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上川町と大雪山系に伝わる昔話とアイヌ民族の伝説‼

上川の昔話とアイヌ伝説

ここでは上川町と大雪山を中心とする道北各地のアイヌ伝説と昔話を載せています。伝説の数はそれ程多くはありません。まだ大雪山と言うことで他の地域と重複して掲載される事があります。なお伝説と言う場合は著作権保護法上の著作物とはいえず、当サイトに掲載された伝説には著作権侵害での問題は発生しないと考えます。

チトカンニウシ山の伝説

石狩川と網走川の分水嶺、上川と北見の国境のチトカニウシの山は神聖なる神の山、人間がそばを通っただけでも雨が降り、登ると神罰で大荒れになるという伝説の山である『昔、神代の時代に、多くの神様が集まって、この国でどの山が一番高いかということで議論になった。ある神様は夕張の奥のカムイシリだといい、他の神様はヌタクカムシュペ(大雪山)だといい、またチトカンニウシの方が高いと言い張る神様もあったので、それではどれが一番高いか試してみようというので、神様達は夕張の奥のカムイシリの上に集まって、そこから大雪山とチトカンニウシをめがけて弓を射てみることにした。神様の射た矢は大雪山の方をかすって、チトカンニウシの胸のあたりに、当たったのでこの山が一番高いということになったのである』川村ムイサシマツフチ伝。更科源蔵・アイヌの伝説集より ※実際のチトカニウシの標高は1400mほど、北海道の最高峰である大雪山旭岳は2290mです。

層雲峡の滝に沈んだ野盗

『その昔、日高の波恵に勢力を持っていたいわゆるハイウンクルが、野盗になって上川地方を襲おうとして大雪山を越えて層雲峡へ下って来て、上流で木材を集めそれを葡萄の蔓で結んで筏をつくり流れに乗って来ると、この山の裾が川に突き出たところのオベカウシのところに、裸の女がいて乳房をブランブランさせながら踊っていたので、夜盗の群れはすっかりそれに見とれ筏の梶をとることも忘れていると、筏は大滝の中に落ち込んで全滅してしまった』川村ムイサシマツフチ伝・結果は上川のアイヌが救われたということになるが、オベカウシは言語学者である知里真志保博士は愛別市街付近のカムイオベッカウシとされている。パウチに関しては同博士の「アイヌ民譚集」えぞおばけ列伝の中で詳しく解説されている。もう1話あり

層雲峡のパウチチャシ

これは現在、層雲峡の小函にある羽衣岩とその一帯に伝わる伝承です『 大雪山入口層雲峡に奇岩が連なっているが、これは昔はパウチチャシ又はパウチカ・ラコタンと呼ばれパウチという妖精パウチが作ったコタンで、この奇岩はパウチの砦であるというのである。パウチとは元は神々の着物をつくらすと、誰もまねの出来ないほど立派な技をもっているが、元来心の良くない神様で、これにつかれた人間は男も女も素裸になって、世界中を踊り狂って歩き、あらゆる狂態を演ずるもので、これらの一族は今も世界中を廻っているといわれている』北風磯吉老伝・確かに現代は人種を問わずそれに近いかも・・・

層雲峡のキムンアイヌ

「大雪山の山男」ともいう伝説で『石狩川の奥に七里(約26km)も絶壁になった所を通っていくと山の斜面に細い針葉樹ばかり生えていて歩けないような所が有り、ここには山男(ムンアイヌ)がいるから泊まってはいけない所だといわれた。山男は煙草が好きだから、山男だとわかったら煙草に火をつけてさしだすと、気がおちついて人を殺すようなことはしないが、この山男は熊でもなんでも追いかけていって、手づかみにして殺すほど、走ることが速く力も強いということで、アイヌの様に入れ墨をしたり耳輪を下げていないということだ』竹内道太郎エカシ伝。更科源蔵・アイヌの伝説集より

石狩山中の山男

『ある時、石狩の山に二人の老人が狩りに入ったところ、殺されたアイヌの死体があったので、誰の仕業だろうと探していたら、山男であることがわかったので追いかけて行くと、山男は一つの洞窟の中に逃げ込んだ。二人は逃がすものかと続いて洞窟に飛び込もうとすると、中から服の小さいものを投げ出してよこした。そこで二人は相談をして、アイヌの習慣としてこうしたやり方は謝罪を意味する償物に違いない、もしそれでも殺すとかえって禍があるかもしれないと、それを収めてかえったという。その服は今もあるとポロサルのパレシナが語った』吉田巌集録。更科源蔵・アイヌの伝説集より

永山岳のカミイミンタラ

『大雪山系の永山岳に赤く焼けた爆裂火口壁が遠くからでも見ることが出来る。そこをカムイミンタルといって、熊などの色々の良い神々や悪い神も来て遊ぶところだ。赤く焼けているのは天上から雷神が時々おりて遊ぶからと言い伝えられている。このカムイミンタラヘ行っていると、蛇だとか蛙だとか気持ちの悪いものまで人間のふところに入ってくるが、それを我慢していると天上界からも色々な神が来て遊ぶ、その時自分の願いことを言うと何でも聞き入れられるのだという』石山秋三郎老伝

大雪山のカムイミンタラ

『石狩川水源の大雪山には非常い神様が住んでいて、石狩アイヌの上に何か危険な事が起きかけると、人間の姿になって現れて救ってもくれた。この神様は大雪山付近にかくれていて、山に火を噴かせる魔神を抑えていてくれたので、魔神はここを逃れて、美瑛川の上流方面にかくれていたから、美瑛川上には行ってはならないと伝えられている。大雪山の山腹に、赤く焼け土の現れているところは神様の遊び場(カムイミンタラ)といって、天の雷神が来て休むためにあたりが焼けて赤くなるのであるという』近江正一・伝説の旭川より

