。◆JAきたひびき和寒支所 TEL:0165-32-2441
道産子は外で焼き肉と言えば定番はジンギスカン。花見からキャンプまで、最近は室内ではホットプレートでジンギスカンという人も多い。ただホットプレートで美味しく食べられるジンギスカンは少ないが、和寒ジンギスカンはホットプレートでも旨いジンギスカンと評判。肉とタレはそれぞれ3種類あり好みで選べる。旨いジンギスカンは争奪競争が激しいからすぐ売り切れ御免という事も。旭川には煮て食べられるジンギスカンが有るという。ジンギスカン文化は奥が深い。
天塩と石狩の国境に有る事から、塩と狩をとって『塩狩峠』と名づけられたという。北海道の幹線国道にはこの様なパターンの峠名が多い。塩狩峠は標高272mと小さな峠ながらも古くは交通の難所だった。今はルートが変わり沿道にはエゾヤマ桜1.600本が咲く観光の名所。塩狩駅を中心に名所が点在し、若葉、紅葉の季節は特に綺麗です。
三浦綾子さんが旭川市で暮らし雑貨店を営んでいた旧宅を、自身の一命を賭して乗客の命を救った長野政雄氏をモデルに描かれた小説『塩狩峠』の舞台となった塩狩峠に移転し復元、展示スペースを増築し平成11年に「塩狩峠記念館」がオープン。塩狩駅と国道40号線の間に白樺に囲まれた小高い丘の上にあり、館内には三浦さんの作品紹介パネル・「氷点」や「塩狩峠」の映画のポスターなどが展示されている他ソファーセットやテーブル、食器棚などが並べられ、当時の生活空間が再現されている。◆塩狩峠記念館 TEL:0165-32-4088 ◇和寒町字塩狩543番地
塩狩峠は昔から桜の名所として知られ、5月中旬には国道40号沿いに植栽された1600本のエゾヤマ桜が咲き花見客も訪れる。国道沿いに植栽された桜も綺麗ですが、昔から一目千本桜と呼ばれていたのは、塩狩駅の方で駅より奥側、白樺が大きくなの日照不足のせいか最近は少し樹木の傷みが目につくようになりました。一目千本は大袈裟に思うが風格のある桜が多くのんびりお花見を楽しめます。塩狩から『南丘森林公園』まで往復約14kmの沿道も桜が植えられています。
小説「塩狩峠」のモデルとなった長野政雄氏の顕彰碑が塩狩駅構内にあります。事故は明治42年2月28日、塩狩峠で客車最後尾の連結が分離し逆降暴走した時、たまたま乗り合わせていた鉄道省職員長野政雄氏が車輪の下敷きとなって乗客の命を救った。長野氏の死については、犠牲の死説、事故死説など諸説あり未だに真相は不明ですが、長野氏の一命を賭した行動により大惨事を免れた事は事実。キリスト教徒の長野政雄氏が自ら信ずる神のために自ら犠牲となり、乗客の命を救ったと、三浦綾子さんは信じてこの小説を書かれたのでしょう。
1807(文化4)年の秋、近藤重蔵は西蝦夷地を巡った後に利尻島へ渡るつもりであったが荒天で断念し、天塩川を遡り剣淵、和寒、比布付近を通過して石狩に抜けたという。「昭和の初めにマタルクシュ・ケネフチの土木工事の時に一振の脇差が発掘され三葉葵の紋が彫られた鍔がついていたことで「近藤重蔵が天塩川、剣淵川と、遡って来た時、同地で供の者が病没、その死をあわれみ脇差もろとも埋葬した」というのが此の「近藤重蔵ゆかりの地」という。天塩越ルートで和寒に関しては明らかな記録は無いようで、ネット上では和寒近くから愛別川に沿って神居古潭、上士別から愛別川に出て石狩川を下り神居古潭という説も見たが◇和寒町字塩狩
かつて塩狩峠には有名な塩狩温泉ユースホステルが有ったが2005年に閉館し寂しくなっていたところ、塩狩ヒュッテが2013年にオープンした。宿主さん自ら丸太小屋をたてたといういうも建物の外観は意外とスマート、カフェも併設しているという。塩狩峠記念館に立ち寄ったとき行こうと思ったのだがその日はたまたま休業していた。夏期の営業は火、木、土、日の11:00~15:00 ということです。◇和寒町字塩狩503番 TEL:0165-32-4600, 090-1963-3524
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