石狩岳と雌阿寒の争い (壱)

大雪山系の石狩岳の伝説で『別れて帰った雌阿寒に腹を立てて石狩岳が鉾を投げつけたところ、雌阿寒の耳を傷つけてしまった。そこで怒って雌阿寒が鉾を投げ返したが、その勢いがあまりにも激しく石狩岳が危うくなったとき、ヌプカウシヌプリが駆けつけて鉾を打ち落としたので石狩岳は助かった。それ以来ヌプカウシヌプリは偉い山として、アイヌの尊敬を受けるようになった。そしてヌプカウシヌプリの元立っていたところが沼になり、然別湖といわれるようになり、石狩岳からうけた雌阿寒の耳の傷は化膿して、今も硫黄になって流れ出ているというのである』坂井章太郎・十勝史。更科源蔵・アイヌの伝説集より

石狩岳と雌阿寒の争い (弐)

大雪山系の石狩岳の別な伝説ですが内容はよく似ている『イシカリヌプリと雌阿寒は元々夫婦山で有ったが、雌阿寒が浮気をして石狩ヌプリを嫌うようになった。ある日雌阿寒の髪飾りである樹木が大変乱れていたので、石狩ヌプリは非常に怒って雌阿寒を打とうとしたところ、雌阿寒は真っ赤な炎の息を吐いて石狩ヌプリに挑戦してきた。そして二つの山は互いに譲らず何日もの間黒煙を上げ紅炎を吐いてものすごい争いを続けたが、次第に石狩ヌプリの方の力が衰えて今にも雌阿寒のために打倒されそうになった。その時これをみていた十勝岳が親友の石狩ヌプリに加勢して、雌阿寒を打ちこらして石狩ヌプリを救った。雌阿寒は炎を噴きながら遠く釧路に逃げて阿寒山になったが、十勝岳から受けた傷が化膿して、今も硫黄になって流れいるといい、十勝岳の元いたところは然別湖になったと云うことである』近江正一・伝説の旭川及びその周辺より

石狩岳と雌阿寒の争い (参)

もう一つの石狩岳の伝説ですが内容は込み入っており人間くさい伝説『石狩岳とマチネシリ(雌阿寒)は元々夫婦山で有ったが、僅かなことで大喧嘩を起し、マチネシリは二人の間にで来たばかりの乳呑子を抱いて、遠く釧路へ去ってしまったので石狩岳は怒って槍を投げつけたところマチネシリに当たらずに子供の耳に傷つけてしまった。これをみてマチネシリはすっかり逆上して、傍に落ちた槍を拾いとるや、猛烈な勢いで投げ返した。それがまさに石狩岳を突き刺しそうとしたせつな、音更にあるヌプカウシヌプリが走り出て飛んでくる槍を打ち落としたので、石狩岳は危ないところを救われた。それ以来アイヌの人達はこのヌプカウシヌプリを尊敬しオプタテシケップ(槍のそれたお方)というようになった。この山は元々今の十勝然別湖のところにあったのであるが、石狩岳を救うために走り出たので、その跡が凹んで湖になったのが今の然別湖であるという。だから然別湖の深さとヌプカウシヌプリの高さは同じであるという。また釧路に去ったマチネシリは石狩岳の恨みを恐れて、子供をそこにおいたまま、遠く千島のエトロフ島に逃れて、アトサヌプリとなってしまったが、夫に別れ子供を捨てたことを悲しみ、夜となく昼となく泣き続け、その涙が凍って氷の柱となり、この山陰には夏も溶ける事がない氷があるという。そしてもし十勝のアイヌが、この山の麓を通ることがあると、必ず山の上から岩石を投げつけて仇をするので、エトロフに行った十勝アイヌは、決して十勝のものであることを言わないのであるという。なおとのときマチネシリが釧路に捨てていった子供が現在の阿寒岳で、その時の耳の傷は今も残っていると云う事で有る』山越三次郎エカシ伝。更科源蔵・アイヌの伝説集より

死体を食いたがる鳥

ある年北見の夜盗が襲ってきて、近文コタンの人々が皆殺しにされたことがあった。その時たった一人の男だけが敵の囲みを逃れて川下に走り、現在の伊能の入り口の沢のところで木に登って川を飛び越え、そこにあったエトクシュマという大岩の影に隠れていると、追手は川に落ちて死んでしまったのだろうといって引き上げて行った。そこで男は川下に走って、空知の人々にこの話をしたので、空知コタンの人々が北見の夜盗の引き上げた後を追っていくと、夜盗に加わって来た女の一人が足を痛めて遅れているのに追いつき、それを殺してなおも後を追って行った。夜盗達は上川と北見の国境を越して北見国に入り、クルオマベツという川にたどり着いて野営をして、安心して酒盛りをし歌ったり踊ったりしていると、近くの暗闇の奥に一匹の狐が現れて「バゥー」「バゥー」と鳴いて敵が攻めてくることを知らせたがすっかり酔ってしまった夜盗の群は、「何うるさく騒いでいるんだ、俺たちは近文コタンを皆殺しにしてきたのに、寝ぼけて騒いでいるのか」と悪態を言っていると、突然闇の中から空知勢が現れて、北見の夜盗は全滅させられてしまった。今でも付近にはライクル・エ・チカップ(死人を食う鳥)というのがいて、人が野営でもしていると、近くの木に来て「チ・エ・ロペ・タ・チ・エ(食べたものをまた食べたい)」といって鳴く。それは北見の夜盗が皆殺しになったとき死体を食べた怪鳥だから、この付近で決して野営するものでないと昔から言い伝えられている』川村ムイサシマツフチ伝。更科源蔵・アイヌの伝説集より

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